#17. ゾニソン台地のホブゴブリン
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#17.ゾニソン台地のホブゴブリン
その日、チーグを敵視するダンは、秘密裡にゴブリン王国を出て、東の荒れ地にある<枯渇の谷>にいた。
同伴したのは、信用のおける側近の護衛兵三名と、金でやとった<四ツ目>の異名を持つ魔獣使いである。
東の荒れ地はゴブリンたちにとっても危険な土地で、訪れるものはたいてい何か深い理由がある。そこにいるだけで、何かを勘繰られるため、東の荒れ地に来ていることは、他の氏族の族長たちにも伏せておく必要があった。
そういう意味で、部外者である<四ツ目>の存在は、ダンにとって貴重だ。しかも、<四ツ目>が使役しているヘルハウンドは強力な魔獣であり、東の荒れ地に住まう危険な猛獣たちを退ける役にも立つ。
ダンがこの地を訪れたのは、彼が雇ったホブゴブリンたちから人質を受け取るため・・・であったが、無能なホブどもが貴重な人質を取り逃がしてしまったという情報は既に受け取っていた。
従って、ダンはこの地で無能なホブどもをなじり、改めてチーグたちを捕らえるよう仕向ける必要があった。
こっそりと王国を抜け出てきている後ろめたさと、危険な地であるという緊張感が、彼のいら立ちに拍車をかけていた。腕組みをしながら、いらいらと片足を揺らし、役立たずなホブゴブリンどもの到着を待っていた。
<枯渇の谷>は、かつて川だったものが干上がってできた渓谷で、見通しが悪く、ざらざらとした褐色の砂が地面を覆うだけの何もない土地である。
渓谷の入り口に、ホブゴブリンの一団が現れたとき、ダンは舌打ちをしながらどのようになじってやろうか、と思いを巡らせたが、そんな思いは数瞬後には消えた。
そこに現れたのは、金の為に人さらいをするみじめなホブの傭兵どもではなく、頑丈な革製の鎧と兜で武装した百名以上の兵隊たちであった。
ダンは険しい表情をつくって来訪者を見つめた。
ダンの手下たちは、ひるむように数歩後ろずさる。<四ツ目>のヘルハウンドは、警戒の唸り声をあげた。
兵隊たちは整然と渓谷を進み、ダンたちに近づいてきた。先頭にいるのは、ヘルハウンドほどではないが大型の狼に乗ったホブゴブリンだった。いぼだらけの薄緑色の肌、白髪交じりの乱れた髪は全員似たようなものだったが、そいつだけ、金色に縁どられた立派な鎧をつけていた。
そいつは兵を止めると、ダンの目の前まで狼を進めた。
ヘルハウンドの唸り声が大きくなるが、オオカミは平然としていた。ホブゴブリンは牙の見える太い唇をゆがめ、にやにやと薄ら笑いを浮かべていた。
わずか五名に対して、相手は数百。気圧されまいと、ダンが口火を切った。
「人質が、いないようだが?」
ホブゴブリンは、オオカミをダンの前で止めると、黄色い瞳でじっとダンを見つめた。
「うちの若いゴロツキどもを、金でやとったのはおまえか。ええと・・・ダンだったか?」
甲高いが、耳ではなく腹に沈んでいくような不思議な重さを秘めた声だった。
ダンは油断なく黄色い瞳を睨み返す。
「・・・あんたは?」
「おれは、ゾニソン台地から来たザギスだ」
「ゾニソン台地のホブゴブリン?」
正確な場所は知らなかったが、ずいぶんと遠い場所にあることだけは知っていた。
「ああ、だが最近は、このあたりのホブゴブリンどもも、おれの言うことを聞くぜ」
「なるほど、おまえがホブどもの新しいボスということか・・・それで、人質は?」
ダンはザギスの言葉につられず、話を戻そうとした。ザギスはやれやれ、といった感じにため息まじりに笑う。
「・・・それについては、残念だよ。次の王、チーグといったか?そいつを引き渡せば、あんたからたんまり金をもらえたのになぁ」
