私が瞑想を始めたきっかけ、瞑想誘導
1.きっかけ
私が瞑想を始めた、一番最初のきっかけは、アメリカ人の友人が瞑想誘導をしてくれたことでした。
20年以上も前のこと、当時の私は、毎日終電まで仕事、朝から夕方までは電話の鳴りやまないオフィスで事務の仕事をしていて、土日はひたすら睡眠で何とか1週間乗り切る、という日々。
身体や脳はクタクタでした。
精神的には、特に病んでいる認識はなかったです。
当時、日本で「瞑想」という言葉自体なじみもなく、自分でやったこともなかったのですが、アメリカ人の友人から、瞑想を日常で取り入れた方がウェルビーイングにつながるし、アメリカではすごく一般的になっている、という話を聞き、本人が誘導してくれるというので、気軽な気持ちで受けてみました。
2.「あなたは今どこにいますか?」
はじめはゆっくりとひたすらリラックスしていきます。
でもどんどん意識の深い場所へ降りていくと・・・。
「あなたは今どこにいますか?」
私が体験したのは、
“真っ暗な暗闇の中、必死にロープにぶら下がっている自分”
足元は永遠に落ちるかのような暗闇で恐ろしくて、だからって上によじ登るような力もなく、本当に苦しくて必死で、辛くて怖い状態でした。
「手を放してみたら、地面はすぐ下にあって、安心するかもしれませんよ。」
そう言われたけど、そんなこと、絶対にない!まるで光のない宇宙のど真ん中にぶらさがっているような感覚。
瞑想が終わって、茫然としました。
私の中の闇が、もう限界のような世界をつくっている!
あのショックと怖さは今でも思い出せます。
おかげで私が瞑想について興味を持ちだしたきっかけになったし、生まれて初めて「自分の精神」というものに真っ向から対峙し、存在を認識せざるを得ない状況になったきっかけでした。
3.「退行催眠」のセッション
その後、私は新しい悩みのせいで心身の不調を感じだし、アメリカで有名な本を書いているドクターの元で退行催眠を学ばれた日本人の方のクリニックにしばらく通うことに。
正直言うと、退行催眠でさかのぼっていく自分の記憶は本物なのかどうか、自信がないこともあります。
でも、何かしら、感情が動く時があったりするのです。
心の奥深く、ずっと気が付かずに生きていた中で置き去りにしていた、ずっと一人で泣いている自分を見つけ出してあげるような感覚です。
実際、自分自身で瞑想中に涙が止まらなくなることもあるし、また、その時は特に感情的になることがなくても、半日とか1日たって、何かがふと腑に落ちる感覚だったり、迷いから解放される瞬間が来たこともあります。
4.自分で瞑想
クリニックに通っている時も、リラックスする瞑想をドクターが録音したものを家で聞きながら瞑想するように言われていたので、行っていました。
心身の不調から回復し、精神的にも楽になってきたのですが、瞑想の効果を知ってしまったので、様々な本を読んで、自分で実践するようになり、瞑想は毎日の日課となりました。
半年から1年くらいで、自分自身、怒りのコントロールがしやすくなったと感じました。
イラっとしたり、頭にきたり、というシチュエーションで、0.1秒の間を感じるのです。
そのまま感情に飲み込まれれば、その勢いのままの言葉を発していただろう場面で、その間のおかげで、自分が怒りに飲み込まれそうになっていることに気づき、一瞬息をつこうと思えるのです。
瞑想が、自分の些細な感情の変化や精神状態に意識を向ける練習になっているのでしょう。
自分自身と向き合うと、今日はちょっと元気ないからネガティブになりやすそうだな、とか、今日は何となくわくわくしている、とか、みんなのことが大好きな気持ちが出てる、とか逆に今日はダメダメモードで、卑屈になりそう、とか、すごく毎日違っていることに気づきます。
5.瞑想誘導を始める
瞑想を6,7年くらい続けている中、世の中で鬱が増えていることを知り、普段からメンテナンスのように自分の心を瞑想でケアすることが日本でも大事になってくるのでは、と思い、数人の友人に協力してもらって、一人ずつ個別で瞑想誘導の練習をさせてもらいました。
普段おバカな話ばかりしている私が真面目に誘導しようとすればするほど、友だちは笑ってしまって瞑想に集中できない、ということが度々あり^^;
なかなか、友人相手は難しい、ということも実感しつつ、なんとか練習できました。
練習台の友人たちに何か変化はあったか、というと特になかった様子です。
興味をもって実験台になってくれたので助かりましたが、精神的にも明るく、充実していたり健やかな感じだと、特に瞑想後に変化を感じることもないのかもしれません。
でも、瞑想に興味を持ってくれた友だちはいました。
その後、「初めての瞑想」として、初めての方向けにストレスを和らげる瞑想誘導を企画し、有料にも関わらず、5名の方が参加してくださりました。
場所は会議室を借りて、スペースを作ってバスタオルを敷き、横になってもらって、という感じ。
平日夜で隣の会議室がもしうるさかったらどうしよう?と心配でしたが、運よく隣はとても静かだったのか、使っていなかったようで、とてもいい瞑想会になりました。
私にとって忘れられない素晴らしい思い出になったのは、始まる前と瞑想後で全く参加者みなさんのお顔が違ったことです。
みなさんの表情がとても明るく輝いて、優しく、オープンなお顔になっていたのです!
瞑想は薄暗い環境で行いましたが、瞑想後も休憩を兼ねて少しみなさんで座ったままでいました。
私からは何も質問しなかったのですが、誰からともなく、ご自身の悩みや今日期待してきたことなどを自然にシェアを始められて、ご自身の性格を変えたいと悩んでいるとか、家族のことで悩んでいて、とか、普段から仕事でストレスを感じてて、とか、中には悩みの腰痛に効けば、、という方も。
さすがに腰痛には効かないかなぁと内心思いつつ、でもその方も、なぜかすごく嬉しそうにされて、参加して良かったと言ってくださいました。
みなさん一人で来られていたのに、帰りはすっかり打ち解けてらっしゃいました。
きっとはじめはみなさん緊張とか、私に対する不安とか、色々あったと思いますが、瞑想後にこんなに雰囲気が変わるのかぁと、幸せな気持ちになりました。
その後、私自身はというと、翌日信じられないほどぐったり疲れがでて体はなまりのように重くなり一日動けませんでした。
緊張もあったと思いますが、5名に対する瞑想誘導はおそらく私の限界を超えていて、やはり瞑想誘導は個人セッションで行うべきという結論になりました。
瞑想は、はじめはやっぱり誰かに誘導してもらったり、録音の音声でもいいので言葉での誘導があったほうが入りやすいです。
私が行っているカウンセリングでは、環境やご本人の精神的な状況によって、私が行ってきた瞑想誘導もできるだけ取り入れていきます。
それによって瞑想の習慣がつく方が一人でも増え、自分で自分の心をケアできる人が増えるといいなぁと願って。