コロナになったら地元の魚がまわってくるようになった話。
大変ごぶさたしております。このnoteも半年寝かせてしまいました。ご無沙汰失敬、じじょうくみこでございます。
2020年からこっち、コロナ禍で不測の事態つづきの毎日ではありますが、特にこの半年は「スケジュールが尋常じゃなく短い」とか「尋常じゃなく人手が足りない」とか「尋常じゃなく初めての試み」とか、ずっと緊張状態で毎日振り絞って生活していました。
楽しいことも、そうでないことも、事件も事故もたくさんあったのですが、単純に書く時間が持てないまま時は過ぎ。ようやく書く気力がわいてまいりましたので、ぼちぼちリハビリしながら復活しようと思いますです。
というわけで、コロナです。わたしが暮らすシマ島も感染者が出ていますが、幸いにも感染が拡大することなく今に至っています。というより、シマ島は去年から島に入ってくる人流を極端に制限する政策を打っているので、ほとんど島外からのお客さんがいません。飲食店もほとんどやっていないし、閉じている民宿も少なくありません。
そうなるとどうなるかというと、これまで飲食店や宿で使われていた食材が行き場を失うことになるんですね。特に海産物。地元のお店で使われない、本土の市場も取り扱ってくれない、いきなり通信販売しようにも勝手がわからない。そこで地元の商店におろしたり、タダで配ったりするようになる。
そうすると、漁師さんは商売あがったりなので漁を控えるようになり、釣り人にとっては「針をおろせば入れ食い」みたいな状態になっている模様。いつも忙しく働いている飲食店や宿の人たちも、ヒマを持て余して釣りしまくり、魚釣れすぎて食べきれないから近所に配る、の無限ループ。
その結果、シマ島の各家庭では急激に魚が豊富になり、魚や魚料理があっちからこっちへとぐるぐる回る「シーフード祭り」がぶちあがっております。
「離島にいれば新鮮な魚がいつでも食べられる」というのは幻想だったとわかったのは、シマ島に嫁いできた6年前のこと。まさか、こんなに毎日地魚を食べられる日が来るとは。コロナは1分1秒でも早くこの世から消えてほしいけれど、この環境はずっと続いてほしい。
というわけで、昨日のメニュー。近所の奥様からいただいた初ガツオの刺身とナンヨウキンメの煮つけ、あとバイトに行こうと歩いていたら釣り好きのじいちゃんに「持っていきな」といきなり手づかみで渡されたアジの干物。アジをわしづかみしたまま家に引き返す羽目になりました。
本日はバアチャンもおじさんも出番なし。