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『蜚語』第19号 特集 「米余り」っていったいなんだ!(1997.12)

 小冊子という形での発行は、この第19号が最終号です。オーロラ自由アトリエでは、1999年春に『批判精神』というタイトルの季刊雑誌を発刊しましたが、その中に『蜚語』も組み入れました。
 《ふりかけ通信》→『蜚語』(《ふりかけ通信》を組み込む)→『批判精神』(『蜚語』を組み込む)という形態で進化させて来たわけです。
 『批判精神』は100ページ強の雑誌なので、そのすべてをここにアップすることは難しいですが、なんらかの形で紹介していきたと思っています。

【表紙は語る】

親愛なる同志諸君
今度はぼくたちの番だ。
イタリアの救済と栄光のために斃れた、
あの名誉ある3人の同志に、ぼくたちは続く。
僕の青春は打ち砕かれてしまった。
しかし模範として役立つだろうとぼくは信じている。
ぼくたちの屍の上に〈自由〉という大きなかがり火が燃え上がるだろう。
愛するお母さんと懐かしい皆に
残念ながら〈運命〉はファシストの怒りのはけ口にぼくと他の不幸な人たちとを選んでしまった。あまり心を痛めないで、なるべく早くぼくの死を諦めて下さい。
ぼくは落ち着いています。
           (ジョルダーノ・カヴェストロ/18歳/中学生)
           『イタリア抵抗運動の遺書』(冨山房百科文庫)

『蜚語』第19号 表紙
「1943年9月8日〜1945年4月25日/祖国の名誉と独立という正義と、
自由のための抵抗の使者たち」の文字の下に、
抵抗運動の死者たちの遺影が掲げられたボローニャ市庁舎外壁。
(1994年3月31日イタリア 遠藤京子撮影)

もの言わぬは腹ふくるるの業

 「蜚語」第18号 (1997年1月)のこの欄に書いた「コッタジ」のコンサートとその後の交流会に関して、実際に行なわれたことをなかったと言い張る人物が現われた。当のコンサートの主催者である。
 同じ事件のことを山口泉さんが、「世界」本年5月号の連載「虹の野帖」で取り上げた。目の前で起こったできごとを紹介し、その問題点を指摘したのだった。山口泉さんはその中で、関係者の実名はコッタジのメンバー以外は特定してあげていなかったのだが、前田なる〝映画監督〟が、なぜか自ら名乗りを上げて「世界」6月号の読者投稿欄に投稿をしていた。その内容は、事実関係に関して、「加藤隼戦闘隊」は歌ったが何も言わずにいきなり歌い、何も言わずに引っ込んだというのだ。申し訳ないが、私はそのとき歌った本人が題名を言わなければ、その歌が「加藤隼戦闘隊」だなんて知らないのだ。なんか軍歌っぽい歌としか、「蜚語」第18号にだって書けなかったはずだ。だいたいあんな歌、聞くのも初めてだったのだから……。
 その会場には50人を超える人がいた。そのすべてではないにせよ、そこで起こったできごとに遭遇した人間が、山口さんと私のたった2人ということはない。じじつ、その後「世界」編集部にも、山口さんの記述を裏づける複数の証言が寄せられたが「あった、なかった」よりも、内容の本質的問題にかかわる投書の方を優先して採用したと聞いている。それを考えると前田という人物はよほどの厚顔無恥か、そこに集まった人びとをバカにして、何を書いたって自分の破廉恥な投書に文句を言う奴なんかいない、あるいは、正義感や良心など、いざとなれば役には立たないさ、みんな自己保身に走るに違いないとたかを括っているとしか思えない。
 さて、事実関係はそんなわけで論外なのだが、前田氏の投稿内容はそれだけではない。山口泉は「場違いな軍歌しか歌えなかった」「素朴な氏子を〝軍国主義者〟に仕立てることで論をつくりあげる」などと訳の分からぬ言い掛かりをつけて、氏子を擁護しているのだ。「素朴な氏子」っていったい何だ! 今どき神社の氏子代表だと名乗り出る人間にこんな形容が通用するとでも思っているのだろうか。「〝軍国主義者〟に仕立てる」というが、他人に「仕立て」てもらわなくったて、充分〝軍国主義者〟だろうに、それでは「氏子」に失礼ではないか。だいたいこの手の人たちは、ふたことめには、「素朴な云々」といって、その者が犯した行為の犯罪性を軽減しようとする。本来「素朴」だろうが何だろうが、軍歌を歌うなどという行為は、犯罪的なことだ。ドイツなら立派な犯罪で、最低でも罰金だ。しかも、「場違い」だという。韓国労働歌謡を歌うグループの前だったから問題なのか。どこで歌ったって、軍歌は軍歌だ。山口さんは、次の7月号で同じ会場にいた何人かの証言や「蜚語」第18号の引用をしながらさらに再反論をした。ところが話はそれで終わらず、その前田氏と同じグループの萱沼という女性の投書が、9月号の読者投稿襴にまたしても掲載された。「軍歌」は歌ったが、やはり何も言わなかったと強弁する〝事実関係〟の捏造ぶりに関しては同じなのだが、今度は「素朴な氏子」ではなく、会場を借りるにあたって、高麓神社と「地元の青年」と称する人びととの間に緊張関係があった云々と、その裏の事情めいたものを述べている。「素朴な氏子」が「素朴に歌った」のではなく、確信犯として歌ったということを自ら暴露したのだ。なるほど「蜚語」第18号にも書いたように、コッタジのメンバーには正確に伝えるのを憚るような挨拶をした宮司の腹には、そういういきさつがあったのかと納得した次第。やぶ蛇とはまさにこのようなことを言うのだろう。
 宮司にコッタジの歌の内容を当てこするような挨拶をされたり、氏子に軍歌を強引に歌われてしまったりすることに目をつぶっても、「高麗神社」で開催する必然性があったのだろうか。「コッタジ」にふさわしいコンサート会場を提供することは、彼らを招聘した側の最低限の礼儀ではないか。前田氏および萱沼氏は、なぜ、現実に起こったことを、「なかった」と言い張るのか。まるで、「強制連行はなかった」と言い張る人びとのように。なぜ、山口泉さんが提起した問題に、正々堂々と正面から論争を挑もうとはしないのか。
 例えば強制連行に関して、「戦争だから仕方がない」との主張もあるように、「高麗神社の関係者には、会場を借りるのに世話になっているし、酒の席だし、表現の自由もあるし、そこまで言わなくても……」との主張もあるだろう。現に主催団体の中心的存在だという、ある労働組合では、山口泉さんの指摘に対して「重箱の隅をつつくようなことだ」との意見があると伝え聞いた。その事実に対して違う立場を主張するのならばともかく、「あったこと」を「なかった」と言って、何の意味があるか。
 私は、町内会費を払うと八幡神社の氏子にされてしまうのが嫌で、拒否して嫌がらせをされたことがあるくらいだから、その会場で「氏子」なる言葉が飛び交うことに心底驚き、ここはいったい何の会場なんだと、思わず参加者1人ひとりの顔を見まわした。しかし、他の人びとは、別に不審に思う様子もなく、おでんをほおばったり、ビールを飲んだりしながら歓談している。氏子と称する者の「戦争が好きです」発言や「加藤隼戦闘隊」に対しても、多くの参加者は聞き流し、指摘されなければ、その問題点にも永遠に気づかなかったのだろう。
 前号でも簡単に書いたが、私は鵞きと怒りで、食欲もなくなり、その場に居ることが苦痛だった。しかし、コッタジのメンバーと話をするため、後述するような理由があってもなお交流会に参加したわけだからと気を取り直し、知人にその楊で紹介された方に通訳をお願いして、メンバーの1人に少し感想を伝え、早々と会場を去った。
 一夜開けてもその怒りは収まらず、気分が悪くなるほどだった。会場で見かけた主催団体に名を連ねている労働組合の知人に電話して、主催者は誰も問題にしていないのか問い合わせた。当人はちょうどその時席を外しており聞いていないと言いながらも、私の説明に「そんなことがあったの」とちょっと鵞いた様子だった。しかし、終わった後でも、そのことについて誰も何も話題にしていないと言っていた。あのようなことが主催者の間で、特にいくつかの労働組合が加わっているにもかかわらず、問題にならなかったことは、今でも信じられない。また、前述したように「重箱の隅をつつくようなことだ」との意見が、労働組合の一部にはあるようだ。労働組合と言っても、いろいろあるんだなとあらためて思う。
 今回の招聘者や主催者と何人か同じメンバーが重複する〝韓国の民衆と連帯する〟と標榜しているグループがある。私もそこに参加していたのだが、ある時、その事務局長職にある男性の性差別発言をその場で指摘したら、まるで指摘した私が会の秩序を壊したかのような罵声をいっせいに受け、大混乱になった経験がある(『蜚語』第14号の1994年3月発行〈ふりかけ通信〉参照)。「重箱の隅」云々を聞くに及んで、私たちがその場で声を上げていれるくば、同じようなことが起こったかもしれないとも思う。 
 事実関係については、同じ会場にいた何人かが、自分も聞いたとの証言をしているのだが、「世界」編集部からそのことを聞きだした前田氏は、今度はその証言者の1人が所属するグループのリーダーに、「それはいったい、どいつなんだ」と聞きまわっていると聞く。おかげでそのリーダーは「自分たちもまき込まれるのかなー」と心配していると、証言者自身が不安げに私たちに伝えてきた。
 混乱を覚悟してもなお声を上げなければ、事実そのものがねじ曲げられてしまうのかと、気が重い。また、いわゆる「市民運動」と称するものは、運動の過程で何か問題があっても、全体の運動の推進が優先され、問題点はうやむやにされてしまう。「日韓連帯運動」と称する中では、今回の事態も何事もなかったように埋もれていくのだろう。
 くだんの性差別発言事務局長も、何を問われることもなく、その後もすっかりその気になり、ソウルでの「日韓共同シンポジウム」とやらに、日本側発題者として参加したらしい。どうも、運動の質の向上は望めないようだ。それが敗北につながるということは、歴史が証明しているにもかかわらず……。

☆☆☆☆☆

『蜚語』第19号 7p

特集 「米余り」っていったいなんだ!

