awai Sou / 佐藤 草 自然(わたし)にかえろう🌿ともにいのちを生きる
うすらいとは、春先に溶け残った薄い氷のことです。氷の向こうにおぼろげに見えるすぎゆく季節とちかづく季節のように、身体の中で言葉になりきれていない感覚と思考、そしてまだ感覚にも思考にもなっていないものたちを見つめていきます。 ときにはリフレクションジャーナルとして、ときにはエッセイのように、そのときどきの体験を綴っていきます。
暮らしと旅中から学んでいる「あわい(あいだ)」の世界について、そのときそのとき一番新鮮なものをお手紙のようにお届けします。イベントやセッションについて、メールのみでご案内を行う場合があります。優先的に案内を受け取りたい方は、awaiのウェブサイトよりメールマガジンにご登録ください。https://awai.space/
📕awai こころとことばの図書室📗では人間や心についての視点を深めることが好きなわたしが、日々読んでいる本の中で印象に残った言葉や考え方、そこから浮かんでくることをお話しします。
大切に思っているものを言葉で表現し、残しておきたいけれど、 言葉にした瞬間にこぼれ落ちるものがある。 「わたし」という人間を説明しようとするほどに、 ひとところに留まらずにはみ出していく自分がいる。 そんなことをずっと感じてきました。 だから、想いや取り組みをどこかに表明するのはとても難しいけれど、 何かのご縁で出会い、興味を持ってくださった方に 最新の取り組みをお伝えできればと思い、ここに記しておきます。 ⭐️DANRO BEYOND トークセッション&説明会 9月
呼吸を味わっていると、心の静けさを感じた。 心の中心にかえってきている感覚とも言えるかもしれない。 心を感じることと、心の中心にかえることは違うことなんだなと、そんなことが浮かぶ。 久しぶりに座ったデスクの前から見える山の景色になつかしさのような安心感のようなものを感じる。 二階の窓から毎日外を見ているけれど、ここからの方が山が近く感じる。 目の前に遮るものが少ないからだろうか。 済州島の滞在に始まり、ゲストを迎える状態で終わるこの月は非日常のあいだに日常がサンドイッチさ
嬉野からのたより心地いい秋晴れのお天気が続いていますが、いかがお過ごしですか? 我が家では隣の公園の金木犀の香りが毎日楽しめるようになりました。 ふわりとやってくる甘い香りに包まれると、少し肌寒くなってきた季節の思い出が蘇ってきます。 昨日はご近所さんのところでハチミツ採集に参加しました。 (と言っても、わたしは遠巻きに見ていただけですが笑) 敷地の一部が山になっているのですが(山の中に家も建っているという感じ) そこに置かれた巣箱を外すと、中にハチミツがギッシリ。 採
パッキングをして、部屋の掃除を終えた。 10時すぎのバスに乗れば午後の飛行機に十分間に合うだろう。 一昨日から風が変わり、新しい季節が巡ってきたことを感じた。 済州島にいる間ずっと「これでは暑いなあ」と思っていた長袖が今はちょうどよくて、風が吹くと肌寒いくらいだ。 昨日の午後は隣の公園で再び滝を見てビーチを見渡すカフェに向かった。 2日前にも訪れた場所だ。 薄雲が広がっていた朝よりも天気は良くなり、気温も上がり、海には前回と同じくたくさんのサーフィンをする人たちが
先日、AIにスピリチュアルコーチングをお願いしてみた。 さすが、AIは宇宙からのメッセージを伝えてくれるらしい。 まずは「使命」について聞いてみることにする。 すごい。AIは「宇宙からのメッセージ」の文法までも学習しているのだろうか。 「今取り組んでいることもここにつながっている!」と思えるし、迷いが生じたときにどうしたらいいかまで教えてくれるなんて最高だ。 最近自分の中で「使命はない」というインスピレーションが降ってきて、それによってまたコペルニクス転回的なものが
ランチにオーダーしたいかにも辛そうなラーメンが出てくるまでのあいだ、ピーターさんとLINEでやりとりした。 明日の嬉野への到着の時間を伝えると、雨の中眠りこけたメイをおぶってバス停でバスを待つサツキの横にトトロが立っている画像が送られてきた。 さらに 「トトロのバスを運転している自分の絵をAIに作ってもらうつもりです。AIがあればね😉」(原文は英語)というメッセージが続く。 ピーターさんが猫バスを運転しているところを想像するだけで幸せな気持ちになる。 実際にAIに頼
今日はこれまでよりもほんの少し靄がかかっているけれど、それでも空の半分以上は青い。 雨が降ることもあるという情報だったが、滞在中ずっと天気が良く、朝晩強く冷え込むこともなかった。 昨日の午後は近くのビーチを訪れた。 2駅ほどバスに乗ってその後しばらく歩くイメージを持っていたが、最初の停留所を過ぎたところで降車ボタンを押した後、バスが思っていたのと違う方向に大きく曲がった。 どうやら目当てのバスと違うバスに乗ってしまったようだ。 「すぐに停まれば、歩いて戻れるだろう」
