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340-343 チューリッヒで見た奇妙な夢たち


*声と言葉に関するYouTubeチャンネル「五音十音(ごおんとん) -心とつながる声の咲くとき-」をはじめました。
【より良い影響力を発揮したい方ための統合的ボイスワーク】についてご紹介していきます。よかったらそちらものぞいていただけると嬉しいです。

340. チューリッヒで見た奇妙な夢たち

寝すぎ防止のためにかけている目覚ましが鳴る前、長いこと夢を見ていた。いくつかの奇妙なシーンを断片的に覚えている。学校の売店のような場所で味噌汁を買おうとしたところ、130円と言われ、手持ちの現金がない私は、翌日かその次の日にでも支払いをしていいかと聞いた。店主の男性は快く了承してくれ、さらに袋に入った細いフランスパンのようなものもおまけしてくれた。店を離れ、パンを袋から出してみると、細長いパンの端から長い髪の毛のようなものが出ていた。パンを袋から出すと、1本や2本ではなく、束になるほど髪の毛がたくさん出ていることが分かる。せっかくもらったけれど、さすがにこれは食べられないし、もし恒常的にこんなことが起こっているのならまずいだろうと思い、パンを店に返しにいくことにする。店にいくと店主の近くにもう一人、髪が長く、ウェーブがかった毛をたらして仕事をしている男性がいたため「きっとあの人の髪だろう」と考えた。店主にパンを返すと何かしら詫びの言葉があった。その場を離れると一人の女性がやってきて、何かを手渡してきた。そのときに私はその人が店のスタッフの一人であること、自分が味噌汁の代金を払わなくて良くなったことを理解した。

それからいくつかの場面を経て、金髪の女の子が出てきた。顔立ちは日本人のようで、手足がひょろっとしていて日焼けをしている。6歳か7歳くらいだろうと想像していた。知り合いの子どもであるその子は夏休みの間その街(私が住む街)に滞在していたようだ。「8月に一番楽しかったことは何?」と聞くと、「現実の世界も夢の中も楽しかった!」と彼女が答え、夢の中の話を始めた。私は彼女が夢を夢だとハッキリと認識していることを不思議に思い「何から夢の中だと分かったの?」と質問したが、それに対する明確な答えはなかった。

そこから少し場面が変わり、私は飲食店のような場所で働いていた。そうすると、他店のスタッフか、オーナーの関係者のような女性が現れ、「みんなに」と、小学校のときの給食のパンが入っていたような、平たいカゴのようなものを差し出した。見ると中に様々な種類の食べ物のようなものが入っている。私は「年末だから差し入れをしてくれたのかな」と思い、他のスタッフの後に続いてその中身をもらいに行った。中にはあんみつや小豆の入ったお菓子があり、もらうならそれがいいなと思って眺めているも、他のスタッフがそれらを取ってしまい、最後に残ったのは、ブリキのじょうろのようなものが2つと、ブリキのバケツが2つと、お好み焼きのように平たく形を整えられた白米のかたまりだった。もう一人、私以外にもその中からもらうものを選ぼうとしていた人がいたが、二人で顔を見合わせ、結局何ももらわないことにした。2019.9.6 Fri 8:16 Zürich

341. YouTubetチャンネルの名前を決めるにあたって

薄いブラインドの向こうに見える空は薄暗い。天気予報を見ると、今は雨(実際には降っていない)で、今日は終日曇りのマークが出ている。最高気温は17度、出かけるなら、しっかりと着込む必要がありそうだ。

昨日は散歩から帰ってきて日記を書いた後、YouTubeのチャンネルを開設する作業をしていた。ホームページ開設など、大抵の場合、最初に「名前」を決めることになり、YouTubeチャンネルにおいてもそうだったが、これが考え始めるとなかなか決まらない。ホームページなどであれば後から何度でも変更ができるが、YouTubeの場合は、90日以内に3回の変更まではできる(それ以上しようとする場合は90日待たないといけない)という仕組みになっているようだ。発信する内容によって、自分の名前やニックネームなどを入れたものがいいのか、テーマがハッキリ分かるものにしたほうがいいのかなども変わるということで、今回は「テーマを明確にする方だろう」という方向性は決まったが、何をタイトルにするかというのは、内容とリンクしているので内容をもう少し深めててからチャンネルを開設した方がいいのかと考えると、なかなか前に進まない。