減反ストップ裁判に、ご注目を。そして、あなたも原告に。

 いま、日本消費者連盟などを中心とした「減反やめよう! コメ作ろう! 全国ネットワーク!」によって、減反政策差止請求の裁判が行われています。これは、1979年の冷夏によって米が凶作となり、米不足を起こしたことをきっかけに、政府の誤った農業政策の責任を問うものです。
 そもそもあの時、誰もが思いました。何でたった1年の凶作で米が店頭から消えてしまうのか? 国は、米を備蓄していないのか? 昔よく話題に上がった、古米とか古々米とかいうのはないのか? 揚げ句の果てに緊急輸入。国産の米はタイ米などと抱き合わせでなければ買えないといった状況になりました。マスコミはニュースキャスターが輸入米を食べてみせ、「意外とうまい」なんて、輸入米キャンペーンに一役買うことに余念がありませんでした。日本の金に任せた緊急輸入のおかげで国際市楊は混乱し、米価の高騰を起こして、タイや中国では人々が困ったということは、少し後になって聞きました。
 政府はこれ幸いとばかりに、輸出黒字解消のスケープゴートにされた米の輸入自由化を推進しました。一方、農家には相変わらず減反を強いているという有り様です。1997年10月28日付けの「朝日新聞」は、「減反農家に所得補償」という見出しで政府・農水省の方針を、1面トップで報じています。「農民よ怒れ!」と言いたいような、この人を馬鹿にした政策。こうして、農業従事者はその意欲をそがれ、後継者もないまま離農が進んでいったら、どういうことになるのでしょう。現在でも世界に類を見ない、食糧自給率の低いこの国です。自然環境が悪化するばかりの今日、天候不順による凶作は、いつ起こらないとも限りません。地球規模の凶作が起こったら、いったいどうするつもりなのでしょう。
 もう、めちゃくちゃとしか言えないようなこの国の農業政策に対して、その責任を追及するという、取り組みがなされています。現在、「減反ストップ裁判」では、第3次原告を募集しています。ぜひ、この裁判にご注目を。そして、あなたも原告になってください。

『蜚語』第19号 9p

 このかん、減反差し止め請求裁判の原告の1人にも連なり、ただ1度だけですが、裁判の傍聴にも行って、米の輸入自由化反対と食稽の自給について考えてきました。私としては、この裁判で訴えてきたことは、たいへん納得できることです。ところが、こと農業問題に関しては、人びとの関心があまりにも薄く、基本的な情報についてさえ無知であることや、間違った情報に基づく思い込みが多々あるという事実に出くわします。それは、他の問題でもそうですが、マスコミの誤ったキャンペーンが、大きく影響しています。 
 いわゆる第3世界に理解があると称し、飢餓状況の地域に対して援助を行なったり、それらの地域の食べ物や生活習慣、文化などにも積極的に関わりを持とうとする人びとの間にも、誤ったキャンペーンは影響を及ぼしています。米の輸入自由化に反対することが、まるで金持ち日本の傲慢であるかのように言ったり、工業製品だけ売り付けて、農業国である第3世界の農産物の輸入を拒否するのは、身勝手であるというような主張に出くわすと、おいおい待ってくれよと言いたくなります。
 そもそも農業生産物の輸出国は、アメリカやカナダ、オーストラリアなどであり、いわゆる第3世界ではないということすら認識せずに、ただ第3世界は先進工業国でないのだから農産物を輸出しているのではないかというという思い込み、いわば偏見のようなものがそれらの主張の前提となっているのをみると、この人たちの第3世界に対する理解とは、どのようなものなのかと思ってしまいます。
 1994年、政府の間違った農業政策による米不足の時、緊急かつ大規模な米輸入によって、国際米価が高騰し、中国やタイで人々が困ったとのニュースは、日本にも伝えられました。このようなニュースを聞いてさえ、あれら「第3世界マニア」は、米の輸入自由化に反対することは、傲慢だの奢りだのとのたまうのですから、もう、議論する気にもなりません。同じ地球上に、飢餓が存在し、一方でやれ400万トンの余剰米だと言って騒いでいる人間がいるということに、まず矛盾を感じることなくして、いったい何が出来るというのでしょう。
 緊急輸人に関して、三浦広貴さん(慶応大学3年)はタイの農村に行って調査をしてきました。彼は、1994年1月の米価は、1年前に比べて4割も高くなったと報告し、次のように述べています。
 「タイ米緊急輸入問題の示す教訓は、1国の主要農産物の自給が達成されない国は、そのツケを他国にしわ寄せしてしまうということではないだろうか。(中略)米不足にいたった経過を冷静に見つめ、稲作も含め、まずは国の自給に根差した日本国内の農業のあり方を新たに打ち出していくことだと思う」(「減反問題研究会ニュースNo.2」1994年11月)
 今や食べ物をめぐって、アメリカなどの種子や化学肥料、農薬関連の企業が世界を支配しようとしているという現実は、最近問題となっている遺伝子組み替え作物でも、はっきりしてきています。
 市場に出回るようになって1年経つという、遺伝子組み替えの大豆やトウモロコシは、そうでないものに、現地で2~3割混合されて輸入されるとかで、表示義務のない日本では、消費者は選ぶこともできません。しかも、遺伝子組み替え作物を嫌う消費者がいることを知ったアメリカのカーギル社は、それらの消費者向けに、今度は非遺伝子組み替え作物を指定栽培し、これまでより2~3割高く売り込もうとしているとまで聞きます。
 食べ物の自給自足を手放してしまうことが、どんなに恐ろしいかということくらい、小さな子どもでも分かるというのに、いったいこの国の政府は、何を考えているのでしょう。そして、物言わぬ国民も……。

メーリングリスト(ML)【グローバル・グリーン】での論争

『蜚語』第19号11p

 1996年暮、【グローバル・グリーン】という、環境・人権問題をテーマとしたメーリングリスト(ML=インターネットの電子メールで、情報や意見をやり取りするコンピュータ・ネットワーク)に上のような情報が掲載されました。これはどう見てもある目的を持ったキャンペーンと判断し、左記のようなメッセージをそのMLに流しました。

 米の輸入自由化策動に、反対します。食糧の自給自足を考える心ある人びとは、このようなものにおどらされないことを願います。日本の稲作、農業を守りましょう。減反はやめて、食糧が不足しているところへ送リましょう。この国がすばらしい自然豊かな地域にあることは、まったくの偶然にすぎないのですから……。これはどう見ても、アメリカの米を日本に輸出させるための、キャンペーンに思います。

ML【グローバル・グリーン】への投稿

 ところが、私が思ってもいなかった論議が起こりました。米の輸入自由化に賛成の立場から、さまざまな意見が出され、その中には、うんざりするような誹謗中傷もありました。まず、いきなり「反対します」と言うのが悪いというのです。「断定的」であると、攻撃の対象になりました。「自由」を主張する立場から「国が輸人を規制するのはおかしい」との主張もありました。
 私が「農業を守る」とか「食料が不足しているところへ米を送る」と言ったことに対して、工業製品の輸出で金持ちになった日本が、農業で成り立っている第3世界の農産物を輸入しないのは、「奢り」であるというような、根本的に間違ったお粗末な認識によって、「反論」したつもりになっている人たちばかりを相手にするのは、ほんとうにたいへんでした。
 この国が、戦後行なってきた農業政策をふまえての発言と思えるものはほとんどなく、マスコミを動員した政府の世論操作の効果のほどを見せられた思いです。
 いつからこの国の人々は、こんなにも物事の本質をきちんと見ることが出来なくなってしまったのだろうかと、またしても暗澹たる思いで、ML上の論争というものから抜け出した次第です。しばらく論議をした後に、包括的な意見を述べて、終わりにしました。さらに、これをきっかけとして、オーロラ自由アトリエのインターネットホームページに、日本消費者連盟の紹介と減反差止請求訴状裁判のページを作ることにしました。
 以下、私が最後に送った意見を再録します。農業問題に関してこのような立場から、減反政策にも米の輸入も、私は反対の意志を表明しています。

「列島改造」に破壊された日本農業          遠藤京子

■はじめに 
 だいぶ時間が経ってしまったが、このかんの米の輸入自由化に関する論議について、私の最終的な意見を述べさせていただきたい。あらかじめお断りしておくが、これ以上、この周題について論議することは不毛であると考える。なぜならば、論議の前提としてふまえていなければならない、いわば常識的知識が、各自あまリにも違いすぎ、それを調整したり解説する、司会者もいないやリとりで論議が混乱し、最終的には、内容の問題ではなく、語感や語気が云々、あるいは、反対の意見も尊重するべきといったレベルの、論争に対する基本的な姿勢の違いに、愕然としているからである。
 論争において、反対者に意見に寛容であれということが、どのようなことを意味するのか、真剣に考えることのできない人びとと、論争するつもりはない。私はどのような場であれ、自らの政治的、社会的存在の責任において発言しているのであって、言論とはそのようなものであると考えている。
 したがって、たとえML(メーリング・リスト)上とはいえ、これまでこの問題について発言してきた方々の発言内容に開しても、決して聞き流し、過去のものとして忘れさることはしないであろう。この国に、今、このような発言をする人間がいるのだということは、今後の私の活動にとって、新たな問題提起となった。その意味では、感謝をしておこう。
 好むと好まざるとに関らず、われわれは国家の官僚的軍事的統治機構に組み込まれ、支配されている。したがって、われわれの運命はその限りでは国家に依存している。その中にあっていかにして国家の支配から脱するのかは、支配の本質を見抜くことからはじめなければならない。支配の本質を見抜けないものは、
 A氏=『「食文化」に、政府が(〝輸入規制〟という形で)介入すべきではありません」
 というように、「食文化」ひとつ取ってみても、国家に支配され変化させられてきた自らの存在を疑ってみることもせず、ただひたすら「輸入規制」について、反対するのである。詳しくは後述するが、日本の食文化は、アメリカの占領政策の中で、変化させられてきたのである。
 さらに、過渡的には、自らを守るために国家に対してさまざまな要求を突きつけていくことも重要である。国の規制を嫌うがゆえに、輸入規制をも反対であるとの主張があるが、国に規制をさせることで、部分的にではあれ、経済効率優先の社会から、自らを守ることも必要であると考える。たとえば労働基準法をはじめとする、さまざまな労働法、公害規制、児童福祉法など……、多大な犠牲と苦しい闘いを通じて、人びとが勝ち取ってきたものである。それらの過程で、人びとは自らの運命を国家にゆだねるのではなく、ひとりひとりがその闘いの中で自立し、この社会は自らの力によって切り開いてゆくことが出来ることを学んできた。民主主義は、そのような人びとによって育まれれていくものである。そこで築き上げられた民主主義は、けっして次のような発言を許さないことを私は知っている。
 B氏=「民主主義である以上数が最優先されますからね」。
 現在、規制緩和が徐々に行なわれつつあるが、女性の深夜労働禁止事項の撒廃など、それによって働く人びと全体の労働条件がよリハードになりかねないと危惧されているものもある。HIV訴訟は、危険な血液製剤を厚生省が規制しなかったことが、国の不作為として訴えられている。

