【小説】押花








数多の仲間達が斃れた。直接面識のない仲間達が死んでゆくのを感じた。生き急いで手脚をもぎ取られ、死ぬことも出来ずただ蒼穹を仰いでいる彼のことや、使われずに埋められた兵器の在処についての噂が生温い風に乗って俺のもとまでやって来る。俺は死ぬことができるのか。立派に役目を果たすことができるのか。

俺達の役目とは制覇することだ。未知なる敵を全て従えることだ。全てを一つの名の元に集結させるという目的から発した制覇せよという至上の命令に従うこと、それが俺達に与えられた唯一無二の使命だった。俺達の行動の全てはその命令に許されていた。その命令に関わる行為以外が、休息が、後に俺達の行為を取り纏めるであろう戦記で語られることはない。

でもどうだろう、数多の人々を打ち倒したら褒章として俺達の名があの遅蒔きな巻物に刻まれるのだろうか。もし仮にそうだとしても、命令は未だ俺達を保持しているし、俺達は過去のものとして哀れな燃え滓として葬り去られてしまう。名を残す前に予め死ななければならない。名を失ってから死ぬのだ。そのような外郭へ追いやられているのだ。俺達の行為の応酬が止むとしたら、それは戦記として取り纏められる時だろう。

俺は常々考えた。自分がどんな判断を下そうとしているのかを。いや、考えることによって、俺は殺すことも殺されることも躊躇っていた。俺はずっと引鉄を引くと時が来ないように考えることに留まっていた。引鉄の瞬間は来ない。俺が決断しない限りは何も起きない。俺が持てる唯一の能力とはこうした遅延行為なのだろう。それは虚しい。そして俺は時間が千切れて虚空にこの身を食わせる時が来るまで、この空白地帯で戦い続けなくてはならない。

丁度、内地の管理局が俺の存在に関する証書を破棄している頃合いだろう。使い捨ての歩兵に任命された者はそれが帰還するかどうかに関わらず、追放されたものとして、予め用が済んだものとして処理される。俺の存在は抹消されたのだ。故に俺は故郷に帰ることができない。故郷と呼ばれていたその場所に、俺が居座ることを許す囲いなどはもう存在しない。土地に根ざした家、借家であろうが持ち家であろうがに関わらず滞在することはもう許されない。存在しない者にどんな権利が認められると言うのか。俺は宿は愚か貨幣を手に入れる術を全て失ってしまった。俺はそこに居れない。そこにおける俺の存続は不可能だ。俺は亡霊だ。どちらでもない身を引きづりながら完全に忘れ去られるのを待っている。故郷にいる家族は今の俺を見て何を思うのだろうか。それとも既に忘れ去ってしまっているのだろうか。

風が頬を搏つ頃、俺はふと彼等の事を思い出す。その名も知らぬ友が心を折られて故郷へと帰ろうとしていた事を。彼等は何も言わなかった。言う術を奪われていた。当て所なく歩き彼等は俺の目の前から姿を消した。恐らく彼等は死んだ。故郷に辿り着く前に死んでしまったはずだ。言うべき言葉を見出せずに傷だらけの胸中諸共、埋葬されてしまったのではなかろうか。仮に内地に戻っていたとしても亡霊として扱われているに違いない。それは扱われない。そうした彼等の末路を想像するのは易いものだ。彼等は無駄な事すらも台無しにしてしまったのだ。もうこの地帯には何もないと、裏切れぬものを裏切って無様に孤独に死んでゆくのが定めだったのだ。

俺は歩いている。風見鶏が一度たりとも停止することのないような混沌とした風の中を。そんな様子だから俺の足跡はすぐに掻き消されてしまう。俺はどの方角から来て何処へ向かっているのだろうか。俺にはもう分からなかった。俺は野営をし、拠点を移し、乍ら気の赴くまま空白地帯を転々とした。歩く度に空の水筒が俺の身体とぶつかり音を立てる。水場はどこにあるのだろうか。俺はそれを問おうともしなかった。水筒に水を注ぐ権利、水を一つの場所に留める権利を、何かを携帯する権利、それら全てが既に奪われてしまっている気がしたからだ。