今回、先日まで参加していたインテグラル理論のゼミナールで話題になったことから「えい!」とチャンネル開設をしてみることにした。やってみてその中から学ぶことや深まっていくテーマもあるだろうということから、とにかくまずは「やってみる」ということにしたのだが、改めて私が普段提供している対話という形ではなく、動画のような一方通行な形であっても届けたいもの、もしくは(それを役立てる人が出てくるのは少し先になったとしても)、自分自身として深めたいことは何だろうと考える。今特に取り組んでいてこれからもっと深めていきたいのは「声」についてだ。心と言葉と行いを一致させる取り組みから、声に関しても、自分が本来持っている声を出すことができたら、コーチとして大切な「自己一致」を深められるのではないかという仮説からスピリチュアルな要素もあるボイスセラピーを受けてきたのだが、実際に声の質や相手に伝わるものが変わってくるという実感があり、さらにこれまで学んできたNVCやナラティブとも掛け合わせて、実践的な形で人に伝えていければと考えてきた。私自身は現在は、五十音の1つ1つを表す動きとともに声を出し、枕草子を読むことをセッション前のボイストレーニングとして活用している。今はテキストでやりとりがなされることも多いものの、だからこそ、直接声が伝わるときというのはそこから伝わる印象や影響力というのがとても大きいのではないかと思う。コーチングやカウンセリングの影響は、そのクラインアントのクライアントにまで及ぶというが、特に、経営者やリーダー、医療者や教育者など、人に何かを伝える人、人と直接関わる人にとっては、その人が取るコミュニケーションを構成する要素として声そのものというのは重要なのではないかと思う。それにも関わらず、アナウンサーなど声を直接使う仕事の人以外にとっては、声に目を向ける機会はあまりない。滑舌や声の大きさに意識を向けることはあっても、声の質が相手にどのような影響を与えているかというのは多くの人が無頓着だろう。しかし、人は無意識に相手の印象を声からも受け取っている。尺八の先生や台湾茶の先生が異口同音に言っていたように「正しいかではなく、その人らしく生き生きとしているか」(尺八の先生は英語でcorrectよりaliveが大事だと言っていた)というのが声についても言えると考えている。そんな話や、実践的なボディーワーク、そして食やその他の取り組みなどまさに統合的な取り組みを「声」というのを起点として伝えていければと思っている。

という内容を、タイトルにどう反映させるかというのをあれこれ考え、「Voice of Life」という言葉が浮かんだ。「声がその人の人生そのものを表している」という意味では「Voice is Life」とも言えるかもしれない。一番しっくり来るのは「Voice of Spirit」だが、「Spirit」と入れると一気に精神世界や霊的なもののイメージが強くなり、人によっては敬遠してしまうこともあるだろうか。「声が大切」という視点を持つ時点で、ある程度物質的なことから離れているような気もするので、そういう人にとっては「Spirit」の方がピンと来るのかもしれない。話す内容が声と言葉と心に関することになりそうなので、副題には声・言葉・心という言葉は入れたいが、何か一言で言える、覚えやすいながらもオリジナリティがあるようなタイトルをつけたい。昨日は仮のタイトルで登録をしたが、今こうして書きながら、新たに様々な案が浮かんでくる。「名前にこだわる」というのは私の性質だろう。「あわい」もそうだが、自分が表現したいことが頭の中にあると、あるときそれを表現するのにしっくりくる言葉に出会う。今回もきっとそうだろう。90日の間に3回しか変更できないが、待てばまた変更ができるということだ。今日はこのあと、もう少し言葉について考えを巡らせていきたい。2019.9.6 Fri Zürich

342. スイスでの食生活を振り返って

どこからか、水音が聞こえてくる。上の部屋からの排水が建物内の排水管を通る音だろう。音の存在は感じるが、そこに不快さは浮かばない。水が下に落ちるというのは自然現象なのであって、どんな環境の中でもそこに大いなる力があることを感じられるのかもしれない。

