『大人』という幻想を
こんにちは、くらげです。
『これだけは必ず、』というもの、このnoteの最初の挨拶、毎日のお化粧、髪の毛、お洋服、課題、パソコンと携帯電話と、大学からのメールの確認
たくさんのものに囲まれて生きています。私は大学生だから勉強だってするし、友達と遊んだりもバイトもする。就活だってする。でも漠然と不安な気持ちになってしまう。
自分が今どこに立っているのか、自分が今何をしたいのかも迷ってしまった。色々と大きくとらえ過ぎかな。怖いなこの先、何もなくなってしまうのかな。と思ってしまう時が最近多いのです。
たまたま就職課で会ったはじめましての大学4年生の先輩は、大手企業の内定を後一歩のところで逃したので、バンクーバーに留学をするそうだ。自分は世界に通用しない人間だと思ったから留学に行くんです、とはじめましての大学3年生の私に話してくれた。やりたいことをしたいから行くんですとも話してくれた。
はじめましての分際でいうのもあれだけど、とてもセンスのある人だと思った。人生の選択の仕方のセンス。「やってみたい」という気持ちで飛び込むことができるということは才能だ。私にはきっとできない。だからやりたいことや行きたいところを見つけられないまま就活をやっているんだから。
高校時代の友達もやりたいことがあるから、大学を休学して来年には海外にいけるといいな、と話していた。来年には日本にいないかも!と話す友達をうらやましいと感じた。私のことをすごいと褒めてくれるが私からしたらその友達のほうが100倍もすごい。
中学時代の友達も、大学を卒業したら自分が学びたい分野の専門学校に行ってその後に大学に編入したいなと話していた。勉強がしたいんだ、と楽しそうに話していた。その子もきっと私にはないものを持っている。どうしてみんな今以上の先を見ることができるんだろうか。今を生きていることで精いっぱいなのにな。
人生の中の大きな選択であって、何をしてもよくて、でも私には『就職をする』という選択肢しか選ぶことができない。いや、きっとそうじゃない。それが一番安心するから自分が選んでいるような気がする。でも本当にそれでいいのかなという気持ちもする。なんというか、臆病なんだろうな。大部分と同じような道を進めば安心してしまう。大衆の中にいると安心するというのはきっといいことで良くないことだ。
私は今になって自分が何したいとか、どうなりたいとか、こうありたいとか、そういうことが一切なくなってしまった気がする。今まで私もわりかしやりたいから、いきたいから、勉強したいからで高校や部活や大学を決めてきた。やりたいことをやりたいためにそこにいったけど、私の人生のゴールって大学入学までで、そこから先はきっと何も考えていなかった。
いや、きっと考えていたけど、色々自分で考えてしまって潰してしまって。結局なあなあになって。自分がやりたかったことは案外難しい世界だということに気づいてしまって。わたしはそもそも学ぶことが好きではなかったのか???
そもそも就職することが正解ではないんだよという決まり文句。優しさの言葉。でも私はどうすればいいかもわからないからとりあえず就職する、っていう気持ちに近いのかな。そんな感じでこれから先頑張ることができるのかな、人生だ。
きっと完璧な人間なんて存在してないし、わたしだって完璧じゃない。みんなもどこか影めいているのかもしれないけど、みんな、わたしにとっては完璧な人間に見える。私は私からいつも何かが抜け落ちている気がする。
就職するも進学するも自分の好きなようにすればいいのに、みんなに引きずられているような気がしてしまう。
就活をしているときは就職することにとても前向きになることができるのに、友達と話しているうちにやっぱり進学してまだまだ勉強していたいなとも考える。それってその場の状況とか、話の内容とかに引きずられているだけなのかなとも考える。自分がどうしたいかが完全に隠れてしまっているのに、私はそれを見つけることができない。
難しい問題、というかなんというか。今までの私はとても我儘だったのかなとも考えた。好きなことばかりして生きてきて、あまり深く考えることがなかったから自分の事もわからなくなってしまったのかなとも考える。
大学院も就職も、他の道も、留学に行く先輩も、友達も、進学をする友達も、みんな、私からどんどん遠ざかってしまった。悪い意味じゃなくて。
『かっこよく生きていたい』という凡人の様な事を考えた。でもかっこいい人はもっとかっこよくて、私はただの凡人であって天才でもない。私は努力でようやく普通っぽくなれた人間だ。はっきり、すっきりといかなかった。
そんななかで、先輩の話を、先生の話を、友達の話を聞いていくうちに自分の何かが浮き彫りになっていってしまうように感じて怖くなる時がたまにある。何もかもがどうでもよくなって、自分は意味がないことをしているようで。好きなはずの文章を書いている時間すらもどうでもよくなっていってしまうときがあってとても寂しくなる。
いつにもまして脱線がすごい。自分の中でまとまる前に書いてしまった代償だ。憧れの人に近づきたいのにやっぱり程遠い。私はその場で足踏みをしているだけの様な気がする。悔しい。
大人はもっとかっこよくて、何でもできて、自分で頑張ることができるのだと考えていた。今の自分はそこから程遠いし、これからそうなれるかもわからないな。
大人という幻想は、とても残酷なものだ。
最後までうだうだに付き合っていただき、ありがとうございました。もっと考えて色々話を聞いて決めることができたらいいなあ。
ではまた。