#23. 全員小悪党
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#23. 全員小悪党
ゴブリン王国の第三王子ヨーは、「ゴブリンは、抜け目なく、ずる賢くあれ」という信念を持っている。
彼が目指すのは、そういう国だ。
打算に満ち、欺き、出し抜く。それができれば、ゴブリン王国はもっと栄えるはずだと信じている。
次の王を継ぐのは、人間どもの文化にかぶれた長兄チーグではなく、もちろん病弱な次兄バレでもない。その目的のため、彼はまず軍を掌握することに苦心した。三人の軍隊長は金で、一人は世にも珍しい紫ナメクジの酒で買収した。
今は、ゴブリン王国の軍勢は彼の私兵も同然だ。
「なまくらでも、名刀でも、野菜を切れればそれでいい」
イザヴェル教国の思想家マコライの言葉だと、チーグが言っていた。
チーグの説教じみたうんちくにはうんざりだったが、その言葉だけはヨーの心に深く突き刺さった。
そう、目的を達せさえすれば、方法は何でもいい。洗練されている必要もない。
目標に向かって、着実に手を打っている・・・はずであった。
ナメクジ一匹通さぬ警備で西門、通称<岩門>を封鎖し、王国のほとんどの兵力をここに集結させてチーグがやってくるのを待っている。
しかし、予想外の知らせが、彼の計画を狂わせた。
ホブゴブリンどもが、東門、通称<谷門>から侵入してリフェティを陥落させ、王を人質に取っているというのだ。そして、それを手引きしているのは、ダン。
「ダン、か」
ヨーは尖ったあごを撫でながら考え込んだ。尖った顎と広がった額、そして頭頂部に毛髪が固まっている風貌から、チーグによく「ニンジン」とからかわれたものだ。
ダンは、有力氏族の次期氏族長と言われており、王になるにあたってその支持は欲しいものだ。けれども、差し出がましいことを言ってくるダンはヨーにとって煙たく、貸しを作りたくなかった。“理想のゴブリン観”についても、差異がある。
そうこうしているうちに、ダンは御しやすい第二王子に接近したことは知っていた。
そのダンが、ホブゴブリンを手引きし王国に招き入れたとは、一体どういう意図であろうか。
「ホブゴブリン軍の指揮官であるザギス殿が、<雑草の丘>でヨー殿下と面会を希望している。最小限の護衛とともに、ヨー殿下自ら来ること、とのことです」
使者を務めるダンの部下が、緊張した面持ちの中にも気圧されまいという気迫を漂わせながら、そう伝えた。
「・・・行こう」
ヨーは即答した。
危険がないとは言えないが、ザギスという男の顔を拝んでみたい。何事も、顔をつきあわさねば分からぬことがあるのだ。
だがもちろん、ホブゴブリンどもに主導権を渡すつもりはない。
ヨーは頭の中で様々な画策を始めながら、出立の準備をはじめた。
<雑草の丘>は、<岩門>と地下王国リフェティのちょうど真ん中あたりにある草に覆われた小高い丘であった。土混じりの草の匂いがして、ノーム族であればそこが豊かな土壌である可能性に思いを巡らすだろうが、それはゴブリンたちにとって何の意味も持たないものだった。彼らにとっては、価値のないただの丘だ。
丘の上で、五名ずつの護衛を連れて、第三王子のヨーと、ホブゴブリン軍の指揮官ザギスは相対した。ザギスのとなりには、ダンもいた。
ヨーはちらりとダンに視線をやってから、持ってきた革袋をザギスに渡した。
「貴重な、紫ナメクジの酒だ。これの価値が分かる男ならば、良いが」
それを受け取ったザギスは、物珍しそうに革袋を眺めると、口の栓を取ってドボドボと地面に酒を巻いた。あっと、ヨーの護衛たちがたじろいた。滅多に手に入らない貴重な酒だ。
つんとする強い酒の匂いが、あたりに充満した。
「貴重な酒を感謝する、ヨー殿下」
ザギスは革袋を投げ捨てると、恭しい素振りをしながらそう言葉を返した。
「なるほど」
ヨーは肩をすくめた。
「それが、ホブゴブリンの礼儀ってやつか」
「はっは。おい、おまえら、笑え」
ザギスはお付きの衛兵たちに笑うよう命じた。酒の匂いの中、乾いた哄笑が響く。
「毒が入っているかも知れないのに、ここで飲めと?それに、仮にこれが賄賂だとしても、俺は買収されねえ」
甲高いが耳につくダミ声でザギスが言う。
「だが、気持ちだけは受け取っておこう。あいにく、俺は酒にはちょいとこだわりがあってね。だが、いまはしらふだぜ」
ザギスはおどけるように言い、再びザギスの部下たちからさざ波のように笑い声が起こった。
「『賄賂を送れば、相手がどういう人物か分かる』、誰の言葉か知っているか?」
ヨーは淡々と言った。
「さあな?」
「俺の言葉だ・・・笑え」
ヨーが冷ややかな言葉で返す。
笑い声は起きなかったが、ザギスは、静かな興味をたたえてヨーを見つめた。
「あんた、見た目はニンジンみたいだが、なかなか面白いな。ちょっとあんたが好きになりそうだぜ」
「それはけっこう、だが二度とニンジンと口にするな」
ヨーは姿勢を正しながら、堂々と言った。
「それで、どういう要件で、土足で我々の王国へ足を踏み入れたのか説明してもらおう・・・」