外的な刺激に対する不快さや違和感はないが、今私の胃の中には大きな違和感が居座っている。これは夕方に食べた、ライスボール(ミートソースの入った丸いおむすびを揚げたようなもの)と、てんぷらから来るものだろう。スイス滞在中、朝昼はほぼ普段と同じ、スーパーフードを中心としたドリンクとバナナを摂ってきたが、夕食についてはせっかくだからとスイス料理らしきものを食べてきた。Thunではツナとサラダのプレートを頼んだが、出てきたのは見たこともないほど薄く切られたツナ(マグロ)が広げられた横にガッツリ生野菜が盛られ、横に何種類かのフルーツが添えられているものだった。スイスの中でもThunは特に内陸で山あいの町のため、魚類は価格が高いことが功を奏し、思いの他ヘルシーな食事を摂ることができた。昨日はチューリッヒ内のスイス料理の店に足を運び、スイスの伝統料理らしきものを注文した。説明書きからは、栗やベリー類が使われていることが分かったが、肉や魚が入っているかは分からなかった。出てきたものは鹿肉のようなものがソテーされ、ソースがかけてあり、ニョッキが添えてあった。ドイツ料理にも近いが、それに美味しいソースと果物の活用というフレンチの要素が加わった感じだ。今まで食べたヨーロッパの料理の中では一二を競う美味しさだと感じた。久しぶりに「おかながいっぱい」という状態になったが、もたれのような感覚はなかった。しかし今日は、胃とその周りのもっと広い空間がもたれている。それは、今日食べたものだけではなく、ここ数日の夕食の影響が積み重なったものかもしれない。相対的に身体の微細な感覚というのは弱くなっている。

今回の旅では普段摂取しているほぼ全種類のスーパーフードを持ってきたが、その中で普段と同じように摂れたものとそうでなかったものがあった。旅は明日までだが、ここまでの食について振り返ってみたい。

普段と同じように摂ることができたのは、最近、朝一番で飲むようにしている小麦若葉とヘンプパウダーにアマニ油を混ぜたドリンクだ。その前には、ココナッツオイルを使ってのオイルプリングをしながらの太陽礼拝のポーズも毎朝続けることができた。普段はその後、白湯を飲んでいるが、スイス滞在中、白湯は飲まずに過ごしてきた。これは、先日まで滞在していたジュネーブのホテルでは電気ポットが棚の中にあり、すぐに見つけることができなかったこと、今滞在しているチューリッヒのホテルでは部屋の中に電気ポットがなかったことに起因する。普段は午前中、起床から3時間くらい経ったところでりんごを食べているが、今回はそのタイミングでバナナとカカオニブに牛乳をかけたものを摂っていた。ジュネーブのスーパーで豆乳を探したが、豆乳はスイス国内で作ることができないためか、オランダの倍以上の価格になっていて、移動をはさんで飲みきれないことから牛乳を選んだ。そのためか、普段よりおなかがごろごろしていたようにも感じる。その後は、カカオパウダーとヘンプパウダーにアマニ油を混ぜ、水で溶かしたものを飲んだ。

今回、アマニ油は薬局で購入した透明の容器に入れてきたのだが、前回のロンドンからの帰りのときと同じく、途中で容器から油が漏れてしまった。出発のときは容器のまわりにラップを巻き、輪ゴムで止めていた。そのときはわずかな量しか漏れはなかったが、漏れた油を吸い込むものがなくラップがベタベタになってしまっていたため、ジュネーブからチューリッヒまでの移動では容器の上部にティッシュを巻き、さらにラップを巻いて輪ゴムで止めた。それで上手くいったかと思いきや、チューリッヒについてみると、容器の蓋が開いており、ティッシュもラップも容器を入れていたジップロックもベトベトになっていた。というわけで、残念ながら油の持ち運びというのは今のところ成功していない。しかし、日本で買って旅先に持ち歩いている無印良品の保湿用のオイルは液漏れしたことがないので、それを使い終わったら、そちらの容器にオイル類を入れるのがいいかもしれない。もしくは瓶というのもいいだろう。無印良品の容器というのは特段すごい特徴があるというわけではないが、「容器から液漏れしない」という当たり前のことを当たり前にやってくれるというのはありがたいことなのだと気づく。

