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「やりがいのある仕事」という幻想

本日紹介するのは、
「やりがいのある仕事』という幻想」です!

就職について悩んでいた私にとって、違った角度からの視点をくれた本であり、約200㌻の分量ですが1日でサクッと読めてしまう手軽さがありました。

「すべてがFになる」でもおなじみ、筆者の森博嗣さんは「これから就活をして、立派なビジネスマンになりたい!」と意気込んでいる人にはあまり適さないと述べていますが、私もそう思いました(笑)。

そこまで働くことに前向きになれず焦りを感じているならば、そんなに心配することないよ、と語り掛けてくれる一冊です。

疑うこと自体がタブー視されるような「そもそもなんで就職するの?」「働く意味って何だろう?」といった類の漠然とした疑問について考えたことがない人に読んでもらいたいです。

「人は働くために生きているのではない」

筆者の仕事に対する第一原理として取り上げられている、「人は働くために生きているのではない」という言葉。

単純で当たり前なことですが、働かないことをどこか卑下していた私は、素直に受け入れられないでいました。

そもそもは正社員として働いたことがない学生の立場なので、働くということが想像の範囲内でしかないのですが、とてつもなく大変で、困難で、苦しいものだと考えていました(笑)。

大人たちは働くことはいかにつらくてすごいことなのかを、これまでかとばかりに伝えてきました。

父は月曜から土曜まで働いており、休日は寝て過ごすことも多々ありました。
いち早く社会に出ていった先輩や同級生たちからは口々に学生はいいなあと言われました。

「ええ、社会人になりたくないな。」
いつしかそう思うようになっていました。

「働くことが一番感簡単」

働くために生きているのではないというものの、なぜ働くのでしょうか。
それは、この社会で生きるためにはお金が必要で、お金を得るためには働くことが一番簡単だからです。

もちろん働く以外でお金を得る手段も存在します。例えば、投資や賭け事、自分で仕事を生み出すなどです。

しかし、当然ながら、それらは誰でもできるわけでもないですい、相応のリスクも背負います。

自分が望むことでなくても、少し我慢すれば、それなりのお金をもらうことができるのは幸せなことだとです。

しかし、仕事というとどこかネガティブなイメージを抱く人も多いでしょう。

それは、仕事というのはお金を得ることを目標としているからです。

逆に、お金を得ることが目標でない仕事は仕事だと認識していないことも考えられます。

よくよく考えてみると、私は今のアルバイトをしている際にはバイトだとあまり思っていません。

確かに時間を対価にお金をいただいているわけですが、それを一番の目的と考えていませんでした。別に無賃でもやりたいと思えます。
(ただ、それはまだ自律した生活を送っているわけではないからできることなのかもしれませんが!)

「好きな仕事か、向いている仕事か」

就職活動をする際によく天秤にかけられる、仕事に好きと適正のどちらを優先するべきかという問題には私も悩まされました。

好きな仕事をすることであればきついことでも乗り越えることができる。しかし、適性がなければ活躍することはできず、つらい思いをする。両立させることができるのはごく一部の人だけだ。

そのように刷り込まれました。

私はこの2者を比較すること自体間違いなのではないかと思います。そもそも得意なものが好きなものであって、不得意なのに好きなことなんて存在するのでしょうか。

もちろん矛盾しているように感じることもあるかもしれません。例えば、絵を描くことは苦手だけど、好きだと主張する人がいるでしょう。

ただ、絵を描くのが好きな理由は、絵が上手に描くことができるからとは限りません。

自己表現が容易にできるからかもしれませんし、他者からの評価を受けやすいからかもしれません。

自分が何をすることが好きか抽象化していくと、向いていることと好きなことが結びつくのではないでしょうか。

「自分のことなのによくわからない」

大学で教官をしていた筆者は、多くの生徒たちが自身の向いていることを見誤っていることに気がつかされたといいます。

考えることが好きで、人と話すことが苦手だという人ほど、人と関わる機会の多い営業に向いており、その逆も然りだったそうです。

それほど、私たちは自分の適正を把握することは難しいようです。しかも、実際に働いたことのない学生なら尚更でしょう。

そもそも好きというのもよくわかりません。好きという感情は周囲の影響を大きく受けるものです。周りがいいと思っているものを好きと思いがちです。

ラーメンが好きという人はラーメンの何が好きかを説明できるでしょうか。

仕事も同じです。大企業が人気な理由のうちのひとつにも当てはまるでしょう。

実際に、就職活動を始めた際の私も大企業病にかかっていました。

しかし今では、働いてみないとわからないことが多い。だからこそ気負いすぎることはない。と言い聞かせています(笑)。

「やりがいという幻想」

やりがいは後から感じるものだと思います。

筆者の言葉を少し借りると、すごいやりがいを感じているという瞬間はどちらかというと達成感ではないでしょうか。

では、やりがいか何かというと、
何かにハマっていて、何にも縛られずに没頭すること、それが自由であり、やりがいというものだと筆者はいいます。

そして、筆者のいうやりがいに浸っている人は、自分のしていることを楽しい、やりがいを感じているとは言わないし、言おうとも思っていないだろうと述べます。でも、なぜか楽しそうだと顔を見ればわかるらしいのです。

この意見には共感しました。みなさんの周りにもいませんか、お金を持っているわけでもないのに楽しそうな人たち。

やりがいという幻想を生まれる原因は、私たちは「みんなが羨ましがること」に執着しているからでしょうか。

お金がある、有名な企業に勤めている、家庭がある、車を保有している…。これらが自分にとって望んでいることなのかどうか、もう一度考えてみたいものです。

以上です!まだまだ考えたいことはありますが本日はここまで!
読み終えた後には、もやもやしていたものが明瞭になる感覚がありました。
自分の価値感を再考する機会になるはず!

ぜびお手にとってみてください!


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