■ML上での誦議について
 
本来論議になっていた米の輸入自由化周題については後述するとして、いくつか感じたことを述べる。
 まず、私は、ある事柄に「反対である」との意思表示は、その理由を必ずしも述べなければできないとは考えていない。なぜならば、「反対である」との意思表示は、その事柄についての自らの判断、立場の表明であり、他者を説得しようとすることとは違うからである。
 また、その理由を明確に述べるこができないからといって、「反対である」との意思表示をしてはいけないとも思わない。「反対である」ことの理由は、さまざまであり、極めて即時的な利害もあれば、もう少し普遍的な利害もあるだろう。また逆に、はっきりとしないが、何となく賛成しかねる、よって、反対票を投じるということがあってもいいと考える。
 また、すべての人びとが、「反対である」ことの根拠を、数字的に、あるいは、より具体的に述べることは、今日のように情報そのものが、限られた者のいわば特権としてしか存在しない社会にあっては、困難といえよう。そのような状況の中でも、「反対である」との意思を表明することは、人間としての基本的権利である。
 一般に、成人よりは知識が少ない子どもでも、素朴な疑問によって、あるいは、敏感な感性によって、「反対である」との意思表示をすることがある。たとえば、かつて、三里塚空港(成田空港)建設に反対して、三里塚高校の生徒をはじめ、中学生、小学生までもが、空港建設反対の意思表示をした。彼らは農村に暮らす者として、自らがおかれている境遇を敏感に感じ取り、「反対である」との意思表示をしたのであった。その姿を見て、東京の小学校入学以前の子どもが「畑を潰して飛行場を造ったら、食べるものがなくなっちゃう」とづぶやくことも、私は、同じように尊重したいと考える。したがって、
 A氏=「賛成、反対の根拠が明確でないとき、「断定」するのは恥ずかしいことです」
 C氏=「断片的にひとつの事についてだけ、意見を述べること自体は、全く自由です。しかし、それを聞いた人が疑問に思う点に充分答えないと、無貴任という印象を持たれる可能性があると思います」
 とは考えない。むしろ、あれやこれやを言うだけで、結局その事柄に賛成なのか反対なのか、はっきりした態度を示さないことのほうが、はるかに恥ずかしいと私は思うし、また、無責任であると考える。しかも、その同じ人間が、米の輸入自由化に反対する立場から、「日本の風土、それぞれの地方の生活習慣や気候にあった食文化の中で、「食」というものを考えたほうがいい」との私の発言に対して、
 A氏=「もしかして、これは、米の輸入自由化反対の根拠ですか? もしもそうであれば、これを根拠にするのは間違いだと断言します。「食文化」に、政府が(〝輸入規制〟という形で)介入すべきではあリません」
 とまで「断言」している。しからばこの「断言」の根拠はなにか。
 国家は、その政策を貫徹するためにあらゆる手段を取る。それは、必ずしも「規制」という目に見える形をとるとは限らない。それを見ようとしない者は、「『断定』するのは恥ずかしい」と思いながら、賛成も反対もせずに、結果的には国家の政策に追随していくことになるであろう。
 以前、この同じMLで、私が「企業の人権問題」に関する情報を出したときも、似たような論議になった。そのときある人が、「MLで綸議するのはあまり得策でない。情報を流すのだけにしたほうがよい。疲れるだけだから」というような私信をくださった。そのときも、議論の在り方などについて、発言をした。今回も、同じようなことが起こったので、今後は、その忠告を肝に銘じておくことにする。
 次に、米の輸入自由化に問題に入る前に、若干の歴史的背景に簡単に触れておきたい。

■商社を媒介にして、外国に全面的に胃袋をあずけるほうが得策だと考える財界の思惑を見抜けるか、否か。
 
池田内閣の所得倍増計画のもと、1962年に出された「全国総合開発計画」は、「新産業都市計画」として、東京、大阪への経済、人口の集中を緩和し、地域格差を是正するものとしての地域経済開発を目標に出された。それは、日韓条約締結を目前にし、日本が高度経済成長を経て経済的転機を図り、OECD および IMF に加盟し、さらに海外へと膨張していくという課題を背負った、日本全土にまたがる本格的重化学工業をめざすものでもあった。しかし、東京、大阪への人口の集中は加速し、過密都市と地方の過疎化を生みだした。こうした状況を打開しようと出されたのが「新全国総合開発計画」(新全総・1969年)であった。
 これは、20年の長期計画であり、地域経済だけでなく、土地・生活・経済を柱として、20年後の日本の課題を見るという日本全土にわたる再編を目指した。
 通産省の「工業開発構想」11大規模プロジェクト方式として、苫小牧・むつ小川原・秋田湾•徳島橘湾・宿毛湾・周防灘・志布志湾などを中心に、過疎・過密対策のための工場分散化政策が、国士の広域利用という名目で行なわれてきた。さらに、高速道路や新幹線などの交通、通信網の整備と東京など7大都市への中枢管理機能の巨大な集積が計画された。
 この新全総を基本に、国土の広域利用化を促進するものとして、「新都市3法」(新都市計画法・土地収用法・都市再開発法)が打ち出され、食料供給基地と農業の近代化を進めるものとして「総合農政」が登場した。
 総合農政は、米の減反と食糧管理制度(食管制)だけでなく、1961年の「農業基本法」による農業の近代化が、あまり進行していない事態を打開するものとしてあった。日本の自然風土に育ってきた水田を基礎とした小規模な日本型農業を否定し、経済効率を追求し、安い食料を供給することばかりを目指した政府の農業政策は、結局のところ、労働者の賃上げを抑える狙いと、機械、農薬、資材、エネルギーなどの大量消費を確保しようとしてきた。 
 アメとムチを行使しての減反強要は、農民にとって、結局は農業放棄につながっていかざる得なかった。それは、政府の目標でもあった。
 「米作減反政策の本命は奨励金つき休耕などによる生産調整ではなく水田の転用を促進するとことにある。その目標面積は3年間で35万ヘクタールである」(1970年3月、福田蔵相国会答弁「減反差止請求訴状」)
 このように、総合農政によって自主流通米の導入、減反生産調整、買入制限など、食管制を骨抜きにし、生産者米価を3年据え置いて農民保護を打ち切った。それによって、零細の農家を切り捨て、これまでの米作中心農業から、新全総にもあるような「地域経済、社会構造の変化に見あった農業の育成」をはかった。
 1971年には「農村地域工業導入法」、1972年には「工場再配置促進法」によって、農村と農民から土地と水と労働力を収奪し、日本列島全体の重化学工業化を進めていった。国際競争に勝ちうる高生産性農業化は、いわば、農業の工業化ともいえるようなものとなった。
 新全総———総合農政を通じて、農業、農村は、解体再編を余儀なくされ、もはや専業農家は数パーセントといった状況が、1970年代を通じて作られてきた。とりわけ若者と壮年は、労働者として工場や工事現場等で働き、農業は老人と女性が担うといういわゆる「3チャン農業」が一般的になってから久しい。一方、工場に働きに出た農民の多くは季節労働者や臨時労働者として存在し、何の保障もない不安定な身分に置かれてきた。それは経営者側にとってみれば、全体を低賃金と劣悪な労働環境に抑えるための、本工を牽制する存在としても役に立ってきた。

■法の規制に敏感でも、巧妙な世論操作に鈍感では、自由は守れない。
 一方、これまで述べてきたような、日本列島全体にわたっての再編のもと、私たちの生活が、どのように変化させられてきたのか、食生活を中心に考えることとする。
 日本の食事のパターンは、高度経済成長によって自然に変化してきたと説明されるが、実際には、学校のパン給食をはじめ、あらゆる機会を利用して、政府が変化を促進してきたのである。それは、1950年代末に開始したされたアメリカの対日小麦輸出戦略、つまり余った小麦を日本に押し付けることと、それに迎合した日本の政府によって、変えられてきたのである。他の生活習慣と比べて、食習慣はもっとも変わりにくいとされている。それは、生命の維持に直接関るからであろう。したがって、食生活パターンは、そう短期間に急激に変わるものではない。それがわずか2~30年の問に、1億2000千万人の国民が食生活のパターンを変えてしまったということは、驚くべきことではないかと思う。このことから考えると
 B氏=「『食文化』に、政府が(〝輸入規制〟という形で)介入すべきではありません。国民の嗜好に沿った商品が生き残るという形であるべきです」
 といった主張は、政府が巧妙に、国民の嗜好そのものの変化を促していったし、これからもそのくらいのこと、つまり、法規制といったことをする以前に、あたかも自ら進んでそれらを好んだかのように思い込ませることぐらいは、十分やってのけるということが見えていない。それとも、戦後の食生活の変化は、国民1人ひとりが自ら進んで変えてきたとでも言うのだろうか。
 食生活は、その風土と農法に適合するように定着してきた。風土、農法、食生活、食糧自給は、それぞれが密接に関連しながら、1つの社会システムを作ってきた。湿潤で高温な日本は、水稲に適し、米が主食となってきた。水田は連作が可能なので、2000年にわたって水田に水稲だけを連作しても、生産性は衰えず、しかも、温暖な気候のおかげで、いもや豆や野菜は随時穫れる。近海は豊かな漁場で、タンパク源にも事欠かない。米を主食にし、雑穀と野菜と魚という日本型食生活は、風土とそれに適合した農・漁法によって、食糧自給を可能にしてきた。
 それと同じように、寒冷乾燥のヨーロッパでは、パンと食肉と牛乳の食生活体系ができあがってきた。ヨーロッパでも、戦後、経済成長にともなって、食生活の体系は多少の変化をしてきた。しかし、彼らは、伝統的食生活体系と自給を基本に考えていくという社会システムを崩さなかった。ところが日本は、アメリカの対日小麦輸出戦略の下、その基本を崩してしまった。はじめに見てきた日本のさまざまな「列島改造計画」によって、日本農業を縮小し、工業中心の産業重点策をとってきた自民党政府は、アメリカの要請をいわばこれ幸いと受け入れ、食生活は変えられていったのである。

■降った雨は、小川から大河へ、そして海へ。再び、雨となり……。
 次に、国土の保全ということを、簡単に見ておきたい。昔から山の麓では、棚田で水田農業が営まれてきた。降った雨を森林が受け止め、地中に蓄えられた水が地下水や小川となって麓に流れる。麓で稲作を営む農民が、農作業のかたわら林業を行なう。こうして森が守られてきた。彼らが離農しなければならない状況に、追い詰められるということは、森の守り手がいなくなるという、国土の保全にとっても重大な結果を招く。
 水田から流出する窒素による環境汚染がしばしばとりざたされるが「ヨーロッパ諸国で地下水の中の硝酸態窒素濃度上昇が大きな問題となっているが、日本の水田ではその値が低いという調査結果が出ている。これは肥料(窒素分や燐分)の耕地外への流出がきわめて低いことによるものである。それだけでなく、水田は用水中に含まれる多量の窒素分を吸収することができるという、田淵俊雄氏による調査結果が出ている。これは肥料(窒素分や燐分)の耕地外への流出が極めて低いことによるものである。それだけでなく、水田は用水中に含まれる多量の窒素分を吸収することが出来るという。田渕俊雄氏による調査結果も出されている(「減反等禁止請求裁判訴状」)。
 さらに、化学肥料・農薬の使用量は、1960年当時に比べて何10倍にもなっているが、これは、前述した「農業基本法」による「大規模化」「近代化」と称して、日本の国土や風土に適さないアメリカの農業を導入しようとしたことに起因する。原因を見ないでその結果のみを上げつらうことは止めたい。我々が今考えなければならないのは、いかに化学肥料や農薬を減らしていくのか、有機栽培を復活させるために、どのような手立てが必要なのかということではないだろうか。1993年の凶作時において、有機栽培を実施している生産者グループが、有機栽培のほうが冷害に強かったとの結果を報告していることなどにも、もっと注目すべきである。