俺は何処にいるのだろう。嘗ては極北を目指したこともあった。だが何故其処を目指したのか。仮に辿り着いたとして其処で俺は何をしたのだろうか。恐らく其処には誰もいない。人類が其処に辿り着いたことなどないのだから。そういう懐疑は俺が極北を目指すことを度々遮った。風が目的地まで運んでくれればと考えることもあったが、疑いによってそのような想像は剥がされ砂塵と共に眼の前から消えていった。地図を頼りにしようとした時もあった。だが、この地帯特有の強く白い光に眼の光量を調節する機能を奪われてしまい、俺は昼か夜かも分からなくなっていた。故にそんな巡り来るだけの期間は俺の中で徐々に価値を失くしていった。

俺は何をしているのだろう。何もしていない。俺が歩むことは何の予備動作でもない。動作を想定していない。斃れていった仲間達の銃がそこら中に落ちていた。調べてみると、落ちていた全ての銃には一発だけ使った形跡がある。彼等の死体は真空地帯の自浄作用によって、方向も無い強い風と砂によって埋められてしまっていて跡形もなくなっていた。だが銃は必ず残っていた。彼等の最初で最後の決断、一発だけ放たれた銃は恐らくそれを証しているのだ。俺は無粋にもそれを鹵獲しようとした。しかし、それらの銃の引鉄は凍りついたかのように硬直していて、見た目からは分からないが全く使い物にならなくなっていた。現に俺は引鉄を引くのを躊躇っている間として思考しているのだし、弾丸を拝借したところで使う当てがない。内地からの支給品は皆同じだ。規格が同じだから流用することもできるが、消費されることがないので態々取り替える必要がない。

俺は他の彼等と通じ合うことができるのであろうか。彼等と出会うことができるのか。俺は決断の証が落ちているのを見ると途端に安心した。当て所ない寄る辺ない不安が癒えてゆくのを感じた。俺は心の底から出会いを渇望していたわけではないのだ。ただ不安を鎮めてくれるものとして彼等が共に戦っていたということさえわかれば抱いた使命が曇ることはなかった。このような扱いを受けながらも俺達は内地の為に戦っている。使命の為に命を使っている。正しくは俺達の戦いは内地の計略の中に回収されうる限りで戦いなのだ。きっと内地の誰かが俺達の戦いの証を回収する時が来る。戦記の中に取り纏めるられる時が来るように。


ある時、何処からか歌が聞こえてきた。途轍もなく高い処から降ってきたような声を用いた歌が。それは紛れもなく絶唱だった。俺は考え無しに胸の衣嚢に入っていた手帳を取り出した。その蒙昧で音の輪郭が重なり潰れてしまっている歌を聴き取ってそこに記した。忘れないように胸裏でもう一度復唱した後、歌の聴解の証をそこに書き込んだ。その歌は分節された声の重なり連なりで作られていたが、どのような内容を持つかはわからなかった。俺にはわからない異国の言語で歌われていた。俺は気力を振り絞って、集中してそれを聴き取ったものを書き留めた。初めての経験だった。書いたものが歌を留められているか不安になった。俺はそんな不安の中で、数輪で一つを成す見たこともない異様な花、この空白地帯だけに位置する花が咲いているのを発見した。
俺は手を伸ばし、その花に触れようとした。すると自分が触れた感触が手に返ってくる。俺は確かにその花に触れた。何故だか不安が癒えた気がした。俺の歌の聴き取りは正確であると確言されたような気がした。歌の聴解の印とその花は殆ど同時的だったから、そう思いこんだのかもしれない。だが何一つ疑う余地もないと断言できる程、頑なにその発見は肯定されていた。俺はその数輪から成る一なる花を摘んで手帳の書き込みの中に挟んだ。そして、そうした手帳を地面に置き銃床で強く押し込んだ。

