#18.呪われた地 ダネガリスの野
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#18.呪われた地 ダネガリスの野
チーグ一行がダネガリスの野にはいって、まる一日が過ぎようとしていた。
けれども、彼らは全く前進していなかった。文字通り、「全く」である。
枯れ木が密集する荒れ地を、太陽の位置を手掛かりに進むものの、気が付けば行く手が分からなくなっている。背の高い枯れ木に取り囲まれ、太陽の位置が分からなくなることがあれば、いま通ってきたばかりの道を引き返そうとすると、枯れ木が道を塞いでいたりする。枯れ木の森は、気まぐれな悪意をもって、あからさまに彼らの行く手を阻んでいた。そして、いつのまにやら森の外へ追いやられているのである。
強力な魔法がかけられた地、とのチーグの言葉を、彼らは丸一日かかって体感させられた。
重苦しい雲の向こうの太陽が西に大きく傾くころ、彼らは森の外縁にへたり込んだ。
「まる一日かかって、はるばる元の場所へと戻ってきたというわけか!」
チーグは膝をかかえて座り込みながら、吐き捨てるように言った。
ポーリンもその隣に腰を下ろす。はじめは地図をつけながら歩いていたポーリンだったが、やがてそれも無意味だと悟った。そして、あることに気づいていた。
「これは、オリエンテーリングの魔法・・・サントエルマの森と同じ」
「何だって?」
チーグが投げやりに問う。
「私がいた、サントエルマの森にも、似たような強い呪文がかけられていた。招かれざる客を排除するために。正しい順に条件を満たしながら進まないと、森が人を迷わせる」
そういいながらポーリンはどっと疲労感に襲われていた。それはつまり、森を通り抜けるにあたって何も分かっていないことと同義であった。
「招かれざる客・・・」
ノタックが考え込むようにその言葉を繰り返す。
「招かれざる客、ということに、自分は少し違和感があります。殿下は、招かれざる客ではない」
「・・・それはそうだけど、そうじゃないのよ。この呪文をかけた人物にとっては、ゴブリン王国の王子であろうと誰であろうと、同じ」
ポーリンはため息まじりに答えた。
ノタックはかぶりをふる。
「いや、そういうことではなく・・・そういうことでもあるが、我々はダネガリスの枯れ木の森の中で、いくつかの白骨を見た。森が本当に邪魔者を排除するならば、森の中で殺してしまうはず。なのに、我々は生きて森の外にいる」
ポーリンは少し身を起こし、考え込んだ。
「確かに、それは検討の余地があるかも。ゴブリン王国の王子という点で、すでに何かの条件を満たしている可能性は、あるわね」
その言葉が奇妙に思えたのか、ノトとデュラモは互いに顔を見合わせ、首をひねった。それを見たポーリンは、言葉を補足した。
「つまり、王子様ご一行なので、森は既に丁重にもてなしてくれているかも知れないということ」
ノトとデュラモは、さらに混乱したので、考えることを放棄した。彼らにとって、しょせん魔法は完全に理解の範疇の外だ。
「『ダネガリスの野は、呪いの力によって封じられた。その道を開くのは、正当なる王と魔法の使い手のみである』」
チーグがその日何度も繰り返した一説を再び口にした。
「王家に伝わる、言い伝えだ。史上唯一のゴブリンの大魔法使いヤザヴィの言葉とされる」
この語尾はため息となり、それはくすんだ黄昏の空へと吸い込まれていった。
「・・・ともかく、今日はもう食事でもとって休むとするか」
その言葉を受けて、ノトとデュラモが食事の準備に取り掛かった。
「サントエルマの森には、ヤザヴィという魔法使いの伝承はない。チーグ、ご飯を食べながら、その魔法使いの言い伝えを詳しく教えて。何か手がかりがあるかも」
「いいぞ、別にほかに話すこともないしなぁ」
チーグはうなづいた。
不気味な枯れ木の森の外縁で、日が暮れてゆく。
ファーマムーアは、エル=アルマナよりその偉大なる探求心を引き継いだとされる伝説上の大魔法使いの一人である。探求心が高じ、数々の非人道的な実験に手を染めたことで、その前半生は血と闇に彩られているが、その後半生は魔法文化の発展と後進の育成に心血を注いだとされる。
そのファーマムーアの最後の弟子であるとされるのが、ヤザヴィである。
ほとんどは文字も読めないゴブリンたちの中で、魔法使いになる者など数十年に一人いるかどうかである。ヤザヴィは、そんななかでもさらに類まれな魔法の才能に恵まれた、稀有なゴブリンであった。
後進の育成に目覚めたファーマムーアにとって、ゴブリン族でありながら魔法の才を持つヤザヴィは、大きな興味の対象であった。あるいは、ゴブリン族に魔法の文化を根付かせるという、前人未到の課題にやりがいを感じていたのかもしれない。
ヤザヴィは土の魔法を得意とし、ファーマムーアの後半生のいくつかの事業に重要な役割を果たした。
土の魔法以外に、ヤザヴィがもう一つ研究対象としたもの、それは「呪い」の研究であった。術者の死後もなお、魔法の効果を半永久的に持続させる「呪い」、それは必ずしも清廉潔白な術ではなく、ゴブリンらしく闇の属性に類するものだったのかも知れない。
「永遠に呪われろ!」
が機嫌が悪いときの口癖だったという。
晩年、ヤザヴィは同族のもとへ戻り、ゴブリン王国の発展に尽力した。リフェティの地下王国は、ヤザヴィが土の魔法を使ってその基礎を築いたものである。
大きな戦火を逃れ、比較的穏健なゴブリンたちがリフェティの地に集いはじめて数十年、未だにゴブリンたちは外敵の侵入に悩まされていた。ヤザヴィが築いた巨大な地下王国は、彼らの身の安全に大きく貢献するものだった。
さらにヤザヴィは、ゴブリン族の魔法使いの後進を育てることも試みた。その中で、有力な弟子となったのがダネガリスという女ゴブリンであった。
地下王国を築いたのちに、ヤザヴィは南の地に巣くうヒドラや、恐るべき魔物を、弟子のダネガリスとともに討伐した―――とされるが、詳しいことは分からない。ヤザヴィの伝説はそこで途絶え、ゴブリン王国の南には呪われた枯れ木の荒れ地が取り残されたのである。
いつしかその地は、弟子の名をとって“ダネガリスの野”と呼ばれるようになった。
そして、リフェティのゴブリン王家には次のような伝承が残されたのである。
『ダネガリスの野は、呪いの力によって封じられた。その道を開くのは、正当なる王と魔法の使い手のみである』
(つづき)
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