■このままの食生活では、日本の農業は滅亡し、工業化された「農業」だけが残るだろう。
 以上のように、米の輸入自由化問題が、今日のように具体化してくるに至った日本の農業施策を、簡単に見てきた。農業はこの国の産業政策全体の中で、いわばスクラップ・アンド・ビルドの過程で切り捨てられてきた。すでに、米以外の農産物・畜産物・また、飼料はほぼ100パーセント、海産物ほか、多くの食料が輸入されている。とりわけ輸入飼料の問題は、ポストハーベストの危険性(飼料は、人間が食べる時のように洗わないから、汚染はそのまま、食した動物の体内に入る)はもちろんだが、次のような結果をもたらしている。輸入飼料を食べて排泄された糞には、外地の雑草の種子が混ざっていて、それが田畑に散布されて、見慣れない草がどんどん繁茂していく。そのような帰化植物は旺盛な繁殖力を持ち、除草を困難にしていく。そこで、場合によっては、除草剤がさらに多く使われる。なんと恐ろしいことではないか。
 そのような中にあって、今なお減反政策を続ける政府に対して、「減反差止請求裁判」や「食の時給と安全をめざす基本法制定」運動が起こっている。それらの主張がマスコミで大きく取り上げられることは少ないが、ぜひ、注目していきたい。
 「食の自給と安全をめざす討論集会」(1994年9月21日)において、早稲田大学の西川潤氏は、問題提起の中で次のように語った。
 「穀物貿易は60年代に比べ2倍以上に増大している。途上国ほど食料を輸入に依存しているが、輸出国はアメリカ・カナダなどに限られており、輸出国の事情によって食料問題が起こる可能性は大きい。また、穀物の貿易はアメリカの5大商社が独占している」(「消費者リポート」第914号)。
 また、米の自由化問題を論じるにあたって、「風土に合った食文化を取りもどそう」といったことが、とてつもなく論外なことであるかのように見られていたが、はじめに見て来たように、日本の食文化が外からの圧力によって急激に変えられ、その結果、国内の農業が壊されてきたきた経緯から、1人ひとりが、いま、どうすればいいのか、何なら出来るのかということを、考える必要がある。現在の食生活のパターンを変えない限り、日本農業を正常化する道はないように思う。それが嫌なら、アメリカの傘の下、ますます自給力を失い、私たちは命の糧を、政治家と財界の思惑に左右されながら、生きていくしかない。

■米の輸入自由化に反対することは、自給を促進すること。それが、グローバルな食料問題への責任である。
 
世界の胃袋を支えていると言われているアメリカなどの穀倉地帯が、地力収奪型の農法によって、表土流失、砂漠化が進行していると言われて久しい。さまざまな環境破壊などによって、このままいくと、2015年には、食糧生産は減少に転じるとの予測がある。アジア各国の都市化によっても、作付面積は減少しつつある。一方、人口増加による需要は、主に途上国において深刻な食糧不足を引き起こしつつあり、それはますます増大する。すべての国々が、食料の自給をその基本とし、そのときどきの自然条件、あるいは絶対的な自然条件をふまえ、その収穫は公平に分配をする。この問題についての論議は、これが基本である。そのために我々に何が出来るのかといった論議にならない限り、救いはない。
 このかんの論議を見ると、米の輸入自由化に反対し「食料の自給率を上げること」=「自分たちの利益しか考えていない」といった、本末転倒した意見が見受けられる。むしろ、日本が米の国際市場へ出ていくことによって、米相場に混乱をもたらし、生産国の自国内での米相場までをも釣り上げられてしまう恐れがあることは、1昨年の緊急輸入の際にも見られた現象からも明らかである。
 食料を自給するということを基本に据えるためにも、日本は減反政策をやめるべきである。そもそも、その年度内に収穫した米は、その粘土内に使い切るという前提で立案される米の需給計画は間違いである。農作物は自然現象によってその供給は変動する。したがってそのことを十分に踏まえた上で、中期的、長期的な需要計画を立てず、毎年、「米が過剰だ」「米が不足だ」と騒ぎ立てている。
 米の輸入自由化に反対することは、国家に輸入規制という権限を与えるという意味で懸念を表明している人もいるようだが、減反は、国家が農家に「稲作を禁止する」という権限を、なんの法的根拠もなく行使しているということをわかっているのだろうか。
 
 さて、「米の輸入自由化に反対する」ということについては繰り返し言ってきたように、たいへん多岐にわたり、これでもまだまだ十分とは言えない。
 日本政府は工業製品の輸出による黒字貿易に対する欧米諸国、とりわけアメリカからの圧力を、農産物をスケープゴードにすることで切り抜けてきた。そこには、国内においては、まさに工業製品を輸出することで利益を上げてきた産業界からの圧力もあった。それたについても分析も、さらに必要と思われる。また、今後、我々がどうしていくべきかというようなことについても、言及したいが、前述したように、消費者としては「食文化」といったものから捉え返さない限り、打開の道はないと考えていることだけを述べるにとどめておく。
 実際に「日本の伝統的な食文化」を見直そうという消費者と有機農業を基本に据えている生産者が手をつなぎ、この国の食の未来を、自らの主体的展望の下に切り開いていこうとしている人びとが、少なからず存在している。
 米の輸入自由化反対の根拠について、
 A氏=「『食文化』が根拠だったら、おこりまっせ。〝美味しんぼ〟じゃないんだから……」
 などとふざけた対応をしているようでは、未来はないことを付け加え、このかんの論議に対する私の発言を終わりたい。

『蜚語』第19号 30p

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最後のガリ版コレクション ④日米共同声明

『蜚語』第19号 21p

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芸能界井戸端会議 第2回 『アジアの純真』

『蜚語』第19号 22p

アジア【Asia】6大州の1。東半球の北部を占める。世界陸地の約3分の1にあたり、ヨーロッパ州とともにユーラシア大陸をなす。南北はインドネシアからシベリア、東西は日本からトルコおよびアラビアにわたる地域。ウラル山脈・カスピ海・カフカス山脈・黒海・ポスポラス海峡によりヨーロッバと画され、スエズ地峡によりアフリカ大陸に接する。人口は世界住民の2分の1以上を占める。〔「亜細亜」とも書く〕

三省堂「大辞林」

記号としての人間

 「アジアの純真」という歌を知ったのはそれほど前のことではなく、1996年の暮れも押し迫った頃だった。といってもそのメロディーだけは、街中の有線放送でとうに聞きなじんでいたのだが。で、精確には「全部の歌詞を知った」のが昨年末だった、ということになる。たまたまついていたTVの歌番組から、聞き覚えのある曲と一緒に、テロップが流れ始めた。……身体中の血液がどこかへ流れ出てしまったかのような感覚を味わうことになるのは、ほんの数分後のことだった。

 北京 ベルリン ダブリン リベリア
 束になって 輪になって
 イラン アフガン 聴かせて バラライカ
      (井上陽水「アジアの純真」)

 あるいは歌は知らなくとも「パフィー」という名前なら耳にしたことがある人の方が多いかもしれない。去年のナントカ新人賞を獲得し、その「アイドル歌手やタレントのイメージやスタイルに染まらないキャラクター」で一躍人気者(「スター」とは言わないらしい)になった20歳前後の女2人の……と、これが新聞のコラムから得た、このグループについての知識のほとんど全部だった。

 北京はともかく、ベルリンやダブリンを「アジア」という単語から連想できる人はまずいないだろう。ではなぜ、わざわざここでヨーロッパの地名を使ったりするのか? ただ単に語感が良かったせい? 少しばかり遊び心を見せたかったのか。それとも現在までとは違う、何か新しい「アジア」像が、ここに描き出されているのだろうか?
 「アジアの純真」というタイトルが指し示すものは、いったいなんなのだろうか。
 いま人が「アジア」と口にするとき、何を思い浮かべるだろう? もちろん、考えられるものは様々にある。国名や地名、気候・風土、歴史や文化。あるいは人々の暮らし。中学や高校の社会科教材を覚えている人もいるかもしれない。それには、多様な気候や文化、宗教に色分けされた分布図が載せられている。もちろん「アジア」も、その中で多種多彩に塗り分けされているはずだ。世界地図を手にとって、「アジア」という地域とその言葉のもつ奥行きに茫然とした経験を持ったことのある人は、1人ではないと思う。
 ある言葉、とりわけ地名といったものは、ただある地点を指し示すだけのものではない。それは否応なしに種々のイメージや意味を含んでいる。固有名詞というのは、本来その名の通り「固有」の、実在するある特定のものを表す言葉なのだから。例えばそれは「北京はアジアに、べルリンはヨーロッバに属する」などという教科書的な知識だけでなく、自然・歴史・文化等、区切られた時空間の上に存在するすべてが、その単語の中に包み込まれている。
 しかし、この詞の書き手が「北京ベルリン……」と続けるとき、そこで伝えようとしているのは、決して今までにあるイメージではない。いや、むしろ既成のイメージなど「あってはいけない」。もしここで「ベルリンはアジアではない」などという「知識(イメージ)にとらわれた思考」をするような人間だったら? 北京とべルリンとダブリンを「アジアの……」というタイトルで「束にして」、まるで首飾りでも編むかのように「輪に」してしまうことのようだ。実体を失い、一切のイメージを、過去を「不純物」として濾過し尽くした、まるで蒸留水のような言葉=記号。そうなった時はじめて、「北京」と「べルリン」だけでなく、食い物から音楽、そして病気さえも)はまるでコンビニの棚の商品のように同一のレベルにおいて並べられ、「気分」しだいでいつでも「アクセス」できる記号として扱うことが可能になる。

 美人 アリラン ガムラン ラザニア
 マウスだってキーになって 気分 イレブン
 アクセス試そうか
 開けドアー 今はもう 流れでたら アジア
       (井上陥水「アジアの純真」)

 ところで、「記号」でしかない「美人」とは、一体どういう存在だろう? 料理や音楽のように、気分次第で試しにアクセスされる「美人」とは?

