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"結婚してないだけ"で社会問題?

2020年10月31日(土)に大阪市中央公会堂において開催された「マツリゴト OSAKA 2020 The Forum」についてのレポートをお届けします。

このイベントは一般社団法人UMFが主催し、いわゆる大阪都構想(大阪市廃止・特別区設置)住民投票の投票率を向上を目指し、開催されました。

本セッションでは「わたしと社会」と題し、自分自身と社会との関わりについて『社会課題×エンターテインメント』の具体例を挙げながら参加者ひとりひとりが理解を深め、行動を起こすキッカケ作りを目指し、社会課題の解決に取り組む起業家(一般社団法人リディラバ 代表理事 安部敏樹さん、Tomoshi Bito株式会社 代表取締役 廣瀬智之さん)とともにモデレーターである一般社団法人UMF 代表理事 高村治輝と話し合いました。


なお、オンライン配信のアーカイブもありますので、ラジオ感覚で聞きたい方はぜひこちらからご覧ください。


この記事のPoint!

・社会課題を解決へと導くプロセスの全体像がわかる
・分断の存在意義がわかる
・社会課題の当事者性を高めるためのポイントがわかる
本記事は3部構成の記事のうちの2部目となります。
前回の記事はこちらからご覧いただけます。

Dialogue.1-2 「わたしと社会」〜なんで社会を変えようとアクションを起こすのか〜 書き起こし

高村)
というところで、まず1つ目のテーマに行ってみましょう、こちら。「なんで社会を変えようとアクションを起こすのか」と言うところですね。

先ほど安部さんからもお話がありましたが、そのキッカケについて語っていただいたりとか、あとはそれで社会が本当に良くなるのか?社会課題を解決するって何なんだろう?っていうところを掘っていきたいなと思ってるんですけれども、実際、廣瀬さんってなんでそういう活動に興味関心を持ったりとか、実際に自分がやろうってなったんですか?

廣瀬)
はい、ありがとうございます。さっきの安部さんの話は自分自身がそうした社会課題の当事者で触れてたって話だと思うんですけど、結構、僕は対極かなと思っていて、どっちかというとなんかおぼっちゃんと言い方を自分でしたくないですけど、普通になんか幸せに生きて「うわー日本って幸せな国でよかったなあ」という感じで育ってきたんですけど。

友達に誘われて初めはカンボジアとか途上国とかに行ったときにまず外を知って世界っていろんな問題があるんやなーってところから社会問題に対して興味をもったんですけど、そこから日本に帰ってきた時に自分が知らなかっただけでそれこそ男女差別もそうかもしれないし、日本もめちゃくちゃ問題あるやんってところを初めて知って、そこからこんな社会、自分はあんまり生きたくないんやけどっていうそこに対してモヤモヤがどんどん沸き始めたという感じですね。

高村)
外を知ってから内を見た時に色々出てきたと言うのが大学生のとき?

廣瀬)
ですね。大学のときに初めて行ってって感じですね僕は。

高村)
特にいま関心があるものってなんなんですか?

廣瀬)
結構色々あるんですけど、1番大きいテーマでいうと気候変動とかはかなり関心持ってて。福岡いるんですけど福岡もほんまにもう毎年恒例行事ぐらいの勢いで豪雨災害とか起きるようになっちゃったりとかありますし、あとは最近ニュースになってましたけどそれこそLGBTQの権利の話しとか、あとはちょっと難しい話になるかもしれないけど緊急避妊薬が解禁されるかどうかみたいな話もあったみたいな。結局、自分の暮らしに紐づいたところに1番興味あるかなと感じますね。

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高村)
なるほど。それを関心持つのも一般の人からしたら結構すごい遠い存在だったり、あの人意識高いなーという部分が目についちゃうと思うんですけど、そこら辺、安部さんどうですか?

安部)
意識が高いかどうか?いろいろ僕、持論があるんですけど1つにですね。まず、みなさんに問いたいのは仮定の話、俺に彼女がいないとするじゃない?事実確認しなくていいからね(笑)そうなった時にその「俺の彼女いない問題」は社会問題なのかと。

高村)
これはプライベートな問題なのでは?

安部)
プライベートだと思うよ。でも例えばどう?30代男性が恋愛せず、まあ別に結婚してもしなくてもいいんだけど、子供も作ってないという風になった時にこれどう?社会問題?