誰かにこの手張を回収してもらわなければならない。俺は高い処の歌に応答しなければならない。当初の使命、それは判断だった。今まで迂回し過ぎていて忘れていたが俺は判断を求められていたのだ。俺は内心それを拒み続けていたからこの空白地帯へと追放されたのかもしれない。でも、今となってはそんな消極的で低い理由などはどうでもよかった。俺はあの歌を裡に綴じたこの手帳に市場のではなく、至上の価値を置くことにしたのだ。この歌の確立以外になすべきことは何一つない。俺は素直にそう思った。その確信を授けてくれた花、この不毛な空白地帯の異様さを知らせる花、殆ど花とは言えない様な花、内地では見ることのできない花も一緒に綴じてある。これを見つけた者は腰を抜かすだろう。その美しさと新しさに酔い痴れるだろう。至上の市場と私情と史上の外の紙上に一つの豪奢が煌めいているのだから。

何としてでもこの手帳を内地に送らなければならない。端末に呼びかけてみても誰も応答しない。きっと俺は一つの応答であって呼びかけではないのだ。俺が応答している間は、この空白地帯で判断を先延ばしにしている間は、何も起きない。俺は俺が埋葬された後で銃だけが回収された後で、それに基づいて創造される無名の敗者が列聖されるだけの戦記に名を連ねるつもりは更々ない。寧ろ、そうした計略に組み込まれるのを避けなければならない。戦記には描かれない休息や、この空白地帯の不毛さを簡潔に示したものとして、この手帳は他の戦記とは違い唯一の価値を持っていると俺は確信していた。俺はこの手帳を内地に運ばせる術を考えた。判断するに至った人々は通常、銃の枠、丁度用心金にあたる部分に首下げの識別札を括り付けて己の名を銃に委ねる。そして内地の者が回収させる。これは推測でしかないが、先人達、死んでいった仲間達はそういった手順を踏んでいたと思われる。無論、推測である。僕がその痕跡を訪ねた限りでは確かにそうだったのだ。俺は筆記具を使って手帳に一つの穴を穿った。その穴に識別札を紐付けて銃の用心金に当たる部分に括り付けた。内地の者は恐らく銃を目安に回収に来る。銃は最初で最後の究極の道具として俺達に支給されていた。恐らくこの銃に紐づけなければ手帳は仲間にも内地の者にも回収されなくなる。俺と一緒に風に運ばれた砂によって埋められてしまうだろう。

友よ。俺の銃を見つけたら紐付けられている手帳の押花の頁を開いてくれ。穿った穴から紐を廃棄して手帳だけを持ち去ってくれ。そしてどうにか内地に届けてくれ。報せてくれ俺の成果を、俺の虚しくされた使命を受け取ってくれ。俺には筆記具で穿った手帳の穴の虚しさを埋めてやることはできなかったが、お前ならきっと上手くやってくれるだろう。

報せてくれ、この空白地帯の不毛について歌った高邁なあの歌の証を、その歌に確かな質感を与えてくれた不毛な花について。今更になって思う、俺の考察は正しくなかったのではないかと。もう抹消してしまいたいと、恐らく躊躇いや迷いはもう十分示された。俺は判断すべきなのだ。肉体を引き剥がす時が来たのだ。唯一の一回きりの至上の判断の時が。結局俺は帰還することができなかった。いや、還れないことを既に知っていたがそう結論づけるのを躊躇っていた。だから俺は還らないことを、帰れないことを、空白地帯のことを、何も起きないという事を印づけた。それは俺が望んだ事だ。友よ還らないという報告を届けてくれ。

恐らく俺は彼等と同じように埋もれて行くだろう。肉体は忘れ去られる。最初で最後の弾丸を一つ消費して判断を形成する。肉体は銃から剥がれて忘れ去られる。俺は最後の策略を、銃を肉体の方へ後退させ手帳を前面に押し出することを実行した。こうすれば手帳が発見されやすくなる。来い、判断の時だ。引鉄に指をかけ、俺は遂に考える事を止めた。



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