ザギスは、自分より遙かに背の低いヨーを見下ろしながら、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「勘違いするな、侵略に来たんじゃない。あんたらとは、仲良くやりたいんだ・・・同盟を結びたい」
「同盟?王都を占領し、王を人質にとってか?」
「・・・王は、俺たちの安全を保証するためさ。目的が終われば、解放しよう」
「ほう・・・それで、目的とは?」
有無を言わせぬ追求に、ザギスは小さく肩をすくめ、少し間を取った。そして、促すようにダンの方をみる。
ダンはため息をつきながら、代わりに言葉を発した。
「ザギス殿は、ゴブリン王国を安全に通行することを希望しているのです。西へ向かい、コヴィニオン王国を襲撃する」
今度は、その言葉の意味を噛みしめるように、ヨーが少し間を取った。
「・・・人間の王国を襲撃・・・正気か?」
そして同時に、彼の頭の中でめまぐるしくザギスの真の目的を推測した。
ホブゴブリン軍は、東の荒野からやってきて、ゴブリン王国を通り、西のコヴィニオン王国で略奪を行う。人間たちはゴブリン王国を共犯だと見なすだろう。そして、コヴィニオン王国の報復を真っ先にうけるのは、彼らゴブリンたち・・・
“同盟”とは聞こえが良いが、ホブゴブリンたちはゴブリン王国を盾として使おうとしている。だからこそ、ゴブリンたちを傷つけることもないのだろう―――少なくとも、今のところは。
ヨーはわずかに青みかかった緑色の瞳をダンに向けた。ダンは、この条件を理解していて、ホブどもを受け入れたのだろうか?
ヨーの思索を知ってか知らずしてか、ダンはため息まじりに口を開いた。
「ザギス殿は、我々の力にもなってくれると約束した―――つまり、人間かぶれしたゴブリン王国など、ザギス殿にとっても不要ということです」
ダンのその言葉を聞いて、ヨーは皮肉っぽく口元を歪めた。同床異夢の者たちだが、ただ一点、第一王子のチーグを排除するという点においては利害が一致しているのだ。
「・・・合点がいった」
ヨーは低い声でそうつぶやき、ザギスとダンを交互に見やった。それぞれの言葉の表と、その裏でせめぎ合う腹の探り合いが、なんだか少し楽しくなってきた。
どいつもこいつも小悪党、いい感じだ。
「それではザギス殿、“同盟”については前向きに考えたいと思う。だが、まずは第一王子チーグの首だ」
「ああ・・・」
ザギスは退屈そうな表情をしながら小さく手を振った。
「どいつもこいつもチーグ、チーグ・・・いいだろう、任せておけ。そして、“同盟”の件、忘れるなよ。あらかじめ言っておくが、もしも俺たちを欺けば―――」
ザギスは声を低くして声に圧を込めた。
「我々は力づくでここを通るだけだ。そうなったらそうなったで、一向にかまわないぜ」
「覚えておこう」
ヨーは満足げにうなずいた。すでに彼の頭の中には、ホブゴブリンどもを出し抜くための方策がいくつも芽吹き、成長していた。その養分となるのは、彼の信念だ。
だまし、策略をめぐらす戦いなら、彼の得意分野だ。負ける気がしない。
そう、最後に勝つのは、チーグでも、ダンでも、ホブどもでもない–---彼自身なのだ。
<雑草の丘>からの帰路、ザギスは馬上、ダンに話しかけていた。
「あれは食えねえ男だ・・・ヨーと言ったか?最後まで俺に静かな殺気を向けていた」
それを聞いてダンは小さくうなずいていた。
殺気の件は分からなかったが、ヨーの性格はよく知っている。誰の下にもつこうとしない頑固者だ・・・そして、策略家。チーグとは違った意味で、ゴブリンらしからぬ性質を持つ者。
「俺たちを出し抜く気、満々といったところだな。我らホブゴブリンに、力では勝てずとも、悪知恵では負けないと思っているのだろう」
そう言って、意味ありげにダンを見た。ダンは視線を感じ、居心地悪そうに肩をすくめた。
「・・・ヨー殿下は、ゴブリンの中でも悪知恵がまわる方だ」
淡々とそうつぶやくダンに、ザギスはにやけ顔を作った。
「ふへへ、そうだろうよ。だが、そんな奴がほえ面かくのを、見てみたくないか?」
「ザギス殿にも、策があるのか?」
「もちろんだとも。まだ、おまえにも言っていない『切り札』が、俺たちにはある」
「切り札?」
ダンは怪訝そうに眉をひそめた。
「そうさ、どんな盤面も、一気にひっくりかえせる・・・だが、お前はまだ知る必要はない」
そう言ってから、ザギスはなれなれしくダンの方をもむような素振りをした。
「次のゴブリンの王には、おまえがなるがいいさ、ダン。いまはそのことだけを考えていろ」
「・・・次の王」
ほんの数日前までは、その言葉は空虚で無意味なものだった。けれども、今はそれなりに現実味がある。むしろ、王国にホブゴブリンたちを招きいれた時点で、もうその道しか彼には残されていないのかも知れなかった。
ダンは歪んだ笑いを口元に浮かべた。
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