青色色素を藍菌が還元するメカニズム
藍の青色色素を醗酵によって水溶性にする!?
藍の染色は他の植物による染めと比べると大きく違うことがあります。藍の葉に含まれる青色色素が水に溶けないため、容易に染色することができません。正確に伝えますと、しばらくの間は水に溶けるのですが、すぐ水の中で溶けない物質に変わるのです。色素が水に溶けるということは、染める対象の繊維に浸透することで色素が固着し、より強固に固着するため媒染剤という両者を取持つ物質の力も有効に利用できます。
水に溶けない藍の色素を水に溶かし、布や糸に浸透できる状態にする技術が考えだされました。建染染料である藍は、還元と酸化という化学反応によって物質を変化することで、一時的に化学構造を変えアルカリ水溶液に溶けて染まり、空気で酸化することで固着します。酸化還元反応は18世紀には明らかにされて、生活の中で一番身近な化学反応なので化学薬品の豊富な現代においては容易に行うことができます。人類はこの酸化還元反応を化学薬品のない古代から、醗酵という手段を使って活用してきました。葉藍から〈すくも・蒅〉に加工する間に藍菌と呼ばれるアルカリ性で活動する細菌が植付けられ、染液にする過程で大量の有機物と木灰汁の中で増殖し、醗酵という作用で青色色素(インジゴ)を還元します。化学的に葉藍や蒅を還元剤を使って還元する作用とは、明らかに違うメカニズムが生じていることと思います。この作用の違いが曖昧なまま解釈され、同一の作用として受容した結果、多くの誤解を生むことになりました。
本来藍の葉に含まれる青色色素は容易に染色できないのです。醗酵によってやっと水溶液に溶け、繊維に浸透し空気によって酸化した青色色素は、また溶けない物質に変わっているはずです。建染染料は顔料のように付着染料ともいわれるように、摩擦により他の繊維に付く性格もあります。しかし青色色素に染まる力がないのであれば他のモノに染め付くことはないと思います。
近代の藍染製品の特長として、一緒に身に着けている白、薄い色のものを藍で染めてしまい、着用する際は気をつけることが通常となっています。一体どのような藍なのでしょうか。
藍の還元に有用な細菌ー藍菌が還元するメカニズム
初めて徳島で藍染の話しを聴いたとき、染液の表面が紫紺色なのは藍の色素が酸化しているからで、液の中は青味は無く少し赤味の海松茶色なのが不思議でした。今では藍の色素が水に溶けないことも、還元と酸化の化学変化で色を失って水溶性の染液をつくることも、布や糸が浸透しただけでは青く染まらないこと、染液から空気のある世界にふれた途端に酸化して、また元の青い色素に戻ってくること、が当り前のことに思える日々を過ごしています。
有機物を含む蒅(すくも)のなかには多くの細菌(バクテリア)が生息していて、その数は数えきれないようです。というより、調べたことはないのでは……と思ったりします。藍の還元にとって有用な細菌は嫌気性の性質をもっているから、できるだけ染液に空気を入れないように、静かに作業をすることが求められています。一方染めの仕事が終わった後は必ず、下に沈んでいる蒅が浮上するくらい強く撹拌をします。当然、染液のなかに空気が混ざり液が酸化されます。強アルカリ性を好む細菌の活動によって、細菌がつくりだす酸によって染液の下層のアルカリが低くなっていきますので、均一にするということは想像できますが、あまり撹拌し過ぎるのはどうなのかなと、矛盾する行為なので長く疑問に思っていました。
以前から藍の還元に有用な細菌は5~6種類であるといわれていましたが、長らく明らかになることが待たれていました。1995年以降分子科学の研究が進み、藍に関係する細菌の活動もどんな働きをしているのか少しずつ解ってきました。それぞれの細菌の研究が進み、好アルカリ性乳酸菌であるAlkalibacterium 属の細菌は嫌気性微生物であり、藍染液の中層から下層の嫌気条件下で糖から乳酸を生産することで藍を還元します。一方Halomonas 属の好気性・好アルカリ性乳酸資化菌も存在していて、蓄積された乳酸を栄養源として利用しつつ、酪酸を蓄積して微生物共生系を安定し維持することで役立っていると考えられているようです。藍の還元に有用な好アルカリ性乳酸菌は他に何種類も分離されていて、もっと詳しいことがいずれ解る日がくると思います。
日々観察することで藍菌の管理を見抜く力と、的確に行なってきた先人たちの素晴らしい洞察力を誇りに思います。
藍の布から青い微粒子を化学的に回収 襤褸藍 -ぼろあい-
襤褸藍-ぼろあい-と聴くと近年は、破れたら当て布をしてまた使い、何枚も重なる擦り切れた布と縫い目の、継ぎはぎだらけの布を想像する人が多いかと思います。明治期でも布類は庶民の暮らしには高価な貴重品でしたので、襤褸(ぼろ/らんる)と呼ばれ日本各地で人々の手で創意ある布が、慈しみ使われていました。江戸時代のリサイクル生活様式に感銘を受けていたとき、多くのことを知りました。藍の布が着物-布団地-おしめ-雑巾など様々な形に変わり、最後を向かえるときまで充分活用される知恵などです。
大事に使われてもやがて使われなくなった藍の布を、また買い集めて一ケ所に集め、集められた襤褸から藍の微粒子を集めるのです。驚きました。布から染料をまた回収できるなんて、誰が思いついたのでしょうか。藍の襤褸を集め、灰汁に石灰、水飴を混ぜ煮沸させ浮き出てきた藍の泡を集めます。臼で布を搗いたりもしていました。青い微粒子を集めて乾燥させて固形状にしたもの、膠を混ぜて固めて顔料にしたものなどを画料・染料として使っています。これが江戸時代の襤褸藍です。
藍を化学的に理解していれば可能なことは解りますが、江戸時代の素晴らしい人々は青い微粒子を見つけ出しました。色の抜かれた残りの木綿・麻の襤褸は、屑屋の紙くずと混ぜて漉き返され、浅草紙にリサイクルしていたということです。
明治12年の「藍鑞卸売商営業鑑札」が残る浅草・藍熊染料店の創業は文政元年(1818)で、初代は漢方薬店を商い、その後藍鑞を製造・販売していました。「紺肖切(藍布裂)・蛎灰・飴を釜の中にいれ、水煮し浮き出す藍泡を掬い藍鑞を製造。藍鑞は紺屋へ売却、残った襤褸も売却」との内容が記された文書が残っています。これは襤褸藍の製造と同じと思われますが、できあがったものは藍鑞と呼ばれています。本来の藍鑞とは藍瓶の縁に付着した藍分や、藍の華と呼ばれる染液に浮かぶ青色の泡を精製して造った純度の高い固形物です。不純物が少なくて光沢があったので藍鑞と呼ばれていました。藍花•青黛•青代•藍澱•靛花などとも呼ばれ江戸初期からの利用がありました。
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https://www.japanblue.info/about-us/書籍-阿波藍のはなし-ー藍を通して見る日本史ー/
2018年10月に『阿波藍のはなし』–藍を通して見る日本史−を発行しました。阿波において600年という永い間、藍を独占することができた理由が知りたいと思い、藍の周辺の歴史や染織技術・文化を調べはじめた資料のまとめ集です。
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