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私のこと。

 私は1949年東京生まれです。2013年まで、東京の目黒区に住んでいました。2011年3月に、東日本大地震が起こって、東京電力福島第一原子力発電所が核爆発を起こしました。
 かねてより原子力発電も含む、核の研究・実用化には反対していましたが、それでもまさかの原発事故でした。1986年4月26日の当時ソ連のチェルノブイリ原発事故をはるかに超える大規模な原発事故でした。
 東京でのさまざまな仕事などを整理したのち、とりあえず、原発がないという理由で、沖縄に避難移住しました。それというのも、原発直後に私の体に起こったことが、調べてみると、当時、私一人ではないことから被曝の影響ではないからと思ったからです。

 3.11直後に、右の目は出血をしてほとんど白い部分は無くなりました。それは数週間で消えました。さらに、風邪をひいてもいないのに、常に喉に痰が絡んでして、咳が止まりませんでした。この年の初夏には、血痰というより血を吐いたという状態がありました。
 普段医者に罹らない私でも、流石に驚いて医院に行き検査をしてもらいました。結果はなんでもないとのことだったのですが…。
 さらに、次の年の初頭、帯状疱疹に罹りました。日頃から免疫力が強く、風邪もひかないと自慢していたのにです。幸いとても軽いものではありましたが…。

急性結膜下出血は、2011年に飛び抜けて多いことが厚労省の統計で分かった。

 もう、東京には住めないと、身辺整理をはじめました。

 原発事故が起こった時、東京・目黒でオーロラ自由アトリエという出版社と自然食品店やマクロビオティック食堂をやっていました。「遠藤京子の玄米教室」という料理教室も開催し、区の社会教育課が主催する料理教室の講師もやりました。
 マクロビオティックで陰陽五行を学び、東洋医学に興味を持ったので鍼灸学校に行き、国家試験を受けて鍼灸師となりました。

 食養生と鍼灸師といえば、韓国ドラマの「チャングムの誓い」の主人公ががまさにそうなのですが、鍼灸師となって知り合った同業者の中には、チャングムに影響されて、韓国の調理師免許を取得するために韓国語を学び、渡韓した人もいます。でも、韓国の調理師免許は日本のそれとは違い、実技があります。それもとても高度なもので、どうしても実技をクリアできずに帰国しました。粉から饅頭や餅を作るとなど、かなり本格的なことが出来ないとならないようです。

現在、沖縄本島の南部に住んでいますが、ここで治療院+玄米菜食料理教室+自然食品販売+アロマコーディネータの養成を行なうことが、私の目標です。新型ウイススのパンデミックによって、この計画がすべて一旦見合わせ状態となっているのが現状ですが、リモート機能を使って少しずつはじめていこうかと思っています。

オーロラ自由アトリエは、1990年に私が設立した出版社です。最初に出版した書籍は、山口泉著『アジア、冬物語』です。これは「信濃毎日新聞」に連載していた社会時評に加筆したエッセイ集です。https://aurorajiyu.thebase.in/items/18960114

オーロラ自由アトリエが最初に出版した書籍。

年に1冊出すか出さないかの出版社ですが、絶対に譲れないのは「批判精神」です。
90年代の終わりには季刊『批判精神』という総合雑誌を、第7号まで出していました。
オーロラ自由アトリエについては、また、別にあらためて投稿しようと思います。
なお、オーロラ自由アトリエのBASEサイトは以下です。
https://aurorajiyu.thebase.in

季刊『批判精神』創刊号 表紙の写真は韓国・光州美術大学の学生食堂の壁画。これを描いた画家たちと、その後、何年も経ってから出会うことに。
まるで、韓国ドラマの世界のような出会いだった。これについては、いずれブログから移す予定。



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