何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン#15
#15.烈火の魔女と本読むゴブリン
ポーリンとチーグ、デュラモ、ノトの四人は、牢になっていた洞窟から外へと出た。
そこは、奇岩で周囲を覆われた、窪地であった。太陽は西に傾き、奇岩のあいだから斜めに光をなげかける。
チーグが言ったように、ここは小さな居留地のようであった。見張りと思われるホブゴブリンが十人ほど、槍をもって彼らを待ち構えていた。
チーグが一歩進み出る。
「俺は、リフェティの次代の王、チーグ。知性あふれる<本読むゴブリン>が、おまえたちに、寛大なる選択肢を与えよう」
小柄だが、堂々たる声。
「ダンのような小物よりも、俺に従え。さすれば、先ほどまでの無礼は忘れよう。それを受け入れぬなら―――」
チーグはいたずらっぽく、ポーリンを振り返った。
「冷酷な<烈火の魔女>がおまえたちを火あぶりにすることになる。好きな方を選べ」
何人かのホブゴブリンたちは、不安そうにたがいの顔を見合わせてが、リーダーと思われる角の生えた兜をかぶったホブゴブリンがせせら笑った。
「俺たちがダンに“従っている”というのは、勘違いだぜ、<本読むゴブリン>とやら。金をもらい、利用するだけだ」
ホブゴブリンが手入れの悪そうな錆びた短剣を抜き、かまえた。
「おまえは重要な賞金首、逃がすわけにはいかん」
チーグは表情を変えなかったが、ノトははっとしたように主君に視線をやった。ダンがこの陰謀に関与していることについて、改めて言質を得たのだ。
「・・・ダンの三倍の報酬を払うと言ったら?」
チーグは冷静な声で食い下がる。
リーダーのホブゴブリンは下手な口笛を鳴らしたあと、下品な笑いを浮かべた。
「悪くない話だが、いずれにせよおまえの首は必要だ」
「どうして?」
「・・・おしゃべりが過ぎたようだ」
ホブゴブリンはにやついた笑いを浮かべながらも口を閉ざし、槍を構えた。部下たちもそれに習う。
チーグは舌打ちをした。
ダンは、“古き良きゴブリン文化”を守ろうとする保守的なゴブリンである。人間の価値観をゴブリン王国に持ち込もうとしているチーグを敵視するのも分かる。ゴブリン王国と長年敵対してきたホブゴブリンに手を汚させれば、丸く収まると思っているのだろう。ダンの動機は理解できる。
けれども、ホブゴブリンどもは、本当に金のためだけにダンに手を貸しているのだろうか?何か裏があるように、チーグには思えた。
それを探ろうとしたが、うっかりと口を滑らせてしまうほど愚かなホブゴブリンではなかったようだ。
チーグは気を取り直すと、ポーリンの方を振り返った。
「戦えるか?」
ポーリンは少し驚いたように、鳶色の瞳を見開いた。
「もちろん・・・大がかりな魔法は、もう何回も使えないけれど、あいつらを追い払うくらいなら」
「そうか」
チーグはうなずいた。
「<四ツ目>のときは、おまえの助言を聞かなくてすまなかったな」
思いもよらぬ謝罪に、ポーリンは不思議な感覚を覚えていた。
チーグと話をしていると、しばしばゴブリンであることを忘れてしまう。知性と礼節のある、人間を相手にしているようだ。
改めて、この貴重な人物を守ることは、単に礼金をもらうこと以上に意義深いことになる気がした。
「・・・ここは任せて、あなたたちは、援護を」
ポーリンはそう言うと、目を閉じて集中状態に入った。
今なら、まるで優れた絵描きが思いのままに画布に世界を具現化するかのように、かつて思い描いた魔法の技を表現することができるような気がしていた。
ゆっくりと、正確に、イメージを描きながら魔法の呪文を唱える。
まばゆい光を放ちながら、赤い炎が右手の上に現れる。火の球の呪文、けれども、それを自らの身体の一部のように感じ、暴発しないように掌にとどめおく。
そうして、今度は左手の上にもう一つ。
「・・・できた!」
今や彼女は、二つの火の球を自在に操る感覚を、しっかりと味わっていた。
ホブゴブリンたちは動揺し、その隊列がわずかに揺らいだ。
「恐れるな!ただの松明と同じだ」
角の生えた兜をかぶったホブゴブリンが、叱咤する。
「・・・あら、そうかしら?」
ポーリンは人の悪い笑いを浮かべながら、右手の火球をホブゴブリンの集団に投げ込んだ。それは凄まじい音とともに炸裂し、肌を焦がす熱とともに爆風でホブゴブリンたちをなぎ払った。
リーダーのホブゴブリンはどうにか踏みとどまったが、それもひとときに過ぎなかった。
二つ目の火球が直撃し、そいつは黒焦げになって絶命した。
「いまだ、かかれ!」
デュラモが大きなかけ声とともに、ノトを連れてホブゴブリンたちへと向かう。
けれども、リーダーを失ったホブゴブリンたちはすっかりと戦意を失っていた。恐るべき魔女と視線を合わせることもできず、彼らは背を向けて逃げ出した。
「はっは!」
チーグが愉快そうに笑った。
「伝説のゴブリンの大魔法使いヤサウィであれば、こう言っただろう。『永遠に呪われろ!』」
逃げるホブゴブリンたちの姿が見えなくなると、ポーリンは戦いの姿勢を解いた。そして、うかがうようにチーグを見た。
「とりあえず、牢から出られたのは良かったけれど、あなたは大事な本を失ってしまったわね」
悼むような声音に対して、チーグは不敵な笑いを緑色の瞳に浮かべた。
「まあな、だが、本当に大事なことはここと―――」
といいながら自らの頭を差す。そして、その手をふところにやった。
「――ここにあるのさ」
そう言って取り出したのは、大事なことをまとめたという、革表紙の帳面であった。
それを見て、ポーリンは身体の力が抜けたような笑みを浮かべた。<本読むゴブリン>の本質は、ただ本を好むというだけではない。それを役立てる
ための術も知っているのだ。
「・・・それに、おまえたち人間はこう言うだろう?」
チーグが帳面を胸元にしまいながら、言葉をついだ。
「命あってのものだねだ、と」
(つづく)
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