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ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン
DE&I
今回はDE&Iについて、私自身がよくわからなかったので調べてみました。
ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョンの略で社会の多様性、公平性、包括性を高めるための活動の総称です。
D:ダイバーシティ
年齢、性別、民族、宗教、疫病、性自認、性的指向、教育、国籍等々の違いを認識しその背景とは無関係に一人ひとりを尊重し大切にすることです。
E:エクイティ
公平性とは情報、機会、リソースへのアクセスを、すべての人に公平な扱いを保証しようとするもの。
I:インクルージョン
どのような個人、集団であっても歓迎され、尊重され、支援され、評価され、参加できるような環境をつくること。
インクルーシブなグループは定義上多様ですが、多様なグループが常にインクルーシブとは限らず、無意識の偏見、暗黙の偏見があります。
ダイバーシティ&インクルージョンという言葉は、1985年に男女機会均等法が設定されたことから使われだしたようです。
エクイティ(公平性)がつけられたのは
エクイティがつけられたのは、特に米国で社会問題化されたマイノリティの社会構造的不平等の問題が挙げられます。
はじめから不公平が存在している状況では、差別をなくし機会を平等に提供するだけでは解決できない社会の分断や構造的格差が定着してしまいます。
そのため公平性:エクイティが重要な概念になります。
エクオリティ(平等性)とは障壁にかかわらず、すべての人に同じツールやリソースを与える、全員を等しく扱うことです。
エクイティ(公平性)は一人ひとり固有のニーズに合わせてツールやリソースを調整し誰もが成功する機会を得られるように障壁を取り除くことで、結果的に全員が等しい地点に立てるように配慮することです。
エクイティは公正・公平で平等ではないということ、平等に機会が提供されたとしても、例えば左利きの人は左利き用の道具がないと不便で、どこでも左利き用の道具が提供され、簡単に使えるようになれば公平です。
40年以上もD&Iが推進されてきて、男女平等、差別をせず、個性を尊重するのは当たり前と思っていても、公正ででないことは実際によくあります。
例えば、昔はオーケストラの男性比率は90%以上だったようです。それがオーデション会場に幕を張り、だれが演奏しているか分からなくすると。女性の合格比率が50%以上に上がったという事実があるようです。
私は差別しない、男女は関係ないといっても無意識の偏見があること、音を奏でるというだけの客観的事実で判断することが求められます。
自分では多様性を理解し、公平、平等と思っていてもどこかにバイアスをかけていないかを意識する必要があります。
ACジャパン広告
ACジャパン広告は、ダイバーシティに関する広告をよく流されています。
少し前のACジャパン広告で
パイロットになりたい、ピアニストになりたい
の声に対して、男性だと思うか女性だと思うかの問いかけがありました。
男性でも女性でもどちらでもありうることは分かっていて、男性か女性かと思うことはバイアスなのでしょうか。
あまりにジェンダーを意識しすぎるのもそれ自体バイアスにならないでしょうか。
人というくくりで見る、性別関係ないと見るのは平等だか公平ではないことにならないでしょうか。
意識はしても、すべてバイアスがかかっているからダメとみるのは違うように思います。
本広告もそれも分かっていて提供しているなど賛否両論あるようです。
カタカナ英語が気になる
どうも言葉の表現、特にカタカナ英語が気になってしまいます。
どの国も同じでたくさんのニュアンスがあり、その場面・場面で違いがあります。日本語でもむずかしいのに、さらにそれを英語にしてカタカナにして使うとよけい分からなくなるのは私だけでしょうか。
DE&IのEquity(エクイティ)は公平性で一人ひとりの違いを考慮した環境づくりを意味すると言いますが、金融用語では株主資本のことを示します。
公平はFairの方が分かりやすくないでしょうか。
平等はEqualithy(エクオリティ)、公平は平等で偏りがないことを指します。
平等だが公平でない。
エクオリティだはエクイティでない。
イコール(Equal)だがフェア(Fair)でないの方が分かりやすくないでしょうか。
あるいは
〇〇の意味ではそれは平等ではない。
同じ言葉でも使われるシーンでの違いを説明した方が分かりやすいように思います。