ジュネーブのホテルでは電気ポットがあることに半日気づいていなかったが、その後は味噌汁を作って午後に摂っていた。現在のチューリッヒのホテルでも、昨日・今日と、カフェでお湯をもらいクロレラ入りの味噌汁を摂っている。持ってきたけれど全く摂らなかったものはチアシードだ。チアシードは半日ほど水もしくはその他の飲料につけて摂取しているが、午後には出かけることも多く、作る・摂るというタイミングをどちらも逸していた。さらに今回持って来なかったもので、あればよかったものを挙げるとするとはちみつだろう。ヘンプパウダーとカカオパウダーにアマニ油を混ぜたものだけでも十分ではあるが、同じ味のドリンクを飲んでいると飽きてしまう。しかし、そもそも糖分をはちみつという形で摂るのが有効なのかは検討が必要だ。「慣れているから摂りたい」と思うが、それが身体が本当に必要としているかは疑わしくもある。

今回の実践内容を踏まえて、次回以降の旅で持っていくものなどまた検討したい。

これに旅先での運動が加わるとなお良いだろう。先日友人に旅先でボルダリングジムに行くことを勧められたが、改めてそれはなかなか健康的かつ楽しい取り組みかもしれない。全身運動をしつつ頭も存分に使う。普段の生活にも取り入れたいことだ。2019.9.6 Fri 22:59 Zürich

343. 名前を決めるプロセスで深まったもの

普段なら寝ている時間だが、今日は日本時間の土曜の朝にあたる時間、こちらの深夜のセッションがあるため、このあとはゆるく読書などをして過ごしたい。その前に、昨日と今日行ったYouTubeに関する取り組みについて振り返っておきたい。昨日は、YouTubeチャンネル開設のための登録を行った。と言っても手続きとしてはとても簡単で、時間がかかったのはあれこれ考え、仮のタイトルをつけることだ。そして、せっかくならチューリッヒ滞在中に最初の動画をアップしたいと、自己紹介とチャンネルの紹介をする動画を撮ることを試してみた。通常であれば動画を撮る方法を調べることに時間がかかるが、今回は参加していたインテグラル理論のゼミナールの補助教材の中でZoomで録画(録音)をすると便利だということが紹介されていたため早速その方法を試してみると、本当に簡単に動画(音声)を撮ることができた。データの形式の変換など手間がかかるところを、簡単に撮影・保存・アップロードができる方法を知ることができるのは本当にありがたい。というわけで、えいやとはじめてみたのだが、いざ、自己紹介を撮ろうとすると何から話せばいいのかなかなか話がまとまらない。私は普段、仕事柄、人の話を聞くことのほうが圧倒的に多く、人が話していることは頭の中でその構造が整理されたり、感覚的に捉えたり、様々な処理がされているのだが、こと自分が話すとなるとそれを頭の中で同時に処理するのはとても難しいということに気づく。また、普段のやりとりが、相手があるという形なので、相手が発したことを受けて自分も何かを発するという形が多く、自分が自分のペースで進行していくということが普段あまりにも行うことが少ない形だということも分かった。結局昨日は、これだというものが撮ることができずに終わってしまった。

今思えば、自分の中に、何か「系統だってきちんと話さなければならない」という意識が強く働いていたのだと思う。確かに視聴者がいるものについては大事な要素だが、今回取り上げたい「心につながった声」というテーマにおいては、「良く見せよう」「分かりやすくしよう」という気持ちは、私自身が本来持っているものをそのまま表現することを妨げてしまうかもしれない。「声」というテーマを扱うので、それが結果として相手の心に届くものであってほしいとは思うが、それこそ「正しさ」を目指すわけではないので、自分が気負わず普段のままに話しているように声と言葉を発することを目指したい。普段、私は、ごくまれに割と速いスピードで話すことがあるが、それ以外は比較的ゆっくり話をしているはずだ。そのペースは、聞く人によっては合わないかもしれないが、自分が普段YouTubeを2倍速で見ているように、速い方がいい人にはスピードを上げてもらえればいいだろう。自分自身としては静かに、穏やかに、親しい人に話すように、柔らかな空気の中で、ベータ波の状態で声の話をしていきたい。気負う気持ちも大切に受け止め、少しずつ、そのままの自分で話していけたらと思う。

