私は歴史が好きではなかった
こんにちは、くらげです。
現在、大学三年生です。学科は史学科です。要は歴史を勉強している学科になります。そこに進学した理由としては『歴史が好きだったから』ただ一択です。
昔から歴史を勉強することが好きでした。授業内容もすぐに理解することができたし、ほかの科目より勉強しなくてもテストは一番いい点数でした。偉人の伝記とか読むの好きだったし、私は歴史が好きなのだな、歴史が得意なのだなとずっと思っていました。
私の高校は自称進学校、といった位置付けでした。なので周りは大学や短大、専門学校に進学する方が多かったです。その頃の私は相変わらず日本史や世界史はいい点数でした。中学よりは難しくなったけど、それでも比較的いい点数でした。
高校三年生になり、進路を本格的に考える時期になりました。相変わらず歴史は好きでしたが、進学先は関係ない学部、学科にしようと考えていました。
理由としては、歴史関係って研究者とか学芸員以外の職に就くことを高校生の私は想像することができなかったこと、万が一、他の職に就くときに不利になるのかと考えたこと、歴史関係の職って難しいって聞くし、自分にその根性があるのかということ
考えたことは様々でした。それでも結果、私は史学科に進学しました。「好きなことを勉強したい」という気持ちが勝ちました。
これで好きな科目だけを中心的に勉強することができる、歴史の教授に話を聞くことができる。就職はどうにかしよう、でもこのまま歴史関係の仕事に就いてもいいな。
でも実際、そんなことはなかったのです。
専門科目以外の必修科目、資格のための講義、一年生の私は専門科目よりも必修科目のほうが多く学びました。
でも学年上がればとれる講義も増えるっていうし、今頑張っておこう。
という気持ちのみで頑張りました。
学年が2年、3年に上がった今、私は気づきました。
私は歴史が好きではなかった
専門科目の講義は教科書や専門書を先生がなぞっての講義が大半でした。もちろん、興味がある分野だったし、自分が好きだから進学した。
でも、きっと今までの私が大学に求めていたのはそういうことではなく、
もっと驚きがあって、発見があって、自分が想像つかなかったことを学べて、例えるなら世界で一番美しいものを見たような大きな感動があると思っていました。もっと気持ちがワクワクする場所だと思っていました。
でも実際、講義内でワクワクするようなことは少なく、もちろん、発見とか今まで知らなかったことをたくさん学ぶことはできたので、自分自身の視野は広くなったように感じています。
昨今の社会情勢により教科書をレポートとしてに要約とかもあったし、課題を出されてひたすらこなすような講義もあって。動画視聴しておしまい、とかもあって。
自分自身で工夫して学ばないといけない状況になった瞬間、好きだと思っていたものが途端に嫌になってきました。自分が思い描いていた『ワクワクしたもの』を見つけることができなくなってしまったのです。
この時に、ああ私は歴史を学ぶ、ということではなく、『覚えていることをすらすらと答える』ことが好きだったのだな、と。
そう思ったのです。
それは歴史ではなくても、化学でも、物理でも、国語、数学、地理、
なんでもよかった。ただ、私が一番『覚えることをすらすら答える』ことができたのが、たまたま歴史だった。
『勉強』と『学び』は大きな違いがある、ということをよく言いますが、まさしくそうだった。
私は勉強するということが得意で、学ぶことが不得意だった。
そう思った瞬間、自分が好きだと思っていた歴史が少し違って見えてきました。もちろん、今も歴史は好きだし、大学に入ったことに後悔はない。でももう少し自分はどこかで頑張ることができたのではないかという後悔はある。
興味の分野が変わってしまった、ということも理由になっているように感じる。でもその興味を学ぶためには今の大学ではないところに進学する必要がある。でももうそれをするほど今の私には学ぶ意欲がない。
ぐるぐると世界や環境が変わっていくことについていくだけで必死になってしまった今、自分が何を学びたくて、何がしたくて、どうすればいいのかもわからなくなってきた。学ぶことって、なかなか難しい。自分に余裕を持つことが大事なのにな。歴史が好きだったはずなのに、歴史を勉強することが嫌になってしまった。
好きだったものを嫌いになりたくない、と言っていた先生。今ならわかる。その通りだった。好きな学問も、愛する人も、わかりたいから近づくのに。
自分では見つけることができなかったことを学びたい、好きな事だけを学びたい、というのは私のたいそうな我儘だったということがよく分かった。たかだか4年でそれができるなら教授たちは何年も何年も研究なんかできるはずがない。
学問はとても難しいけど、とても楽しいものだし、自分自身の考えを豊かにするために学ぶものだと思っている。勉強も小学生・中学生の時は好きじゃなかったけど、勉強すること自体に価値があったのかなと思っている。好きな科目も好きではない科目も「勉強する」という行為が大切だったんだと思う。
ゆっくりと、自分が好きなものを学びたいのはそうだけど、実際そうもいかない。勉強することは楽しい、興味があることを学ぶことも楽しい。でもそれってきっと先に結果が見えてるものだから楽しいわけで、研究とか、そういうものになるとまた別なのかな。答えがないものを探すということはとてもな根性と知識と、運と、学問への愛が必要なようだ。
私には歴史という学問への愛がきっと足りなかったってわけです。
何回も言うけど、大学に入ったことに後悔はない、自分が好きな学問を深くできたことに後悔はない。博物館や美術館は好きだし、高校からの目標だった学芸員の資格だって取る。だけど、その資格はきっと宝の持ち腐れってやつになるのだろうか。そんな生半可でいいんだろうか。でも、学芸員資格取得をゴールにして、見切りをつけた方がいいんだろうか。
就活の時期、秋の時期、色々考えてしまうのです。私は今もがいている最中だそうです。就職課の相談員の方に言われました。人生なんてもがいて足掻いての繰り返しだ。
最後までありがとうございました。ではまた。