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ルックアップザナンバー
台所で鍋に蕎麦を入れたところで電話がかかってきた。
僕はLPレコードでザ・ビートルズのYou Know My Name (Look Up The Number)を聴いていた。蕎麦を茹でている時に聴く曲ではないかもしれないが、では蕎麦を湯掻いている時に聴くべき曲とは何だろう。
レコードの針をあげ、とりあえず電話にでた。
「最近ニュースでやってるあの芸能人の話聞いたか?」
男が僕にそう尋ねた。男の声にこころ当たりはなかった。
「すいません、どちら様ですか」
「あの人も可哀想だよな、吊し上げられて。どうせみんなやってるっていうのに。」僕の問いかけには答える気はないようだった。
そのまま男は話し続けた。
「芸能人っていうのはこういう時に真っ先に吊し上げられて、居場所を奪われて、飽きたらまた違う芸能人が吊し上げられる。本当に嫌になるね。でも本当にあの人がそんなことやってたのかな? 俺にはそんなふうには思えないんだよな。」
男の声はある程度歳を重ねているようにも聞こえたが、
時折少年のような話し方をした。
「知らないけど、僕は今蕎麦を茹でてるんだ。このまま話し続けるなら蕎麦が伸びてしまうんで切りますよ。」僕は少し苛立ちを込めて男にそう言った。
「まぁいいじゃないか、まだ茹で始めたばっかだろ。それに、いい蕎麦は茹で上がってから多少蒸らした方がコシが出てうまいんだぜ。」
男はなぜか僕が蕎麦を茹で始めたばかりだということと、蕎麦のちょっとした豆知識を知っていた。いや、知っていたわけではないだろう。
電話を切らせない為に今思いついたに違いない。
蕎麦の茹で時間だって4分くらいのものだ。パスタなら話は別だが。
「何の用ですか。というかどちら様ですか。」僕は先ほどと同じように聞いた。
「俺の名前を知ってるんだろ? 電話帳で調べてみろよ。」僕は電話を切った。
何だったのだろう。折角人が気分良く音楽を聴きながら昼食の準備をしていたというのに。固定電話を持たなくなってから今のようないたずら電話は無くなったと思っていたのにまさか携帯電話に掛かってくるとは。
電話が終わってすぐ、セットしていたキッチンタイマーが鳴った。
まるで男が蕎麦が茹で上がるまでの待ち時間を電話で潰してくれていたかのようなタイミングで何となく腹が立った。
謎を残したまま僕は考えないようにしようと思い、
茹で上がった蕎麦を食べて食器を片付け、喫茶店へ出かけた。
喫茶店へ着くと僕はホットのアメリカンを注文し、持ってきた本を読み始めた。喫茶店は午前中に全ての家事を終わらせた主婦や、午前中の授業が終わって空きコマを潰している大学生のグループで混雑していた。
後ろのボックス席に座っていた大学生のグループが何やら騒いでいた。
「ニュース見た?あの芸能人、終わりだね。」
「え、何が?あの人が何かしたの?」
「枕営業が発覚して引退させられたんだよ。」
「え、やば!」
僕は勘弁してくれと思った。さっきも電話で謎の男に似たような話を聞かされたばかりなんだ。もうその手の話にはうんざりしていた。
一人一人の声はさほど五月蝿くなかったが、集まって話しているため、周りが見えていないようだった。反対側のテーブル席に座って仕事をしていたサラリーマンの男も、はずれの席をに座ってしまったような顔で悟られないようにイヤホンを取り出して装着した。
殺し屋が銃を素早い且つ慎重にリロードする時のような手つきだった。
僕も昔はその類のゴシップやその時の流行りが好きで
よく友人と話していたが、他のお客に迷惑をかける程ではなかったと思うし
そのような当たり障りない誰とでも話すことのできる話題には
早い段階で興味が無くなったように思う。
浅い話をする連中とは一線を引いて壁を作り、哲学のような答えのない深い話題を延々と話せる友人とよくつるむようになった。
そのせいで友人はかなり少ない方だが僕はそれでよかった。
気を使いすぎる必要もないし、
周りの真面目な空気に必要以上に付き合いすぎなくて済む。
僕はアメリカンを飲み干してすぐ会計を払い、早い段階で喫茶店を切り上げた。帰り道川沿いを歩いているときに昼間の男が言っていたことを思い出した。
「俺の名前を知っているんだろ? 電話帳で調べてみろよ。」と男は言っていた。
そういえばその時聴いていた曲もそんなタイトルだった。
僕は蕎麦を茹でるのに夢中になっていて、通知された電話番号を見ていなかった。
改めて携帯で着信のあった電話番号を見ると、
そこには学生時代に僕が使っていた番号が表示されていた。
男は大学生の頃の僕だった。
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