キエフと飯館村
2022年のコメント
実は原発事故が起こる数年前に、北関東や南東北の農地付きの中古家屋を購入しようかと思っていくつか見て回ったことがある。あまりこれといったものが見つからず、そのままになっていた。
東京の町工場地帯で生まれ育ち、ほとんど土と接することのない生活を長年送ってきた。慣行栽培の野菜があまりに味がなく、ときには薬臭くて食べることができないほどだったので、無農薬か、減農薬野菜以外は、買わないことにした。で、土に親しむ生活もと、ふと思って探した。
表紙の写真は、東京から避難移住して、現在住む沖縄の自然に取り囲まれた我が家周辺。ほぼ年間、こういう状態。ちょっと自然すぎて、数年経ったけど、まだ慣れない。
2011年5月21日
かけがえのない自然と、そこに暮らす人びと。
高校生の時、渋谷に「バラライカ」という名の喫茶店があった。そこは、ロシア料理なども用意されている店で、私はそこの「ロシア紅茶」をが好きだった。温かい紅茶のそこに、ストロベリイジャムが沈んでいて、長いスプーンでかき混ぜながら飲むと、甘みと酸味が紅茶の味を引き立て、おいしかった。
店のエントランスには、ソファがあってスクリーンが設置され、ロシアの観光ビデオが、いつも流れていた。私のお気に入りは、キエフの自然を紹介したもので、夢見るような広大な自然の美しさに、いつか行ってみたいという気持ちにさせていた。
そこには「今日のソ連邦」というカラー刷りの月刊誌があって、「ご自由にお持ちください」となっていた。今から40年ほど前の話だから、無料の観光映画も、カラー刷りの雑誌も、紅茶一杯で楽しめるのは、かなりのお得感いっぱいだったのである。
後年、チェルノブイリの原発事故があったとき、私が真っ先に思い出したのは、あの、広大なキエフの自然環境の映像だった。いつか行ってみたいと思っていたけれど、もう、行くことは出来ないかも知れないと、思った。現在は、キエフとチェルノブイリ原発がセットになった観光ツアーもあるようだけれども、私は好きこのんで、多少なりとも放射能被曝の影響があるところに、物見遊山で行こうとは思わない。
そして今、福島の原発事故があって、テレビで紹介されるようになった「飯館村」。全村避難をせざるを得ないこの村が、実にすばらしい日本の里山の風景であることを知った。
自分たちは何も特別なことを望んでいない。ただここで、子どもを育てて、子どもを幼稚園にやって、普通に生活したいと涙ながらに語った農家の跡継ぎ、飯館村の若いお父さんの姿が、忘れられない。
この写真は岩手県・岩泉なので、福島からは若干離れているけれども、東北のこのように美しい山々が、放射能に汚染されてしまったことは、事実です。野菜のきのこや山菜の測定値は、今でも桁はずれに多いです。
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