高村)
生産性みたいな話になってきますよね。

安部)
ある種の少子化という問題の話の方に入ると思うけどこれ社会問題だと思いますか?

高村)
確かにそこまで行くと社会問題ですね。

安部)
でもさ、その差ってそこまで何も変わってなくない?

俺が彼女おらんやんという話と何の差もないじゃないですか。それってなんかこう個人的には なんかまあ言い方じゃんそんなのと思っています。でも少子化となったらみんななんとなく納得するでしょ?

俺に彼女がいない問題の方が俺の中でしっくりくる話だけれども、少子化と言われるとみなさんが納得できるんですね。これすごい大事な話だと思っていて結局その個人の問題と社会の問題の境界線というのは非常に曖昧なんですよ、実は。

曖昧なんだけれどもそれを社会の問題に変えていくことによって実は個人の問題解決進むよねという話ではなくて、そもそも彼氏・彼女が欲しいかどうかは別なわけよ。ちなみに「問題」って理想状態と現状の乖離ですから。

例えば、俺が彼女をそもそも欲しいわけじゃないんだと。実は欲しいの彼氏だったかもしれないとなってくるとその時その彼女がいない現状というのは別に問題ないでしょう?仮に俺が彼女を欲しいと思ってたらそれって問題じゃない?

理想状態に対して現実それが満たされないんだからそれが問題だというのがあってその問題がみんなの問題かどうですかって言うのを問うていくそのプロセスというのが社会問題ですね。

高村)
なるほど。

安部)
あの私、昔お猿さんの研究したんですよ、理化学研究所ってところで。お猿さんの脳みそをパカンとあけて、、、

高村)
もう完全に廣瀬さんがポカーンとしています(笑)

安部)
これね、1つは自分が非行少年・少女だったというその原体験が今の仕事の原点なんだけど、もう1個はお猿さんの研究をする時に考えたことが多くて。

お猿さんってバナナが好きなんだけど知ってる?お猿さんの実験をする時にバナナを目の前に置くと猿がウキャウキャと暴れる訳ですよ。一応実験中だから拘束具つけさせてもらってるから取れないわけですよ。

それはもううーんとなってそのすごい獣の呼吸を使うわけですけど、そのそのお猿さんたちのその獣の呼吸、うーんとなってる時にずっとそういう実験を見ていて思ったのがあったんですが、要はお腹が減ってバナナが食べれないというのを問題と思ってんだろうかどうだろうかというのが自分の中でふと疑問に思って。ただただリアクションしてるだけじゃないの?って思ったんだよね。

で、ウキーってなってる中で 例えばとある猿がちょっとこれバナナ食えないの問題じゃんってその他の猿にバナナ食いたくない?でしょ?みたいな感じでバナナが食えないってこの課題は俺単体じゃなくて猿業界全体の問題じゃないの?これちょっとみんなで協力して安定生産するバナナを作ってきてみんなでいっぱいバナナ食べれるようにしようよって言わねーなと思って。

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俺そういう猿見たこと無いので。猿って道具も使えるし、遺伝子レベルで見たら人間と99%以上一致するわけですよね。なんだけど、サルと人間の違いどこなのかなと思っていくと、バナナを食べたいという気持ちがさらに人にもあるんだが、バナナ農園を造るのは人だけだなと思って。

この差だと思うんだけど、これってつまりはバナナが食えないということを課題として言語化して、それを他者に共有し、でその他者と共有してみんな納得したらバナナ作るために農業やってたの?バナナのもと持ってるの?じゃあそれで一緒にバナナ農園つくろうみたいな感じにして生産量上げていくみたいな。これ人間だけだと思って。

これって社会課題そのものなんだよ。課題を設定し、それをみんなに共有しますよと。みんなの問題でしょ?バナナ食えないのって。その中で皆さんで何か農業得意な人いるんだと。熱帯雨林からバナナのもとを持ってきたと。じゃあみんなでつくろうみたいなのでみんなの資源を借りてきてバナナを作りますよ。バナナを作ってみんな幸せになりますよというのが社会問題じゃないですかこれって。