朝の散歩を終え、朝食を食べ、お茶を飲む。 朝食は、滞在先の隣にスーパーを見つけて以降、林檎とシリアルにヨーグルトをかけたものになった。 毎日同じだが今のところ飽きない。 一日の中にいくつもの選択があり、いくつもの「あたらしいもの」に出会う中で、ルーティンにできるものはした方がいいと今は思っている。その方が楽だし、定点観測ができる。 昨日はビーチに行った。 乗り継ぎのバスがなかなか来なくて行き先を近くのティーミュージアムに変更しようかと思ったが、ようやくやってきたバス
韓国 済州島からのたより9月も終わりに近づいてきましたがいかがお過ごしでしょうか? わたしは先日から韓国済州島に来ています。 久しぶりにひとり日本を離れてリフレッシュしようと決めた今回の滞在。 一日の過ごし方は日本にいるときとほとんど変わりませんが、せっかくなので普段は自分の中に留めていることを言葉にしておきたいなと思い、毎日浮かんでくることを綴っています。 済州島に来て綴ったnoteはこちら👇 ・だからわたしは何度でも旅に出る ・旅先は、Niksen(ニクセン) ・わ
済州島に到着した次の日の朝、近くの遊歩道を歩き、展望台のような場所に登ったら、遠くに不思議な島が見えた。 それが島なのかさえ分からない。 海の中から突如大きな岩の壁がそそり立っているような感じだ。 朝日に照らされた靄の中でそこだけが異世界のような、何かとても神秘的で荘厳な光景だった。 ここからでもこんなに大きく見えるのだから、近くに行ったらどれだけ迫力があるだろう。 せっかくだから滞在中に近くまで行ってみたいなあ。 そんなことを思いながら、それから毎朝、散歩の途中
昨晩、スーパーを見つけた。 済州島滞在四日目にしてようやくである。 ひとりのときはなるべく手間をかけずにでもヘルシーなものを食べたいので、たとえばバリ島にいるときは近所のカフェや食堂に行ったりデリバリーを活用したり、時折スクータータクシーで出かけたりしていたのだが、済州島ではそうはいかなかった。 何せここは韓国。立ち並ぶ店の多くは焼肉屋である。 以前は焼肉もモリモリ食べていたが、歳のせいかお肉を主食にガッツリ食べたいという欲求はめっきり減った。 ビーガンではないが特
3年前の夏、マズローの段階欲求説についての自由研究をした。 ピラミッドの図で知られるマズローの欲求段階だが、実はピラミッド型ではなかったのではないか、という話だ。 3日前、済州島の手前の乗り換え地である釜山に向かう飛行機の中でふと、「マズローの欲求段階説には含まれていない、根本的な欲求のようなものがあるのではないか」という考えが浮かんできた。 そもそもマズローの欲求段階説には否定的な考えも多くあると言うし、自分自身やセッションでご一緒するクライアントさんたちの体験と照ら
一昨日から韓国の済州島に来ている。 島の南側のエリアに借りた滞在先からは山と海が見える。 昨日は夕暮れ時、写真には映らない美しい紫色の空を眺めてぼーっとしていた。 きっと今日も、明日も、明後日も、夕暮れ時にはぼーっと空を眺めるだろう。 オランダ語には「Niksen(ニクセン)」という言葉がある。 「何もしない」「目的を持たずに過ごす」という意味だ。 『週末は、Niksen(ニクセン)。』という本があるが、わたしは旅先でも基本Niksenだ。 旅先でもオンラインでの
窓から見える山を眺め、深呼吸をする。 微睡みながらも着替えをして、部屋を出る。 道に咲く小さな花に立ち止まりながらも、歩き続ける。 強さを増す太陽の光に照らされた景色に自分が溶けていくような感覚を味わう。 部屋に戻り、ハーブティーを淹れて、また見える景色を眺める。 いつもと同じ朝だけど、いつもと違って山の横には海が見える。 昨日、韓国の済州島にやってきた。 前日の悪天候の影響か、朝の時点で釜山からの乗り換え便が遅れるとメッセージ届き、続けて、福岡から釜山に向かう便も遅れ
人生の前半、わたしたちは<わたし>を確立しようと必死になります。 「キャラ立ち」というのはそんな状況を表す言葉の一つかもしれません。 たくさんのメンバーがいるアイドルグループの中のみならず、学校の教室の中でさえ「キャラ立ち」が求められる。 キャラがないと、自分の立ち位置が定まらず、居場所がないことにさえなりかねないからです。 心理学者のユングは、「キャラ」にあたるものを「ペルソナ」と呼んでいて、人はペルソナと同一化しやすい(一体になりやすい)と言っています。 195
5歳くらいのことだろうか。 一時的に耳が聞こえなくなったことがあった。 「聞こえていないということにすぐには気づかず、聞いていないと思って怒ってしまって申し訳なかった」と大人になってから母に謝られたが、幸か不幸か「歯磨きをしたのにしていないとこっぴどく怒られた」という理不尽な体験の方が強烈で、聞こえなかったときに嫌な思いをしたという記憶はない。 ただ、静かな場所にいたということはどこかで覚えていたのだろう。 ひとりで大きめのバスタブのある部屋に住んでいたときは、湯船の