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【コラム】autumnusの理念について①
文責:よいか・巫女ら、菅 隆善
autumnusの理念
autumnusが掲げる理念は「自由・公正・良識」です。
まず「自由」とは英語ではliberty、ドイツ語ではLibertätといいます。
ミルの「他者危害原則」
さて、自由と聞いて多くの方が想起するのはJ. S. ミル(イギリスの哲学者・著述家、1806-1873)の『自由論』だと思います。ミルはその本の中で、二つの原理を提示しています。
一つ目は「個人の行為が本人以外の誰の利益にもかかわらない限り、その個人は自分の行為について社会に対して責任を負わされない」(ミル 2020:208)というものです。二つ目は「個人は他人の利益を侵害する行為について責任を負うべきであり、社会的処罰や法的処罰が社会を守るために必要だという意見を社会が持つ場合には、それらの処罰を個人に対して行なってよい」(ミル 2020:208)というものです。
つまり、他者ないし社会全体の利害に干渉しないような個人的な利害については、最大限その自由を保証しなければならないということです。そしてミルによれば、この二つの原理は適切なバランスをもって運用されなければなりません。我々autumnusはミルに倣って言論の自由を尊重しようと思います。ただしそれが他者に危害を加えない限りにおいて。
『自由論』第二章「思想と討論の自由」
またミルは意見の自由と意見を表明する自由についても論じています(ミル 2020:119-120)。いわく、たとえ間違った意見が主張されるにしてもそれは結果として有益であるといいます。というのも間違った意見は人々が真理を得ることを四つのしかたで助けるからです。第一に「間違った意見」は実のところ真理であったということがありえます。第二に完全に間違った意見というものはあまりなくて部分的に真理が含まれていることがあります。
第三にもし真理への対抗意見が存在しなければ、すなわち間違った意見が主張されることがなければ、人々はなぜ真理が真理たるのかということを理解できないかもしれません。第四に真理を述べる主張が空虚になってしまうおそれがあります。実感の持てない言説にどれだけ説得力を見出すことができるでしょうか。
なるほど、ミルによる以上の主張はもっともらしく思えます(少なくとも筆者らにとっては)。しかし二つの点で、注意する必要があると考えます。一点目、ミルの主張はあくまでプラグマティックなものだということです。つまりミルは「間違った意見」がどのようにして真理に資するかという観点から語っています(第三と第四のしかたに関して)。したがって間違った意見を表明する方法には慎重さが要求されるでしょう。
二点目、内容が真理であるにせよ真理でないにせよ、意見はいくつかの前提から妥当な推論を経て論証されるべきです。意見自体の真偽よりも、どのような根拠に基づいて論証するかが大事なのです。とりわけ人々(これには学者、いわゆる専門家も含まれます)にはバイアスがあります。あらゆるバイアスが有害というわけではありませんが、自らの内に潜むバイアスの存在に自覚的になることは多様な価値観を前提とする社会において不可欠だといえます。
本誌『autumnus』はこのような意味での自由を理念の一つとして掲げます。
文献
J. S. ミル(2020)『自由論』(関口正司訳)、岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b498667.html