スペンサー・ジョンソンの遺産継承(チーズはどこへ消えた?迷路の外には何がある?)
大切なものはどこへ消えた?世界の外には何がある?
「チーズはどこへ消えた?」は米国医学博士・心理学者のスペンサー・ジョンソンが著し1998年(日本語翻訳版2000年)に発売され、日本で400万部、全世界で2800万部を超える世界的ベストセラーとなったビジネス寓話です。
そして、2017年に彼が亡くなる前の遺作となった「迷路の外には何がある?」はその続編です。
多くの示唆に富んだこの著書、スペンサーと「1分間マネージャー」の共著者であるケン・ブランチャートは「迷路の外には何がある?」のあとがきで、この物語を他に人にも伝えて、スペンサーの遺産を継承してくださいと書かれています。
そこで、この2冊を私なりの勝手な解釈で要約してみました。
原文には沿ってはいますが、最初のシチュエーションから違う箇所があります。あくまで私がこの本を読んでこういう伝え方の方が良いと思い、あえて変えていますので、正確に知りたい方は原文をぜひ読み返していただきたいと思います。
チーズはどこへ消えた?
登場人物はネズミ2匹と小人2人です。
小さなネズミと小人たちは、ある大きな家の壁穴に住んでいます。
壁穴の中は迷路のようになっていて、暗く食べ物を探すのに苦労します。
ネズミたちはとにかく迷路の中を走り廻り、小さなチーズの欠片を見つけては食べ、また探しに出かけます。
ネズミたちは行ったり来たりして同じ道を何度も通りながら見つけようとしていました。
小人たちは、どこにチーズがあるか考えて探そうと、一度通った道に印をつけてチーズがなければ他の道を探すことにしました。
そうこうしているうちに、あるとき大きなチーズの在処を見つけることができました。ネズミたちはすでに見つけていて、そこで美味しそうにチーズを食べています。
小人たちは、これで安心、おなかがすいたらすぐに食べれるようにこの近くに住まいを構えることにしました。ネズミたちはもともと住んでいるところからここにくるのにいつも時間がかかっていました。
小人たちは毎日食べ物を探すのに不安もなく快適に過ごしていました。
ところが
ある日、そのチーズのある場所に行ったら、チーズが跡形もなくなくなっているのです。
「あれ!チーズはどこに消えた?」
小人たちは、そのチーズはいつまでも自分のものだと思っていたので、誰かが隠したのではないかと疑いました。
また、それでもチーズはそのうち戻ってくるだろうと思い家で待つことにしました。
(この原作の題名は、Who Moved My Cheese?で直訳すると「誰が私のチーズを動かした」です。)
ネズミたちは、チーズはやがて無くなるものと思っていて、すぐに新しいチーズを探しにまた迷路を駆けずり回ります。
小人たちは、またチーズを探しにあの暗い迷路、落とし穴にはまるかもしれない怖い迷路に出たくないと思っていました。
しかし、いくら待ってもチーズは戻ってきません。
そのうち焦り、不安に苛まれるようになりました。
ある日、ひとりの小人が「新しいチーズを探しに行こう」と決心します。
ただ、もう一人の小人は「迷路は怖いからいやだ、ここでチーズが戻ってくるのを待つ」といって動こうとしません。
しびれを切らした小人は一人で出ていきます。
出かけた小人は、チーズを探す道すがら残った小人に託そうとある言葉を書いた紙を壁に貼っていきます。
「ものごとは必ず変わるもの。チーズは常に無くなる。」
「変わるのを前もって考えておく。チーズが無くなることに備える。」
「変わる兆しを見つける。毎日観察すれば、チーズが古くなっているのに気づく。」
「変わることも楽しむ。チーズ以外に美味しいものがあるかもしれない。」
出かけた小人は、迷路を廻っているうちに、新しいチーズや食べ物を発見していきます。
残った小人は、貼り紙を読んでくれたろうかと心配し、たくさんの食べ物がある場所で待つことにしました。
迷路の外には何がある?
登場人物は「チーズはどこへ消えた?」の2人の小人と、もう一人本作で出てくる小人の3人です。
さて、残されたもう一人の小人は、
相変わらず出かけようとはしません。先に出ていった小人に置いて行かれたと懐疑心にかられます。
しかし、そんなことを考えていてもおなかは減り、このままだと死んでしまいます。
しかたなく、もう一人の小人も漸く出かけることにしました。
恐る恐る迷路を廻っていきますが、なかなかチーズは見つかりません。
先に出かけた小人の貼り紙も目に入りません。
そして歩き回り疲れ果てて、道の途中で眠ってしまいます。
あるとき目を覚ますと、知らない小人がそばに立っていました。
その小人は、赤い石を差し出し「これを食べてごらん」と言います。石なんか食べれないと思いながら、おなかがすいたのには耐えられず、一口食べてみると、これは美味しいと思いました。
「この石は?」ともう一人の小人に伝えます。
「これはリンゴ、でもこれが最後のリンゴ」と言います。
「え、最後のリンゴを私にくれたの」小人はもう一人の小人に申し訳なさそうに言います。
「大丈夫、また新しいリンゴを探しに行けばいいから」ともう一人の小人は言います。
そして、その小人と一緒に新しい食べ物を探しにまた迷路を進んでいきます。
チーズ以外にも食べれるものがあると思えた小人は、迷路を進むことが少しずつ苦ではなくなってきました。
また、なぜかチーズを探すために背負っていたシャベルを捨てて、身軽になり迷路を進むのも楽になりました。
しかし、迷路の中はもう十分歩き廻り他に探すところがないように思えました。
ふと、そう言えばチーズやリンゴはどこから来たのだろうと考えました。
「いや分からない、でも迷路に外があるとしら、いままで行き止まりと思っていた袋小路の先にもなにかあるとしたら」という考えがよぎりました。
迷路の暗がりの中、いままで進んでこなかった袋小路の先まで進んでいくとそこに小さく光る穴を見つけました。
小さなその穴をくぐり、さらに進んでいくと、暗がりがどんどん明るくなってきました。
迷路を抜け出し
大きな明るい部屋にたどり着いたのです。
そこには、大きなチーズもたくさんのリンゴも置いてあります。
小人は最初に出て行ったもうひとりの小人がいるか探します。
すると、最初に出掛けた小人は、待っていたかのように笑顔で出迎えてくれました。
そして3人はその部屋を出て、また大きな家も出て新たな世界へ新しいものを探しに旅に出かけました。
以上です。
実際には、この著書はいずれも3部構成になっており、1部ではあるグループの集まりがあり、そこで自分たちの生活で起こった変化についての捉え方を話し合います。2部でこの物語が語られます。3部ではその物語りに関するディスカッションの内容が書かれています。ここでは2部の物語について私が他の人(子供にも)にどういう物語を話して伝えるか考えた内容を記しました。
まとめ
この物語を最初に読んだとき
ネズミと小人がいるのは、トムとジェリーがいるような大きな家で、その壁穴の迷路という小さな世界から、広い海原に出て行くイメージが広がりました。
他の人にこの物語を伝えるのにどう伝えればいいか考えると上記ストーリーとなりました。勝手に言葉を変えアレンジしたところがありますが、あくまで私が他の人に話すのにこう伝えたいと思ったのです。示唆や教訓は読んでもらう読者により違うものです。たとえ間違った解釈だとしても、それがその人にとって良いものであれば、それもまた正解だと思います。