 人間がただの「番号」として扱われた実例がある。

 ……我々は収用される際に、あらゆる所持品を奪われ、なんの書類もなしに……(中略)……確認(多くの場合、入れ墨によって)できるものといえば、また収容所員が関心をもつ唯一のものといえば、それは囚人の番号であった。
 ある看視兵あるいは監督者が一人の囚人を「申告しよう」———多くの場合、所謂「怠慢」の故に———とするならば、彼は囚人の名前を求めはしなかった。彼はむしろ単にどの囚人もズボンや上衣や外套の一定の場所に規則通りに縫いつけておかねばならなかった番号だけを見て、それを書きとめるだけであった。……

V •E・フランクル「夜と霧」

 これは第2次世界大戦時の、ナチスのユダヤ人収容所の描写である。あるいは、こういうのでもいい。

 ……731では、終戦直前まで、捕虜はカタカナでマルタと表記されていた。「丸太は植物であるが「マルタ」は人格・氏名を喪失した人間材料である。731の中では性別により「♀︎マルタ」「♂︎マルタ」と実験用紙に記入され、マルタごとに番号がふられていた……

森村誠一「統・悪魔の飽食」

 これは旧日本軍の細菌戦研究部隊731についての記録だ。

 「名前」を奪われたとき、その人間は材料や物体にまで抽象化された。なぜか? それは、その名前が、その人間の人格すべて、生きてきた歴史すべてを背負ったものだからだ。それが抹消されれば、もはや「人間同士の」コミュニケーションなど成立し得ない。
 しかしもちろん、「番号」で呼ばれる「材料」でしかない人間にも、生身の肉体は存在していた。では、この歌で名指しされている「美人」とは、一体どんな「実体」をもって存在しているのか?

 ……この頃でも、ホテルの中で「女を連れてこい」とわめく日本人観光客が多いという。そこで、「朝鮮ホテル」などでは、昨年から日本人団体客は受けつけないことにしたという。他の一流ホテルでも、日本人客の蛮行のため、ホテル側がキーセンたちの出入りを禁止したので、自然に下級ホテルヘ行くようになった。(中略)「一人寝する観光客はまずいない」とあるホテルの客室係はいう。

臼杵敬子「現代の慰安婦たち」

 ここで妓生観光(つまり日本人による韓国での買春)を引用したのは、決してこじつけでも憶測でもない。この歌の書き手は確信犯なのだ。でなければ、何故「美人」の直後に「アリラン」という単語がこなければならないのか。ガムランでもラザニアでも一向に構わないではないか。ただの言葉遊びなら。全てが同列の「記号」であるのなら。書き手はここで、明らかにある特定の民族の女性を思い浮かべさせようとしながら、この1節を書いている。
 そしてそれは、この男が(同時にほとんど全ての日本人が) 「最もアクセスしやすい」対象としてこの民族の女性を眺め、またそう扱ってきたことを証明している。もう1つ、今度は「韓国人」の側から書かれた1文を引用してみよう。

 ……大声の聞きとれない言葉が聞こえてきた。私はなにげなくその方を向いた。20代の韓国人女性が2人と4〜50代の太ったシワのある日本人2人がやたらに笑いはしゃいでいた。ウェイターがメニューを持ってくと、日本人は何やらわからない日本語で注文する。若いウェイターはていねいに頭を下げてから主人を呼んだ。日本語がわかる年代の主人はやはりていねいに注文をとっていた。同行の韓国人女性は今しがた寝床からぬけ出してきたかのように、うすいルージュをぬっており、次々に何本かのビールがくると化粧をやめて愛矯をふりまきながらビールを注いだ。日本人の大きな笑い声が鼓膜つく。私はもっていた箸を置いてしまった。……。

河吉鐘「忘れられた大地」

 おそらくこの歌詞を書いた人間は、50数年前にこの民族の女性がどう扱われたかも、重々承知しているに違いない。承知しているからこそ、その記憶を拭い去るために、「アジア」という単語に深く染み込んだイメージを蒸留し、新しい無色透明の「ピュアなアジア」を描きだすために、この歌を書いているのだ。

記号としてのアジア

 白のパンダを どれでも 全部 並べて
 ピュアなハートが 夜空で 弾け飛びそうに
 輝いている 火花のように
        (井上腸水「アジアの純真」)

 夜空に描き出される想像の楽園のイメージ。星とともに火花(花火?)が輝き、たとえ絶滅が心配されるようなよその国の希少動物であっても、誰にも咎められることなくデパートのヌイグルミのように好きに選び出し、「どれでも全部並べて」……。しかし、自由気ままに土産品のごとく「どれでも全部並べ」られてしまうのは、果たしてパンダだけなのか。 
 たとえば50年前の中国ではどんなものが「並べ」られたのか。

 『アジアの純真』の歌詞にあるのは単なる歴史的無知ではなく、想像力の欠如でさえない。絶望的なまでの現実感のなさと徹底的な鈍感さ、実体感の空虚さである。それは、次の1連にハッキリと現れている。

 火山 マゼラン 上海 マラリア 夜になって
 熱が出て 多分 ホンコン 瞬く 熱帯夜
 開けドアー 涙 流れても 溢れでても アジア
         (井上陽水「アジアの純真」)

 一体、この風景は何だろう。まさしく「風景」でしかない。そこに人影などかけらも見えない。「マラリア」とは電子顕微鏡で観察する何1000分の1ミリのウィルスにすぎず、苦しみうめく病人の生身の姿は見えてこない。ここにいるのは、「夜になって熱が出て」も一瞬のうちに上海から香港に飛び移り、熱帯の星空と同列にマラリアを「鑑賞」する事のできる空想の旅人だけだ。
 そしてこの眺めは、たとえば次の「風景」と、どれほどの違いがあるだろう。

 さらばラバウルよ また来るまでは
 しばし別れの 涙がにじむ
 恋しなつかし あの島見れば 椰子の葉かげに十字星
           (若杉雄三郎「ラバウル小唄」)

 流れる涙、そして熱帯の星々……。これは第2次大戦中にひろく歌われた「はやり歌」だが、ここで歌われるモチーフは、驚くほど『アジアの純真』に似通っている。いや、単にモチーフだけに留まらない。そこに住んでいる(または住んでいた)人間をまったく視界に入れない「憧憬」や「郷愁」……。このメンタリティー。なんという傲慢なセンチメンタリズム。かつては銃の力がそれを可能にした。今は札束だろうか。
 しかし今また、銃を手にした日本人がアジアを闊歩しようとしている。

 ……その間、長岡2尉はフランス軍小隊長に近づいて、ごく自然な口調でこういった。「アイアムジャバニーズアーミー!」

前田哲男「カンポジアpko従軍記」

そう、誓いは呆たされた。「しばしの別れ」ののち。

 まるで「世界」をその手に納めたかのように世界地図の上を飛び回る「空想の旅人」。そのモデルとして彼ら自衛隊員(=軍人)以上の人間など存在しないだろう。もともと「彼ら」は、たとえ「マラリア」や銃弾にによって倒れようがいつでも取り替えのきくコマとしての存在でしかなく、なんとなれば、ホンコンだろうがマゼラン海峡だろうが、自分の意志と全く無関係に赴かざるを得ないだから。これほどこの歌詞にふさわしい、非「実体」的な「征服者」である人間が他にいるだろうか?
 その「彼ら」が「海外派遣」とやらに赴く直前の飛行場で歌ったというのが、次の歌だ。

 男がいる 男がいる 泥にまみれた 男達がいる
 平和を願う 男達の群さ 誰もが生まれた
 故郷の倖(しあわせ)支える 男の群だ
           (自衛隊愛唱歌「男の群」)

 「泥にまみれ」、(もちろん「マラリア」とも戦いつつ)「平和を願う」……。その守るべき「故郷」とは、いったいどこの国なのか。まさかカンボジアだとでも言うのだろうか? だとすれば、次の歌が50数年前に朝鮮半島で歌われていた時に、「同胞」とはいったい誰の事を意味していたのか。

 長白おろし 荒ぶとき 氷雪四方を閉じこめて
 今宵も零下30度 太刀はく肌は 裂くるとも
 銃とる双手はおつるとも 同胞守る血は燃ゆる
      (作詞者不詳「朝鮮国境警備の歌」)

 「国」や「国境」をいとも簡単に「踏み越えて」しまえる無神経さ(しかも「アジア」において!)。その犯罪性は、自衛隊員も20歳前後のタレントも、もちろん作詞者も、全く違わない。

記号としての世界

 地図の黄河に 星座を 全部 浮かべて
 ピュアなハートが 誰かに めぐり会えそうに
 流されて行く 未来の方へ
         (井上隣水「アジアの純真」)

 世界地図を前にして、作詞者はバズルのピースのように各国の都市を並べ、填め替える。そして「アジア」と「ヨーロッパ」の境界も取り払ってしまう。黄河に星座を浮かべると、飾り付けも完成だ。その様子は一見パズル遊びをする子どものようでもある。
 しかしその無邪気さは、決して「罪のない」などというものではない。 
  チャップリンの「独裁者」という映画を見たことがある人は、こんなシーンを覚えているだろう。チャップリンの演ずる独裁者が、世界地図の描かれたでっかい風船玉を抱きかかえ、放りあげ、そして頬ずりし……。そう、見るからに楽しそうに、無邪気に。その「世界」相手にたわむれる様子の、なんとグロテスクなことか。彼にとって「世界」は、風船玉ていどの重さしかなかった。
 それにしても、いったい誰に、「めぐり会う」ことを夢見るというのだろう? ただ流されるままに行き着く未来とは、どんな世界だろう?

 白のパンダを どれでも 全部 並べて
 ピュアなハートが 世界を 飾り付けそうに
 輝いている 愛する限り 瞬いている
        (井上陽水「アジアの純真』)

 この歌で繰り返される「ピュア」という言葉。ピュアなハートを持った旅人が、「ラブ」でもってアジアに、世界に「アクセス」する。

 今 アクセス ラブ(井上陽水「アジアの純真』)

 このとき、もはや地域差も文化の壁も消え失せ、世界は「輪になって」踊り始める。

 「世界は一つ、人類は皆兄弟」か。それとも「五族協和」か? 書き手はこの歌全体を通じて、聴き手にある「楽園」のイメージを植えつけようと懸命になっている。国境もなくパスポートもいらない、全ての歴史・文化・民族そして地域さえも超越した、いつでも好きなときに「どこでもドア」を開くかのように、インターネットのホームページのように「アクセス」することのできる「アジア」。しかし、それは本当に新しいものなのか?