当然その共有する時に「いや、別に俺、腹一杯」ってやつがいるわけですよ。つまり自分は今そのバナナが食えないということを課題と思ってないやつもいるんだけど、でもみんなその方が良いよねと思ったら納得してくれるじゃないですか?そうすることによって今バナナ食いたいと思ってないやつの力を借りるっていうのポイントで、社会問題もそうですね。

俺の彼女がいない問題があったときに、彼女いないんだねって言われて「いや、僕はもう全然そういうのはもう満たされています」という人がいたとしても少子化って観点から見るとやっぱみんなでこう増やしたほうがいいんじゃないの?とかその場で将来的な年金とかも安定するんじゃないの?みたいな話をして行った時に彼女いますとか充分にパートナーシップあると思っている人からしてもそこサポートできるじゃんと思えるわけですね。

こういうのが大事だと思っていて、社会課題と個人の問題っていうのは境界線が曖昧なんだけど、曖昧だから社会ってのは面白い訳ですよ。そこを対話していくプロセスというのは変な話、合コンでも同じなんです。俺に彼女がいないからちょっと合コンやってよと。これ社会課題の解決のプロセスですからそれと同じだと考えるとなんか変にとっかかりを大きくしないというのが大事かもしれません。

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高村)
例えば今コロナで安全性を優先するか経済性を優先するかというところで、結構、分断が生まれがちだったと思うんですけど、そう言った時に社会課題って何かしら分断がめちゃくちゃキーワードになっているなと思ってまして、分断を生まない解決方法っていうところはどういうふうにお考えなのかというとちょっとお伺いしたくて。

例えば僕らで言ったら選挙の投票率を上げていこうと言う中でエンターテイメント手法を使ってですね、みんなが参画すればするほど、楽しんでもらえばもらえるほど投票率が上がっていくと言うモデルを生んでいるわけですけれども、それに似たような形で皆さん取り組みの事例の中でも工夫されている部分をお伺い出来たらなと思っております。じゃあ廣瀬さんとかどうですかね?

廣瀬)
分断を生まないところで何かやってるかってことですよね?うーん、そこに対してめちゃくちゃ意識して何か事業設計してるわけじゃないんですけど、

でも今って議論自体がそもそも声が大きい人が声をあげて、言葉のキャッチボールじゃなくて本当にぶつけ合いみたいな形になって論破し合いみたいなところが結構あるんじゃないかなと思っていて、そういう平行線をたどっているからずっとお互い合い入れずに分断されていくのかなと思っていて、

そこをもっと建設的な議論の方にもっていくことってできるのかな?と考えた時に結局、僕たちが今やってるのって要は身近に、昨日の野球の試合みたみたいなぐらいの感じで政治のこととか社会のことって普通に話せる空気感だったらいいよねってことを言ってて、

そこでもっと身近に語れることが当たり前になってきたら、今は違う意見と出会ったときにリテラシーと経験がないからそこ合い入れない意見になった時にわって批判をしちゃうんじゃないかなと思うんで、そこをもっとやっぱ身近にして行きたいっていうのが僕らの想いとしてあるから、そこに結局僕らの授業も繋がっているところがあるのかなと聞いてて思いましたね。

高村)
確かに。そんな中でも分断というテーマで言うと安部さんはどうですかね?

安部)
背景として人って分断をした方が居心地がいいですからね。

高村)
なるほどね〜

安部)
それってそういう研究があって、例えばこれはノーベル経済学賞を取っている研究ですけど、人は誰かが嫌いだからお互い住む場所を変えていって分断していってスラムが生まれるみたいなものじゃないんですね。

高村)
なるほど。

安部)
例えば、白人は黒人が嫌いだから別のところに住んでいき、分断が生まれるんじゃなくて、白人は白人の人が好きなんですよ。同質性が高いのが好きなんで、別に異質性のものが嫌いなわけじゃないんですね。同質性が好きなだけ、ただそれだけ。で、そうすると自然と分断していくんで基本的に分断した方が居心地いいんですね。

高村)
なるほど!

安部)
まずそれ大前提。で、すべての分断がダメなんじゃなくて分断はみんなが心地よいためにかなり大事なものなんですね。一方で分断ってのがこう今こうやって話題になった話の中に1つとしては、「世の中」っていうのが大きな主語で語りづらくなってきたと。

高村)
そうですね。

安部)
特に日本で言ったら「ロールモデル家族」って昔あったんですね。今も日本の政策はそういうもののためにあるんですけど、なんとなくお父さんお母さんがいて子供が2人いて、で郊外に家を持っていて、幸せそうに暮らしているみたいなロールモデル家族ってなったんですけど、これって実際10%いないわけですね。

高村)
えー、そうなんだ!

