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中学生の時の記憶。

皆様いつもお読みくださり感謝します。お元気でしょうか。
今回は中学生の時のお話です。思い返せば沢山あるのですが、楽しかったことはほとんど学校以外のことだったかなと思います。

 中学生になったらイガグリ頭に変身させられ、何かと団体行動させられます。そして部活動もほぼ強制で所属させられました。まぁ、一年坊主は上級生に無限に虐め倒されるという儀式も正常に行われ、性格歪んだ上級生はただひたすら下級生を虐め倒すことに酔いしれるような部活動(笑
一年生はまぁ下積みのようなものだからしょうがないよなと割り切って参加していました。

体育館でモップのはずが延々と雑巾掛けさせられたり、これだけで死ねます。あとは何をすることもなくただランニング。ランニングだけで2時間とかザラでした。それが毎日の部活動(笑 そして2年生になって、その専用シューズ持っていないというだけでずっとランニングのみさせられ、おまけに部活時間終わっているのにも関わらず勝手にコーチ先生まで帰り、ご丁寧に体育館と部室の鍵も防犯上パーフェクトに施錠。着替えも教科書もカバンも中です。全身汗でぼたぼたでズタボロになり、よろけながら家に帰ってました。家に帰ると弁当箱も無い、学生服も無い、ブルは吠える、嫌な目つきの雛人形と日本人形。何か間違ってないかい?という疑問の毎日。
まぁ、イジメ半分、除け者半分でイーブン。
そして退部すると担任に相談するとそれが変に伝わり顧問は無視、上級生から鉄拳制裁。なんだこれ。ただ専用シューズ持ってないだけでここまでやるか、、とムカつき、牛乳配達のアルバイト始めてそれでシューズ買って再参加。でも、努力虚しくただ待遇全く変わらず本当に楽しくない三年間の部活を終えたのでした。

 その後判明したこと多数。
中学なので勿論男女共学なので部活も女子部があるわけです。その女子部のキャプテンが私の事を好きだったらしくて、狙っていた上級生どもが目の敵にしていたらしいと後で聞いた。何だそれ。私といえば全くまだそんな感情すら持たないイガグリ坊主だったわけでこれを理不尽以外、何と呼べばいいのかわかりません。おまけにそのコーチまでそうだったらしくて点と点が繋がった感じでした。その部活は一応県大会優勝まで行ってて注目されてたみたいだけど、内部ゴタゴタがどこからか漏れていきなり大変なことになったみたいです。詳しく書いちゃうと全部わかっちゃうのでこの話は終了。

 担任の先生のお話。
一年生の時は鬼瓦のような先生でとにかく怖かった。返事をちゃんとしないと出席簿の角の固いとこで容赦なくバコーンとやられてました。たんこぶ完成。でも一つだけ可愛い鬼瓦見つけてしまった事があって、先生ってピアノ弾けないといけないので勿論鬼瓦もクマの手みたいなデカい手でピアノ弾くんだな。その姿は笑えました。そして女性先生にフラレていたのを目撃したのです。まぁ、腹痛いほど笑った。次の日から出席簿でパコーンの威力が倍になったのは内緒。

2年生の時の担任の先生の科目が英語。今思えばまぁ酷い。全く内容が頭に入らない授業でRとLの発音をカタカナ読みで覚えろという授業で全く発音すらできなくなった。今のZ世代の普通の英会話の能力に脱帽する。
調べてわかったことの一つで、戦後GHQ政策の一つにこの英語教育があって、まともに教育したら日本人はとてつもない威力と能力発揮しちゃうのでわざと喋れないようにするための学校教育だったらしいと何かで読んだ。

この英語先生、割と好きな先生だったんだけどね。でも、少し何か抜けてるような先生でした。掃除の時は座るとおパンツ丸見えで男どもは異様な熱気を燃やし、女子はそんな男子をホウキでバシバシ殴るというのが毎日の日課でした。三年生もこの先生が繰り上がって一年間は五月蝿い女子とのバトルの繰り返しでした。ある時からこの先生がミニスカートからパンツスタイルに変わって、すぐに結婚して辞めた。お相手が鬼瓦だったら笑えたのにね。

 これぐらいしか思い出せません。もっといろいろなことが有ったり、目撃してたりはあるのですけどそれ書いちゃうと大問題に発展しちゃうので今回はこのくらいでご勘弁くださいませ。お読みいただいてありがとうございます。次回もお楽しみに。

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