 新しき 秩序のもとに 共栄の 意気は高らか
 永劫の 光と燃えて 挙り起て清きアジア
              (「アジアの力」)

 「清きアジア」を夢み、この軍歌を歌った人間が50数年前に何をしたか。それを体験し、その歴史を伝える人々にとって「アジアの純真」という言葉がどういう響きをもつのか。それは「清きアジア」とどれほどの違いがあるのか。

 かつて、アジアは「亜細亜」と書き記された。なぜこの表記が使われなくなったのか?
 言葉というのは単なる「記号」ではない。それが「抽象名詞」であってさえも。言葉は歴史的なものだ。意志を持った生身の使い手に意味を付与され、それ自体1個の「人格」ともいえるものをもつ。「亜細亜」「東亜」そして「支那」といった言葉が持つ意味(イメージ)は、単なる地域やその歴史だけではない。それはある意図、あるイメージを持って使われたという歴史をももっている。かつての日本人によって。
 もちろん、新しい単語がすべてを「浄化して」くれたわけではない。当り前のことだ。歴史は残るのだ。「使い手」は生き残っているのだ。歴史を消すことはできない。だからこそ、それとは異なる「歴史」を積み上げるしかない。「実在」(つまりはかつての、そして現在の「使い手」たち)を相手として。確認しよう。この歌を書いたのは誰か。この歌を歌うのは誰なのか。日本語で? しかし、ここまで書いてきて気づく。これは本当に想像の王国なのかと。この歌をカラオケで歌い踊る「若者」たちは、そこが北京(あるいはバリ)だろうがベルリン(又はソウル)だろうがおかまいなしに、その王国の旗を打ち振るに違いないのだから。あのサッカー「サポーター」と称する一団のように。彼らにとって「アジア」とは、単なる記号にすぎない。彼らにとって世界は、既に全く色彩をもたない。

  世界地図の塗り替えは、もう完了している。
                  (かとうたかし/1971年生まれ)

【編集発行人・註】「アジアの純真」に関しては、昨年「オーロラ自由会議」の忘年会で、加藤崇さんが最近気になっていることの1つとして取り上げた。さっそく、『蜚語』に原稿をお願いして、ほんとうは今年の春には発行の予定だった。いつものことながら発行が遅れに遅れて、「流行歌」の話題だけにいささか古い印象ととなり、「パフィ」について書いていただいたのに、肝心の「パフィ」はとうにヒットチャートから姿を消してしまった。早くから原稿をお寄せくださった加藤さんには、ほんとうに申し訳なかった。

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数学と自由——湖畔数学セミナー 第10回

『蜚語』第19号 30p

 数学といえばもちろん理科系の学問だと思われているが、はたしてそうだろうか。そもそも学問を文科系、理科系という2つにわけるのが問題なのだが、かりにそういう分類を認めたとして、数学は理科系なのだろうか。高等学校で数学の点数が高ければ大学の理科系へ、数学の点数が低ければ文科系へ進学させる。そういう指導が当たり前のように行われているが、それでよいのだろうか。高校の数学の試験の点数がその人の数学的な能力を正しくあらわしているのかどうか、大いに疑問がある。また、数学の得意な人にはほんとうに理科系の学問がふさわしいのだろうか。
 問題はいろいろあるのだが、まず、数学は理科系の学問かということについて考えてみよう。大学で数学を専門的に勉強する学科はたいてい「数学科」とよばれ、理学部の中にある。伝統的に理学部数学科というところが大学で数学を学ぶ場であった。もっとも、最近は大学の機構改革とやらで、あちこちの大学から数学科が消えている。理学部というのはもっばら自然科学を研究・教育するところであるが、数学は自然科学の1分野なのだろうか。自然科学とくに物理学や天文学では研究のために数学が欠かせない。天文学や物理学は昔から数学とかかわりが深かった。そういういきさつから大学の数学科は理学部の中に設けられることになっていったのだろう。しかし、自然界の法則を理解するために数学的な考え方が求められるということと、数学それ自身が自然科学であるかどうかということとは、別の問題である。
 数学は物質の世界の現象を対象とする学問ではない。物理学では理論と実験や観測の結果とが合わなくてはいけない。それに対して数学では自然現象にとらわれることなく自由に理論を作る。数学でも自然現象をモデルにすることはあるけれども、それにこだわることはない。物質の世界をはるかに超えるような理論さえも自由に作り出すことができる。「自由なることこそ数学の本質である」とは、集合論を創始した数学者ゲオルク・カントールの言葉である。
 それでは自然界の現象とかかわりなく作られた数学の理論が自然科学に応用できないのかというと、そうとは限らない。創られた当時は応用とは無縁の純粋数学と思われていた理論が、のちになって自然科学や科学技術のために役立つことがある。おもしろいことに、歴史上そういう例が実に多いのである。
 たとえば虚数というのがある。そもそもは三次方程式を解くための技巧として負の数にも平方根を考えようとしたもので、自然界には縁のない虚構の数とみなされていた。しかし、現代の物理学も電気学も虚数なしにはなりたたないのである。また、数学基礎論から万能計算機が生まれたのも、予期されなかった応用の例である。
 さて、自然現象の観測に頼らずに築かれる数学の理論は、その正しさをどうやって確かめたらよいのだろうか、そういう問題があることに気づかれただろう。数学の理論が正しいかどうか、実験で確かめることはできないから、論理による論証が大切である。
 紀元前300年頃のギリシャの数学者エウクレイデース(英語ではユークリッド)のまとめた「ストイケイア(原論)」という書物には、幾何学を中心とする当時の数学がきわめて厳密な論証に基いて述べてある。プラトンの学校アカデメイアに「幾何学を知らざる者入るべからず」と書いてあったのは、図形についての知識が必要だという意味ではあるまい。幾何学にけるような厳密な論理的思考が重んじられたのに違いない。
 解き方をなるべくたくさん暗記して、型にはまった問題を素早く解く、いまの学校のそんな数学教育はプラトンからあまりにも離れてしまった。そして数学を楽しもうという和算のかげもまた見られない。いったい何をめざして数学の勉強をするのか、それこそ厳密にかつ徹底的に再検討すべき問題ではないか。
 数学にとって論理的に考えることが大切なのはもちろんだが、数学の論証に使われている論理が、そもそも信頼できるものなのだろうか。そういうことさえ疑ってみなければならない発見があったのはいまから100年ほど前のことである。それが、数学史でいう「数学の3大危機」のうちで最後で最大の危機といわれる、集合論の逆理の発見である。
 生まれて間もない集合論という理論に矛盾が見出されたのだが、天動説をすてて地動説を採用したときのように集合論をすててしまうわけにはいかなかった。なぜかというと、「数とは何か」という問題と集合論とが深く関わり合っていたのである。これが集合論だけでなく数学全体をゆるがした第3の危機とよばれるものである。そして、論理が正しいかどうかを論理的に検討しなければならないことになったのだが、そこで使う論理ははたして正しいのだろうか、そんな、よほど慎重に考えなければ無意味な堂々めぐりに陥ってしまいそうな難問に立ち向かっていった人々がいたのである。
 数学の正しさは、物質の世界の現象を支配する法則に頼らずに、数学それ自身の中で確かめて行かねばならぬ問題である。それに必要なのは厳密な論理や深い思索であって、実験や観測ではない。数学のこういう特質を認めた上で、数学ははたして理科系の学問であろうか、あらためて考えてみていただきたい。かりに文科系・理科系という分類を認めるとしても、私には数学はどちらかというと文科系のように思われるのだが、そもそも文科系・理科系に分類することが数学に親しむことの妨げになっているのだと思う。

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《ふりかけ通信》第18号

おー ぷりいずー すていばいみー だいあなー

 みんな、どうかしている。ダイアナとかいう女性が交通事故死したとされる事件で、揃いも揃って、その元イギリス皇太子妃とやらを、悲劇のヒロインに仕立て上げている。
 マスコミなど商業メディアが大騒ぎするのをいまさらどうこういうつもりはないが、はんとうにみんなどうかしているとしか言いようのない現象に、ばかばかしくつて、思わず手にしたいくつかの市民運動などのメディアを落としてしまう。いったいどういうことなのか……。
 ダイアナという伯爵の令嬢が、すけこましのイギリス皇太子と知りあうべくして知りあい、末は王妃! ってな結婚をしたが、そうは問屋が卸さなかったといったたぐいの話に、なにをみんな騒いでいるのだ。
 「反天皇制」を掲げるメディアも「労働者の権利」の行使を主張し、それへの弾圧に抗する団体のメディアも、イギリス王室や日本の皇室、あるいは、マスコミを批判しても、ダイアナという王妃になりそこなった上昇志向の強い偽善者については、批判どころかむしろ、同情的でさえある。
 たとえばこうだ。日本基督教団「靖国天皇制問題情報センター」の小田原紀雄氏は「1人の多感な女性が短い人生を走り抜けた」「ダイアナさんは、スキャンダルまみれにされたが、それは別の言い方をすれば、なんとか自分を発揮していきたいとあらがった証左でもある」(「靖国・天皇制問題情報センター通信」第228号)と、世に騒がれたダイアナを評価し、日本の皇室に「後から加わった女性たち」に「どんな思いが隠されているのだろうか」と付度している。
 また同じメディアで、菅孝行氏はダイアナの死を王室の人気取りに利用していると、イギリス王室を批判し、一方「ひとりのダイアナも作れなかった」と日本の皇室を批判したつもりになっているが、ダイアナ批判はない。 
 さらにこうだ。「だからこそ英国王室からダイアナは弾き出された」(「北部労法News Letter」第57号北部労働者法律センター)。ここでは、マドンナとの会話を引き合いに出し、その発言を「弾き出された」理由として評価しているが、まったく意味不明。「嫁いだ」女性たちに女性週刊誌並に同情している姿があまりに情けない。こうして、「嫁いだ」先も、そういう所に「嫁いだ」者も、そもそも「嫁ぐ」といった行為自体も、批判すべき対象ではないのか。
 さらに、ダイアナがいわゆる普通の人だと思っているのかと言いたくなるような有様だ。普通の人が実家の領地内の池に浮かぶ島に埋葬され、そこが花で埋めつくされたりするかしらねえ。
 近所の飲み屋のカウンターの向こうで、若い板前さんがこんなことを言っていた。
 「外務省のなんとかだっていうんでしょ。普通の人じゃないじゃない。八百屋の娘じゃないだからぁ。だいたいなーんで知り合うのよ」。
 これは、小和田雅子を肴にしての話だが、ダイアナだって同じ。〝ただの保母〟はイギリス皇太子と知り合いになんかならないのっ!
 そもそも付き合っていて一緒に死んだ男だって、超大金持ちの「ナントカ界のオンゾウシ」って奴で、やれ、何億円もするネックレスがどうこうのと騒ぎになっている始末。どうしてこんな奴らのことを、無批判に話題にするのか、私には理解できない。
 王室といえば常につきまとう、権力と金に塗れた薄汚い出来事を、高価な衣装や調度品と偽善的な〝平和大使〟ぶりで着飾った、女であることだけを最大限に売り物にした女の行状に、中年男がころっと目くらまされてる様子は、みっともないじゃすまないぞ!


「買春のどこが悪い」なんて、言わせておいていいのか!

