「パターソン」
原題:Paterson
監督:ジム・ジャームッシュ
制作国:アメリカ
製作年・上映時間:2016年 118min
キャスト:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、永瀬正敏
職業欄に「詩人」と書けるか、少なくともヨーロッパ、アメリカとは違い日本では厳しいだろう。詩人の地位、詩の生活への浸透性が違う。但し、詩というカテゴリの中において日本では俳句や短歌が嗜まれてきていることを考えると詩人と同位置づけは俳人や歌人ともいえる。単に「詩」が生活近くにないだけか。義務教育中に詩を丸ごと暗喩させられた人も少ない筈だ。
様々な映画(邦画外)で好きな詩を口にするシーンはこれまで観ている。そうした詩の背景が違うこの国でこの映画どう受け止められているのか興味深い、館内にいる人の何%が詩を好きで来ているのだろうかと。
職業としての詩人の確立が難しくともパターソンがそうであるようにバスの運転手をしながらの詩作に問題は全く生じない。
詩は特別なものではない。色鉛筆や絵の具でスケッチしていくように「言葉」を使って風景や人、感情をスケッチしていく。形式を求める詩形もあれば自由詩もある。道具を択んでスケッチしていくことと何ら変わりはない。
二人の生活に特別なことは起こらず穏やかに時間は流れていく。決まった時間に目覚め傍らの眠っている彼女を起こさないようそっとベッドを抜け身支度をして出勤する。静かにベッドを抜ける筈が時には目を覚ました彼女が今見たばかりの夢の話をする。でも、ただそれだけ。二人の一週間を映画は静かにトレースしていく。
少し訛がある彼女の英語。英語ばかりではなく、実は可愛さと共存出来る個性の持ち主で時に彼を困惑させる。そこもパターソンはなるべく気が付かれないようやさしい気遣いで対応していく。基本的にカップルというのは凹凸なのだわ、と二人を見ていても実感できる。
警察が出動するような事件は何も起こらない映画。全編を通じ彼が詩を諳んじる時は手書き風のスペルが画面に流れることも雨音のように心地良い。
詩に興味が無い方もこの静かな時間の共有は楽しめるかもしれない。
永瀬正敏が最後の方で現れるが日本人のイメージに申し訳ないががっかり。
只、彼が翻訳の詩は「レインコートの上からシャワーを浴びるようなものだ」と語るシーンは確かにね、と納得。
★★★☆