ザギスは兵士たちを振り返る。何百もの兵士たちからくぐもった哄笑が漏れた。
「だったら、今からでも遅くない。さっさとチーグを捕まえにいけ!」
ダンは鋭く言った。
ザ ギスは兵士たちを振り返ったまま、おどけるように両手を上に向けた。
「笑え」
兵士たちが声を立てて笑いはじめる。
ダンが怪訝そうに険しい表情をつくった。ザギスは、それを面白そうに見つめた。
「ここは、笑うところだぞ、ダンとやら。そしてそんなことより、もっといい考えがあるぜ」
そしてわざとらしく声をひそめた。
「おまえは、どうしてチーグの首を欲しがる?」
「・・・奴は古き良きゴブリン文化の破壊者だからだ」
「というのは、建前だろう?」
ザギスは舌なめずりするようにねっとりとした声で言った。
「本当は、お前が権力を握りたい・・・違うか?」
その問いかけに、ダンは答えない。油断なく、ザギスを見つめたままだ。
しばらくの沈黙ののち、ザギスは言葉をつづけた。
「べつに、いいことじゃあないか。怠惰で欲望に忠実な古き良きゴブリンなら、当然のことだ」
ダンの左後ろにいる護衛兵が、伺うようにとなりの護衛兵を見た。
ダンは引き続き、黙ったままだ。
ザギスはさらに揺さぶるように言葉を継ぐ。
「チーグなんてもはやどうでもいい。どうせ、あとで殺す。おれたちはこれからゴブリン王国に入る・・・おまえが道案内してくれると助かるのだが」
「馬鹿な!ゴブリン王国に戦争を仕掛けるということか?」
左後ろの護衛兵が、動揺を隠し切れず、一歩進み出て声を張り上げた。
次の瞬間、ザギスの兵士たちのなかから矢が一本とんできて護衛兵に命中し、護衛兵はそのまま倒れた。
「おい!」
ダンが抗議の声を上げる。
ザギスは軽く右手を上げ、兵士たちの次なる攻撃を制した。
「戦争になるかどうかは、おまえたち次第だ。おれとしても、第一の希望は、話し合いだ」
「・・・何百もの武装した兵を引き連れて、話し合いだと?」
ダンが低い声でつぶやいた。
ザギスはにやりとする。
「まあ、成り行きによっては、戦争になっても一向にかまわないぜ・・・王国を滅ぼしたあと、おまえを次の王にしてやってもいい。古き良きゴブリン王国の復活でも、何でも思いとおりだ。俺に協力すれば、悪いようにはしねぇ。チーグを捕まえるなんざより、ずっといい話だろ?・・・ということで、ダンとやら。おれたちの道案内をしないか?」
ザギスの声は、甲高いが蛇のように絡みつく。ダンはしばし考え込んだ。
「・・・ダン!」
<四ツ目>低い声で警戒のささやきをする。
ザギスが鬱陶しそうに魔獣に乗る人間を睨んだ。
次の瞬間、二本目の矢が<四ツ目>に向けて放たれたが、<四ツ目>は鞭を巧みにあつかいその矢を回避した。
ザギスが驚いたように目を丸くした。
「・・・いい腕だな、人間」
そう言ってから、ザギスは再びダンへと視線を戻した。
「ダン、おまえには二つの道がある。おれたちに協力するか、国へ逃げ帰り毛布にくるまって何も見なかったことにするか・・・あるいは、今、死ぬか?あっ、三つだったな」
ザギスはそう言ってから再び兵たちを振り返った。
「笑え」
兵士たちから再び哄笑が起こる。
「今のは笑うところだぞ、ダン。もっと楽しくやろうぜ」
ザギスは言う。
「・・・少し、考えさせてくれ」
ダンは低い声でそうささやいた。ザギスは薄ら笑いをいっそう強めた。
「いいだろう、だが―――」
と、狼をくるりと反転させ、兵士たちに引くような合図を出した。
「日没には、返事をもらう」
ザギスはその背にそう言い残しながら、ゆっくりと去っていった。
(つづく)
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