 橋爪大三郎という男が、「買春のどこが悪い」と言っている。この男の物言いに、私はほんとうに怒っている。社会学者かなんか知らんが、一見論理的にものを言っているようで、実は、全くめちゃくちゃな論理を、「学術用語」を使って、それらしく取り繕っているにすぎない。
 これぞたくさんの大学中退者がいるおかげで「繰り上がり当選した」全共闘世代の大学教授の典型。それに対して、フェミニズムを研究していると称する同世代の女性学者も、批判するどころか、半ば同調しながら「売春が悪いという証明ができない」と本気で困っている様子。学者連中のレベルも、繰り上がり当選とはいえ、ここまで低下したんじゃまともな批判をするのも苦労する。
 さて、その橋爪センセイは売春はよくない理由として挙げられている事柄について、反論らしきものを並べている。
 曰く「性の商品化がいけないと言うが、そもそも普通の労働と性的労働のどこに違いがあるのか」。
 曰く「管理売春がいけなければ中間搾取がなければいいではないか」。
 曰く「性病が問題ならそれを防げばいい」。
 曰く「いずれも、売春そのものではなしに、それにまつわることを問題にしているわけだ」。
 曰く「女性を『物』として見るからいけないと言っても、人間は『心』であり『物』である。相手を『物』として見ると言うことは性愛という現象の本質に属する」。
 ここらあたりから、その主張は怪しくなっていくのだが、こんな男と「性愛」論議はしたくないので、まともに相手にしないとしても、人間の心と体を統一して1つのものとして見るのでなく、「心」であり、「物」であると言ってしまうことに問題がるとだけ指摘しておこう。
 さて、私がこのくだらない橋爪ごときの主張にカチンときたのは、こうして「性愛」というものを自分で勝手に規定しておき、「悪いと言うことを証明できないにも関わらず、どうして世界中の人が『売春はよくない』と直感的に思うのだろうか」と問題を立てて、その理由として、家庭のモラルと相容れないからだというようなことを言っている。そうして、売春否定派をすべて「家族のモラルに縛られているからだ」と、これまた勝手に規定しているのだ。「モラルに縛られることなく、きちんと自己決定して売春を選択しているとしたら、誰も文句は言えないのではないか」と言う。
 挙げ句の果て、「自己決定」とか「自由意志」とか、あたかも現実の社会の中での様々な制約で、すべての人がそのようにはできない現実があるにも関わらず、「みんなが自己決定した結果、売春が増えたって、それはしかたないでしょう」などと、あまりにも没論理的だし、無責任極まりない。
 「人間の性はその人の生き方に深く関わっている。そのことは一瞬の性行為が、それだけで終わるのではなく、人間の感情に反応し、心を動かし、男と女の関係や生活そのものを大きく変転させ、肉体と精神を合わせた全存在を巻き込むものであることを意味している」
 新宿の婦人相談員を30年やって来た兼松佐和子さんが、生産業で働く女性の実態を書いた『閉じられた履歴書』には、女性たちが実際に売っているのは肉体でありながら、もちろんその肉体はぼろぼろになってしまうのだけれども、精神が荒廃していくさまが書かれている。
 「性を商品化することは、ゆっくりとした自己崩壊の形式なのである」と金松さんは言っているが、人間が肉体と精神を合わせ持った存在であり、それは相互に影響しあって、決して切り離せないという認識が持てない人には、何を言っても無駄かもしれない。さらに、それに反論しきれない「フェミニズム」だの、「女性学」だのと標榜している学者センセイたちや、その追従者の愚鈍さには、呆れ果てるしかない。


またしても出会ってしまった、女なら誰でもいいのか!
カネボウ国際女性映画週間にて。

 今年で10年になるこの映画祭。今までは、「女性映画」という奇妙な括り方が嫌で、行ったことがなかった。女性映画とは、女性監督の作品ということらしいのだが……。
 今回、招待チケットが手に入り、2日にわたって「シネセゾン渋谷」へ足を運んだ。
 1日目は、アリス・ギイ監督の作品。女性であるがためにこれまで歴史から消されていたという人の短編作品が上映された。そのほとんどは無声映画であるが、「世界で最初に劇映画を作った監督」という点を除いては、むしろ批判の対象としかならないようなお粗末な内容であった。
 2日目。最初に見たインド映画は、古いしきたりに縛られる若い「未亡人」が、そこから抜け出せずに、最後は自殺するといった内容。研究者と称する西洋人が「未亡人」が心を寄せる人物として登場するのだが、植民地支配の問題など、どこ吹く風。
 さらに驚いたのは、挨拶に立ったハントナー・ボルドロイ監督がサリーを着て得意になっていることだ。あの衣装はどう見ても、女性を古いしきたりに縛っている象徴のように見えますけど……。主催者までもが、その監督に「敬意を表して」、インド風衣装を着て来たと得意になっている。批判精神がないということは愚かなことだ。でも、映画自体は、別に、古いしきたりを批判する内容ではなかったかもしれないという水準のものだったが……。
 もう1本は、フィリピンのマリル・ディアス=アバヤ監督の作品で、タイトルは『ミラグロス』。監督本人はフィリピンの国家的事業の映画制作にたずさわっていて来日できなかったとのこと。かわりに解説した主催者は、この映画に関して「素晴らしい」を連発。それほどならばと期待してしまった。
 しかし、妻に先立たれた老人とその息子たちに、強姦されたり、殴られたりしてもなお、もてあそばれるままになっている若い女が、最後は白血病となり、ファザコンも手伝って病院を抜け出し、子どものころ死んだ父親と登山の約束をした山に入り込んで、兵士に誤って撃たれて死ぬといっためちゃめちゃな筋書き。強姦あり、障がい者差別あり、見ていて腹が立った。しかも、ギャグのつもりの差別的なシーンで、観客が笑うのだ。観客はほとんどが女性だから、ますます気が滅入る。
 どうも映画というものは、表現方法として問題があるのではないかと思わざるを得ないような作品が多い。とりわけ「社会派」とか、「芸術系」とか言われるものに、宣伝文句やそれらを評価する評論・感想の類とは裏腹に、見たことを後悔するものが多い。
 とくにニューウェーブと言われる監督たちのものには、ほとんど評価すべきものがない。それは別に映画に限ったことではないが。


伝統を重んじるのは、そんなに素晴らしいことか。
経済の「自由化」は何をもたらすか。

 しばらく前に、日本テレビ系のニュースで、モスクワ市内でロシア革命前の古い伝統的な建物の修復工事が続いていると報道された。政府民間合わせて2000億円の経費をかけておこなわれている。例えば、1931年に破壊されたキリスト大聖堂、アレキサンドルⅡ世がナポレオン戦争の記念に建てたという。
 モスクワ市歴史保存部副局長の女性は、「70年以上、街は社会主義政府によって破壊されて来ました」と答えている。
 また、プーシキン博物館は、19世紀に建てられたものだそうだが、ここでも女性の担当者が、社会主義時代におざなりの工事が行なわれたので修復がたいへんだと、壊れた壁を前に説明する。
 だが、このように、行政の比較的中心的なポストに女性が登場するのは、社会主義政権だったからこそではないか。東ヨーロッパでも、旧ソ連でも、日本では男性職場と言われるようなところで働く女性を多く見かけた。この女性たちに「伝統を重んじる社会というのは、女性の社会進出を拒み、家庭に帰って家事と子育てに専念しろという社会だよ。現に、この日本という国を見てごらん」と伝えたい。
 また、ソビエト時代に政府の機関が使っていたという旧商業銀行も、豪華なシャンデリアとイタリア製の大理石のフロアに修復され、再び商業銀行として復活するという。そして、例のキリスト大聖堂は、来年の復活祭にロシア正教の総本山として、文字通り「復活」するらしい。
 そういえば、フランスに逃げていた旧貴族とやらがみんな戻ってきて、貴族社会も復活し、ダンスパーティーなどが開催されていると報道されたこともある。
 一方、多くの年金生活者が、明日の食べ物にも困っているような状況が進行し、経済の自由化とはこのようなことかと思う。「ドイモイ」のベトナムにも、ホームレスと、一般人の5倍もの収入があるものとを生み出している。
 このニュースでは「時代遅れの」と紹介されていたが、モスクワ市内の土地は、今でもすべて国有で、売買が禁止されているとか。土地の所有という意識から人びとが解放されるのは、私にはむしろ、先進的なことのように思えるのだが。

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『蜚語』第19号 38p

海上ヘリポート建設反対! 住民投票の現場から。          新田選/新田千鶴子

 今朝、名護市では12月21日に実施される海上基地建設の是非を問う市民投票が告示されました。振り返って、2年前の1995年9月、米兵によって引き起こされた少女強姦事件は、沖縄全体を大きく揺り動かしました。
 戦後50年余りも基地の重圧に苦しめられてきた県民にとって、これ以上、基地あるが故の事件・事故を引き起こさないためにも、基地の無条件撤退を日米両政府に求める決意を固める契機となりました。
 その後、県民の怒りに押されて、日本政府は普天間基地の返還を約束するのですが、それはあたかも、すでに老朽化した普天間基地をシブシブ返すような顔をして、実は、ウマウマと最新鋭の海上基地を手にするギマンに満ちたものでした。
 「沖縄の心を心として」という枕ことばに始まる橋本首相の基本姿勢は、地域住民の声を飛び越えて、是が非でも県内たらいまわしの海上基地をなりふり構わない金と権力で、この名護市に押し付けて来ています。
 名護市は沖縄県の北部に位置し、山紫水明の地として、休日には多くの行楽客が訪れます。県内の基幹産業でもある観光地も数多く有している地域です。豊かな山や海には世界的にも貴重な生物が生息し、自然保護の観点からも、守り抜かねばならない地域です。そこに海上基地を建設しようというのです。
 政府は海上基地を建設させてくれるのなら、20~30億円の基地交付金を北部振興というアメとして与えると言います。もし認めないのなら、普天間基地の返還はあやういというムチでおどしながら迫ってきています。 
 これまで保守的だと称されてきたこの名護市の、穏やかに暮らしてきた市民をアメとムチで分断させ、今回の市民投票に際しては、防衛施設局の職員200人を海上基地の説明という名目で動員してきているのです。戦後52年間、日本政府が果たさなければならなかった戦後処理のしわ寄せを沖縄だけに押しつけ、今やそれを名護市の、しかも建設予定地の久志地域のだけに負わせて、名護市や沖縄県の活性化を図ろうというのは余りにも非道です。
 私たちが願うのはあたりまえの暮らしです。基地のない安全で平和な沖縄です。市民投票は予断を許さない状況です。1人でも多くの方に、私たちへの支援を呼びかけます。1997年12月11日
         (あらたちづこ・あらたたでお/名護市真喜屋在住)

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お礼と報告★第3回「平和・協働ジャーナリスト基金賞」受賞 絵本『さだ子と千羽づる』

