人を遺した人 野村克也
野村克也さんが亡くなって、今日で1年が経つ。
もし私の人生の中に「ヤクルト黄金期」がなかったら、私の人生はどうなっていたのだろう。
どう転んでも、一庶民の取るに足らない人生であることは変わりなくても、勝ったときの喜びを知り、その裏側にある負けたときの悔しさに気づき、その悔しさを放っておかず歯を食いしばるって立ち向かう野球選手に、私は人生を学んだと思っている。
何より、選手と勝利を分かち合う経験した。ヤクルトの選手は、誰も私のことを知らない。それでも、「勝ったぞ!」とスタンドにガッツポーズを向ける仲間のいる神宮が、私にとってのホームグラウンドだった。
そんな、明るい人生をもたらした人。それが、野村克也だった。
野村克也には、たくさんの名言がある。その中のひとつ、
財を遺すは下 仕事を遺すは中 人を遺すは上
という言葉が、今もヤクルト球団に生き続けている。
▲2020.12.6 スワローズファン感謝DAY2020 特設コーナー
2021年スワローズ春季キャンプの臨時コーチとして招聘された古田敦也は、連日精力的に後進の指導に当たっている。ブルペンキャッチャー、バッティングピッチャー、キャッチャーノック。すべてのポジションにおいて、核となる指導者となっている。
そして、古田自身が現役時代に鍛えられた野村ミーティングも、古田の手によって、浦添の地で「古田ミーティング」として再開された。
つくづく、野村克也の金言が身にしみる。
野村克也は、古田敦也という人を遺した。古田だけではない。監督の高津臣吾、二軍監督の池山隆寛、コーチには土橋勝征がいて、伊藤智仁が帰ってきた。他球団には栗山英樹、矢野燿大、三木肇。そして、カツノリ。
たくさんの野球指導者が、今、野球選手という人をつくっている。
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野村監督。
監督がいなくなったあと、大変な世の中になりました。
野球の風景も、変わりました。球場に足を運べない日々が訪れるなんて、考えてもみませんでした。
あの頃の神宮は、楽しかったです。優勝の味を味わってしまったから、負けることが悔しくて、岡田正泰団長に「声出せ!」と発破をかけられ、いっつもライトスタンドで大声を張り上げていました。
そんな日がまた戻ってくるのか、今は分かりません。
広沢克己さんに「あの頃が一番楽しかった」と話したそうですね。戦後初の三冠王を獲り、御堂筋の優勝パレードをした南海時代よりも、ですか?
現役時代は、苦しいことしかなかったかもしれません。でも、苦しみなら、一球団を優勝させることが任務である監督業もまた、同じなのではないですか?
あぁ、だから?だから、重圧という壁をぶち破って手に入れた「優勝」を重ねたあの時代を、一番楽しかったと言い切れるのでしょうか。きっと、野球選手にとって優勝が唯一、苦労が報われる瞬間なのかもしれませんね。
古田敦也が、現場に戻ってきました。野村監督が望んでいる「監督」としてではありませんが、たくさんたくさん、野球を現場に落としていってくれています。
あなたが育てた指導者です。あなたが、遺した人です。
そして、その人がまた、人を遺すために一肌も何肌も脱いでいます。
こうして紡がれる伝統を目の当たりにすると、なんだか歴史小説を読んでいるようです。
さて、遺した人のひとり、真中満がもたらした優勝から、5年が経ちました。
今年こそ、遺した人・高津臣吾を優勝監督にしてください。
令和3年2月11日 田村 歩
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