安部)
いま日本の中にね。そういう世帯っていうのは10%ないんですよ。それなんだけどなんとなくそれが一般的な気がするじゃないですか?という感じで見ていくとそもそも多様化してるんですね。価値観も、生活スタイルも、考え方も、多様化している中で、右と左の分断みたいなんじゃなくて、分断はみんなすげー個別化したところで、私とあなたに分断があるし、こことここにも分断があるしみたいな感じになって、みんな離れ小島に住んでるみたいになったんですね。そうなってくると本当に意見をまとめあげるの難しくて。

高村)
そうですね。

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安部)
例えば私、私立のとある非常に優秀な高校に行くじゃないですか。そこに行くとその皆さん子どもの貧困って知ってる?みたいな。子どもの貧困6人に1人とか7人に1人とかの確率でねありますけど。例えばそういうところに200人とかいても私立の東大いくようなその学校に行くとほとんど周りにそんな貧困のやつなんていない訳ですよ。

高村)
なるほど。

安部)
200人いても誰も周りに貧困なんていない。やっぱりそれは教育格差とその経済格差がすごく連動しているということをわかりやすく示していると思うんだけれども。そういう状態がまずあるわけですよ。そうなってくるとその人たちは子どもの貧困を自分と同世代たちの貧困問題だと言われても正直イメージつかないね。

高村)
そりゃまあ、周りに当事者いないですしね。

安部)
逆にその例えば区域ごとに住んでるエリアごとにその貧困率って違ってくるわけですけど、大阪にもそういうエリアあるし、東京にもそういうエリアはありますけどやっぱりその比較的所得が低いとされているような区域に行くと周りむしろみんなちょっと貧乏だけどむしろこれって問題というのもわかんないじゃない?

高村)
確かに。

安部)
普通でしょみたいな。それがある時、大学とかで出ていってどういうこと!?と。俺が住んでた世界ってちょっと違くない?ええ、ちょっと待って〜みたいになんだけど、結局、何かと違うことを体験しないと実が自分がいる環境が課題であって声をあげた方が良かったんだなというのがわからないっていうのが1番人間の難しいところでして。だからやっぱ基本的には分断を越えて行く意味っていうのはその分断を超えて別のところに越境していくことによって、あれ?自分達の居た場所とか育った環境とか自分の置かれてる状況というのは他と見るとちょっと違うかもしれないと気づくことだっていうのがあってですね。これはなんか1個、すごい肝になる話だなと思ってて。これうちでも社会問題に関心がある人ってどんな人って色々調査するんですけど、僕らが持っている仮説は越境活動によってマイノリティ性を獲得した人っていう仮説なんですよ。もう少し分かりやすく言うと転校したことがあるやつみたいなね。

高村)
なるほど。

安部)
学校中で転校したことがあるというやつは常に自分が転向した先でマイノリティじゃないですか。マイノリティだからなんか違和感に対してすごく敏感なんですよね。

それはそのずっと同じ学校にいるやつだと自分の学校が当たり前なんだけど転校してるやつってのは比較をして行くし、そこの中でちょっと違うんじゃないかなという気持ちになってくるというので、こういう人たちっていうのが社会課題にまず感心を持ちやすい人ですよと。

よく考えると転校っていう風に言ったけど、それ以外でもいっぱいあるよね。例えば大学入学する時に東京に上京して来ますとか。高卒で働くときにこれまでと思ってたところと違ったところで働くことになりましたとか。いろんな自分の越境して行った瞬間に社会というものを意識し、社会問題って何なんだろうなと考えたりするので、実はね越境って大事なんですよね。

高村)
それこそ廣瀬さんはね、海外いった経験からですもんね。

廣瀬)
まさにまさに。やっぱ外を見ないとなんか当たり前すぎて感覚が麻痺してるっていうか、なかなかそれが問題って感じにくくなるなと思うんで、そこは理論づけてなるほどそうなんだなーってのも納得いきましたね。


『Dialogue.1-3「わたしと社会」〜〜 書き起こし』へ続く(記事が公開され次第、リンクが表示されます)

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