 「SHANTI (絵本を通して平和を考える会)」が、絵本『さだ子と千羽づる』によって、第3回「平和・協働ジャーナリスト基金賞」を受賞しました。これは、反核・平和、人びとの協同を推進するための報道に寄与したジャーナリストらを支援する目的で作られたものです。皆さんのご支援にお礼とご報告をさせていただきます。
 今回の受賞は、絵本の中で日本の侵略に言及したところが、とりわけ評価の対象となったようです。原爆をテーマにしたものを出版するとしたら、侵略についてすれずには出さないというオーロラ自由アトリエの最初からの出版方針に対して、多くのみなさんから賛同を得られたという意味でも、たいへん嬉しい受賞です。
 1993年春、フェリス女学院大学の当時学生だった湯浅佳子さんが、アメリカで話して歩いた英文テキスト、「SADAKO AND 1000 PAPER CRANES」———白血病で亡くなった1人の少女と、その少女が折り続けた千羽づるの物語を絵本にしたいと、私のところへやって来ました。そもそも、私の政治や社会への関心は第5福龍丸の被爆がきっかけだったということもあり、原爆に関する本はいずれ出版したいと考えていたので、おもいもかけぬ若い世代からの申し出に協力できればと、さっそく取りかかることにしました。ただし、最初に持って来た英文のテキストから日本語のテキストを起こすだけでなく、そこにはなかった内容、つまり、原爆の落としたのはアメリカであること、広島に原爆が落とされるにいたった、日本の侵略に関する事実を加えることをオーロラ自由アトリエからの出版を引き受ける条件としました。
 みなさんもご承知のように、現代史まで到達しないで終わる歴史教育の結果、若い学生たちが原爆被害と侵略加害の問題を、さらに若い世代に伝えようという絵本のテキストにする作業は困難でした。オーロラ自由アトリエでは、絵本が完成するまで1年以上にわたり、山口泉さんにアドバイスをお願いしながら、フェリス女学院の学生たちと、時には徹夜も辞さない勉強会や討議を重ねてきました。それは、それまで女子大学生の生活を満喫してきた若い人びとにとっては、時には過酷な面もありました。中にはクラスメートから「あなたのやっていることは、偏っている」と言われ、落ち込み悩むメンバーもいました。テキストの検討作業から離れて、ではいったい「公正中立」とはどのようなことを言うのかなどと論議を繰り返し、山口泉さんの「一般に人間と世界の問題を考える上でもっとも大切なことは、偽りの『公正中立さ』を離れ、人がほんとうの意味で『正しく偏る』こと」という言葉に、励まされ、それ以来「正しく偏る」を合言葉に頑張って来たともいえるでしょう。この共同作業は、オーロラ自由アトリエだからこそできたことだと思っています。
 このようにして、「侵略のページ」を含む日本語テキストが出来上がったのは、初年度のメンバーのほとんどが卒業した後でした。絵本が完成した1994年は、マスコミにも大きく取り上げられ、多少華やかに見えたのか、新しく参加するメンバーも増え、SHANTI (絵本を通して平和を考える会)も賑やかな時期がありました。しかし、やはりそれだけではすまない。「正しく偏る」ことの厳しさに耐え兼ねて、去っていく人も少なくありませんでした。現在、中心的なメンバーは多くはありませんが、創設者の湯浅佳子さんをはじめ、新しい活動にも取り組んでいます。
 SHANTI (絵本を通して平和を考える会)は現在、絵本『さだ子と千羽づる』をはじめ核廃絶をテーマとした絵本や紙芝居を、子どもたちに読み聞かせるという活動を始めています。今年広島では、平和公園の中だけでなく、街頭でもやりました。
 みなさんの中で、保育園・幼稚園・小学校、または子ども会など、ここでやってほしいというところがありましたら、ぜひご紹介ください。
 オーロラ自由アトリエは、これからも、社会に迎合せず、批判精神を持って出版活動を続けていきたいと思っています。より一層のご支援を、よろしくお願いします。
                  オーロラ自由アトリエ/遠藤京子

☆☆☆☆☆

生き物に対して使ってはいけない言葉———
「使い物になる」とか、「ならない」とか。

 水俣病発生41年の今年、水俣湾の「仕切り網」が撤去され、巷では「新しい水俣」の模索なるものが言われ、行なわれているようだ。しかし、多くの未認定患者や政府の和解案を拒否して裁判闘争を続けている未認定患者がいることを、忘れてはならない。まだ、闘いは続いているのだ。
 この問題には、1973年1月1日、東京チッソ本社前で、広義の年越しを下水俣病患者たちの激励に行って以来、ずっと注目して来た。とはいえ、毎年、水俣の甘夏を買い続けるくらいのことしか、出来なかったけれども。
 水俣現地も、1989年に水俣を訪れて以来、行くことが出来ないままにいる。(『蜚語』第7.8合併号「水俣特集」参照)
 最近、こういうことだけは決していってはならないとうい言葉を、現地で患者とともに暮らしている人が、そのメディアに書いているのを見て、この人にとっての「水俣」とは、いったい何なんだろうと思ったことがある。
 水俣病センター相思社の通信「ごんずい」40号(1995年5月25日)の編集後記だ。編集長が、相思社を退職した職員の報告に続けて、次のように書いていた。
 「相思社にいるのは、腰痛持ちの中年ばっかりになりつつあります。(そんなに)若くなくてもいいから、腰が強くてアウトドアでも、インドアでも、使い物になる人はいないかしらん」。
 前に宿泊もしたことがある相思社の印象は、ラフな言葉使いや生活態度が、職員のステイタスになっているように感じた。したがって、書いた人は何の気なしに書いたのだろう。しかし水俣が、窒素が垂れ流した有機水銀によって、多くの人々が、そう言ってしまえば「使い物にならない」体にされた現場であることを思うとき、当事者たちにいちばん近いところにいる(と、本人たちは思っていると推測する)人びとの間で、このような言葉が使われることに驚き、同時にラフもいい加減にしてはと思った。
 「使い物になる」との言葉は、あまりにも無神経な乱暴な言葉だ。
 胎児性患者の共同作業場などで、1人ひとりが仕事にたずさわりながら生活することと、その仕事を経済という観点から見たときの効率、あるいは、無農薬のみかんの生産が、それにかかる労働力を考えたら、必ずしも生産性がよいとはいえないだろうとかいったことを、どう考えるのだろうか。そもそも、有機水銀の垂れ流しこそが、「使い物になる」「ならない」といったものの見方がベースにあって起こった、経済効率優先社会での出来事ではなかったのか。
 あらゆる思想は、常に永続的に繰り返しその中身を検証する作業を怠ると、いつの間にか腐敗、脱落してしまうのだということを、あらためて確認した思いがする。

水俣・茂堂・袋湾(2019年8月)

☆☆☆☆☆

【編集後記】

『蜚語』第19号 表3
『蜚語』第19号 表4

【2023年の編集後記】

▶︎この2023年8月上旬、沖縄地方を2度にわたって襲った大風6号の影響でNTT光回線がダウンし、Wi-Fiが使えないこと。したがって、携帯をルーターにして、この原稿をアップしている。コピー機からデーターを読み取って、PCに送ることもできない状態が続いている。
▶︎コピー機で読み取るOCRが使えないので、手入力そしていたのだけれども、ふと、携帯で撮影してPDFにすればよいではないかと気づき、やってみたら、その方がOCRの認識がいい。
▶︎表紙の写真のこと。ヨーロッパに行くと、どこの国にも、かつての戦争に反対し、ファシズムと闘ったものたちを讃え、名誉を回復した証がある。日本には、ない。
▶︎韓国の「労働歌謡」を歌うグループのコンサート問題で、ある労働組合と記したのは、東京水道労働組合(東水労)のことです。当時、親しい人もいたので電話でその時のことを聞いてみました。あったことを無かったことと強弁されたことよりも、労働組合関係者が一定程度現場にいて、あの場面をスルーしたことを、とても残念に思います。
▶︎今日であれば、誰かが必ず動画を撮っているであろうことから、「無かった」ことにはできないな……。
▶︎さて、ネット上のいわゆる「炎上」は、今日では SNS において起こり、社会問題化されることもある。今回、「米の輸入自由化」をめぐっての、かつてのやりとりを思い出して、基本的に、SNS 上で起こるものと、質的には同じだとあらためて確認した。
▶︎議論の前提となる事実関係などが曖昧、あるいは間違ったまま、国やその意を受けてのマスコミの論調、あるいは無知による思い込みなどを根拠に、批判にならない批判を投稿する人たちにはうんざりするものの、それでも、真っ当なことは言い続けねばならない。
▶︎生産者と消費者は、「減反政策は国民の生存権を奪う憲法違反の政策だ」と、1700人を超す原告団を結成して農水省を訴えた「減反差し止め訴訟」(1994年)は、翌年、原告の訴えが棄却され終わった。
▶︎農水省は「生産調整は農家の自主的な判断によっている(強制はしていない)」と言いつつ、現実には、減反に応じないと、さまざまな不利益を生産者に課すという悪どいやり方が、まかり通った。
▶︎「減反政策」は、2018年に廃止された。その理由や現状については、あらためてレポートする。
▶︎日本の「食料の自給率は相変わらず低く、OECD諸国と人口1億人以上の国の中で下から6番目、28%との統計がある(2013年農水省資料)。
▶︎米や農業の問題は、今日では、放射線照射によって遺伝子レベルを操作することや海外では禁止している毒性の強い除草剤の問題など、追い切れないほどの事柄を抱えている。
▶︎芸能界事情は、今日ではネットを通じてさまざまな情報が、推測も交えて広がっている。もともと闇な世界だが、ジャニー問題のように人権問題として世界にも広がりつつある。性差別・性搾取の現状も含めて、取り上げなければならない問題は、山ほどある。
▶︎《ふりかけ通信》がテーマとする事柄も、今日ではさらに複雑に入り乱れ、ネット上でも性差別・性搾取が手のつけようがないほどに、広がっている。
▶︎「売春のどこが悪いのか」とのたまう橋本大三郎も、それを批判できない「女性学」(!)なる研究者の上野千鶴子も、団塊3世代の真ん中。当時、権力の弾圧により、あるいは、大学という機構に身を置くことを積極的に否定するなどにより、大学を途中で去った同学年のより優秀な学生のおかげで「繰り上がり当選し」、なんとなく全共闘運動の周辺にいたことを最大限の売りにして来たセンセイ。そのレベルの低さはもちろんだけれども、浅ましさの底が見えている。
▶︎日本のアカデミズムは、これら「繰り上がり当選組」のおかげで、全体のレベルは低下し、地位や権力のために良心を手放すことなどなんとも思わない連中ばかりがのさばるようになった。
▶︎韓国の女性たちのネット上での性差別・性搾取との闘いは、アダルトサイトを閉鎖に追い込むだけの力を得ている。民主化を勝ち取った人びとの力は、さすがだ。
▶︎「海上ヘリポート」とこのときは記されているけれど、現在、「辺野古新基地建設」とはるかに大きな規模となり、大浦湾の埋め立てが地元の反対を無視して強引に工事が進められている。沖縄では、「諦めない」闘いが、続いている。


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