今日は一旦、正式なチャンネル名も決めることができた。「五音十音(ごおんとおん) -心とつながる声の咲くとき-」という名前にいたるまでは紆余曲折があった。まず昨日の時点ではチャンネル名を「Voice of Life –心とつながる声と言葉-」としていた。ボイストレーニングを探している人が検索をしたときに表示されることを考えてVoiceという単語を入れてみたが、「Voice of Life」というのはすでにいくつかのチャンネルで使われていたことや、「あわい」と関連づけたときにより統一感が出るよう、日本語や大和言葉を使ったチャンネル名にできないかと考え始めた。チャンネルでは、これまで学んできたボイスセラピーに、NVCやナラティブの要素を加えることを考えていたが、できればもっと違う要素も入れて独自の形に発展させていきたいという思いもある。そこで、身体や食、お茶の考え方に取り入れている陰陽五行に、あいうえおの五音を当てはめることはできないかと考え、調べてみると、中国で使われる音楽の階名には「五声・五音」という考え方があることや、世阿弥が用いた能の用語にも五音というものがあること、五十音も五行にあてはめられることが分かった。さらに「カタカムナ」という、現在の宇宙物理学にあたる古代科学の古文書に使われているという文字と、現在の五十音の1つ1つが持つ意味についての考え方に出会い、これらが、すでに習得している、五十音を表す動きをさらに深めることになるだろうということを直感した。そんなことから、「五音十色(ごおんといろ)」という言葉が降りてきた。あいうえおの5つの母音を表し、かつさまざまな意味を持つ「五音」という言葉と「十人十色」に使われている「十色」を組み合わせたものだ。さらに、「自分が本来持っている声を発する」というのを表現するのにしっくりくる英語が「bloom」であったこともあり、「声が咲く」という表現を使うことにした。しかし、「五音十色」というのは、音と色が組み合わさって字面は美しいものの、「十色」はどこか、「みんな違ってそれでいいよね」という感じが強いようにも感じる。確かにその価値観も大事なのだが、その中にもっと芯のようなものを持ちたいというか、ただ「違っていい」というのとは違う価値観を表現したいと感じた。そして「十音(とおん)」という言葉が降りてきた。「とおん」というのは「トーン」とも置くことができる。カタカムナの考え方によると、「オ」には「奥深く」という意味があり「ン」はその前に来る音の意味を強める意味があるという。単語の最後が「ン」となるほうが締まりがあるように感じる。前半は「五声(ごせい)」という選択肢もあったが、「ゴオン」という言葉の響きや意味の重なり(五陰・語音・御恩)、全体としてのリズムの良さもあって、「五音十音(ごおんとおん)」とすることにした。副題の「心とつながる音の咲くとき」も、最初は「心とつながる音が咲くとき」としていたが、「が」が短い中に二度出てきて印象が強くなること、「か」には「力」という意味がある一方で、「の」には「時間をかける」という意味があり、後者の方が大切にしたいことに近いことから「の」を使うことにした。

現在もちょうどパートナー先の企業から新しいサービスの名前についての相談を受けているが、名前というのは本当に奥が深い。ちょっとした音の違いから受ける印象の違いというのが意外と先々相手に与える影響の違いとして効いてくる。コピーや商品名を考えるときもそうだが、作り手の想いと結びつきながら、消費されるものではなく、人の心や意識にじんわりと沁み込み、影響を与えていくような名前をつけることの大切さというのをつくづく感じる。YouTubeでは、それぞれの人が本来持っている音(声)とつながることを後押しできればと思っているが、「音」を切り口として名前や言葉に関する解説や提案を加えていってもいいかもしれない。ボイスワークに、インテグラル理論、陰陽五行、カタカムナ、そして食や運動の話を絡めていき、「声」を起点に、人が自分自身の本来持っている力を発揮することにつながる取り組みを広めることができたら、それは私にとっても喜びの大きいものになるだろう。当初考えていたYouTubeチャンネルのテーマよりもだいぶ奥深く、楽しそうなものになってきた。今週末にはぜひ動画の第一弾をアップしたい。2019.9.6 Fri 23:58 Zürich



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