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教団X メモ

おすすめ
・純文学が好きな人
・「死」への強い恐怖を和らげたい人
・長い、難しい本を読みたい人

読んでみて
・「死」への漠然とした恐怖が無くなった
・過激描写多数なので、苦手な方は注意する
(村上春樹や村上龍作品が読める人なら良いかも)
・最初の説法シリーズが個人的には面白かった
・後半にかけて、作者の思想が強め
・とにかく長いので、読了後の充足感が良い
・読んだ側の人間になれた感


説法のまとめ 

死んで燃やされる時、体の微粒子が空気中に飛ぶ、死んだら全く無に返るわけではなく、世界の一部である点は原子レベルで見れば変わらないし、その微粒子を誰かが空気中から吸い込めば、誰かの体の一部になる

脳の神経細胞は宇宙の銀河の構図と似ている

ブッダは「我思う、故に我あり」を昔から否定していた → <われを考えて、有る>という<わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ
ブッダの本来の教えは脱世俗的すぎた、だから後の人らによるアレンジが加わり、今の仏教へ
宗教、教典 - 昔の人が言っていること・作ったものだけど、それって正しい?

人間もテセウスの船、原子レベルでは常に入れ替わっている
「人間」ではなく、「入れ替わりながら固まりが維持されている原子のゆるやかな結合体」である
便利な統一性を維持するため、「意識」がある

「意識」は3次元でもなく、違う次元にある?
意識は脳の活動を見る鏡である
ベンジャミン・リベット「人間は、何かをしようと意思を起こす時、実はその意志を起こすよりも前に、本人にもわからないところで、すでに脳のその部位が反応している」

人間の「意識」は「脳」に働きかけることができない。
人間の「意識」=「原子の集合によってつくり出された無形のもの」は
「脳」=「無数の原子の集合・つまり有形の物体」に働きかけることができない。

意識「私」を司る脳の特定の部位は存在しない。
脳の大局的な動きによって意識「私」が生まれる。
脳がなければ、意識「私」は発生しない。
脳の活動が、意識「私」に反映される。
でも、意識「私」によって、脳に何らかの因果作用を働きかけることはできない。

我々は物語を発生させるために生きている。
そしてその物語に優劣はない。

ビックバンで生まれ、0.01秒後に1000億度になり、三分の間にヘリウムなどの原子核ができたこの約137億年前から続く圧倒的な"世界"が全て、今のあなたの物語の土台にある。

シュレーディンガーの猫の思考実験から考えられるように過去にも未来にも無限の「あったかもしれない可能性」が枝分かれ的にある、という意見はおかしい
「可能性」は有限である(ex. 人間から突然羽は生えない)し、あなたが歩んできているのはただ1本のまっすぐな道である。

我々人間とは、
説1:我々は、完全に定められた人生というショウを見せられている観客。
説2:我々は、全く偶然の連続による人生というショウを見せられている観客。

ただ、人間の誕生が仮に偶然だったとしても、その可能性はゼロではなかった。
逆に、この世界の可能性は有限で、完全な偶然など存在しない。

つまり
我々は、限られた範囲での偶然の連続によるショウを見せられている観客。

生物が他の無機質より不安定であり、やがて死ななければならないのは、おそらく多様性を発生させるため。
我々がなぜ生きているのか。それは物語を生むため。

神とは、恐らくこの世界、宇宙の仕組み全体のこと。だからこの世界の成り立ちそのものを神と呼んでいい。神に祈る。それは、全てに対して祈るということ。神に祈るとは、自分も含めた全てに対して祈ること。

我々は物語の行為者であると同時に、その自分の物語を見つめる意識という観客でもある。
だから、意識がある限り、私達は自分達の物語を見届けなければならない。

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