私はズボラ旅派
「もったいない」
私の旅について、(特に妻から)よく言われる感想です。
私は旅行の計画を立てる時、あまり詳細に計画は立てません。
家から現地までの移動手段と、滞在先さえ決まっていればいいと思っています。
現地でやりたいことをいくつか決めたら(1-2個)、あとは流れに身を任せるだけ。
例えば、東京で国立博物館に行きたいとします。
綿密に計画を練る人なら、
近くに他の観光地はないか
空港から何時何分の電車に乗ればいつ頃到着できるか
お昼ご飯はどこで食べるか
といったことを詳細に調べ上げるでしょう。
私の妻は、るるぶなどの旅行雑誌を図書館で借りてきて、行動計画を立てています。
一方で私はというと、
国立博物館の開館時間に間に合うかどうか、それさえ調べたら終わってしまいます。
あとは移動中に調べたり、ご飯が美味しそうなお店を見つけたらふらっと入ったり。
事前に調べ上げていた方が、効率的に観光地も、美味しいご飯屋さんも回ることが出来るのは、火を見るより明らかです。
有名なレストランが定休日だった、なんて失敗は避けられるでしょう。
ではなぜ、私は事前準備を怠るのでしょうか。
現役時代の名残?
現役時代、遠出≒遠征or合宿でした。
試合や練習がメインなので、観光する時間なんてほとんどありません。
試合が終わった後にふらっと近くのご飯屋さんに寄るくらいです。
走ることがメインなので、何もしない時だってしょっちゅうでした。
また、遠征も合宿も一人で行くことが多かったので、自分さえ満足できればOKなのです。
その時の名残は少なからずあるでしょう。
しかし、引退をした今、陸上をすることが遠出の理由ではありません。
他に理由はないのでしょうか。
めんどくさいから
予定を立てるのが面倒くさいから、というのは理由の一つです。
元々、衝動的に行動する性格。
前もって緻密な計画を立てるのが苦手な私は、その手間を惜しんでしまいます。
また、過去に計画通りに行かなくても、なんとかなった経験も大きいでしょう。
旅は思い通りにうまくいかないものだし、それはそれで楽しい。
そう思えるからこそ、わざわざ労力を割いて計画を立てることに価値を見出せないのかもしれません。
めんどくさがりな性格に加えて、過去の成功体験が準備を怠るようになった原因の一つでしょう。
観光名所を巡ることは目的ではない?
しかし、一番の理由は、旅の目的にあるのではないでしょうか。
最近ふと気づいたのですが、私にとって旅の目的は「移動」そのものにあるのかもしれません。
目的地に着いて何をするかよりも、むしろ移動のプロセスにこそ楽しみが詰まっているのです。
飛行機に乗る瞬間の非日常、新幹線の窓から流れる風景など、どれも普段の生活では味わえない特別な時間。
移動することで日常から解放され、少しずつ別の世界へ近づいていくあの感覚が、私にとっては旅そのものなのでしょう。
それに加え、時間に追われる日常から離れることも旅の目的のひとつかもしれません。
例えば、初めて訪れる町の街並みを眺めながら歩いたり、道すがら立ち寄ったカフェでコーヒーを飲んだりするひととき。
そうした時間こそが、私にとっての「旅の醍醐味」です。
観光名所を慌ただしく巡るよりも、移動中にその土地の空気を感じながら過ごす時間が、何よりも贅沢に思えます。
もちろん、観光地を訪れてその土地の歴史や文化に触れるのも旅の楽しみですが、私の場合、観光地そのものよりも「そこへ向かう移動そのもの」や「非日常空間でのんびり過ごすこと」が重要なのかもしれません。
事前に細かく観光地を調べないのも、そのせいでしょう。
移動を手段ではなく目的として捉え、慌ただしい日常から距離を置くことに価値を置いているからです。
一人旅はいいが…
ただし、以上の話は一人旅だから許されること。
複数人での旅行は相手がどんなタイプか見極めないといけません。
私は新婚旅行で台湾に行きました。
妻が初海外ということもあり、旅慣れしている私が計画を立てることにしました。
私としては普段より詳細な計画を立てたつもりではありました。
しかし、出発時からトラブル続き。
現地で人に道を聞いたり、その時の気分でお昼ご飯を食べるうちに妻の機嫌がどんどん悪くなっていきました。
そしてついに、移動中の電車内で怒られてしまいました(笑)
ちなみに怒られたのは空港から台北市内に向かう途中で、まだ観光は始まってすらいませんでした(笑)
その後も、何度も怒られながらなんとか新婚旅行を終えるのでした。
この経験をしてから、私はほんの少しアイデアを出すくらいで、二人での旅行はほとんど妻が計画を立てることになりました。
ズボラ旅は、一人の時だけにしておきましょう