何度だって憧れを捕まえる
こんにちは、くらげです。
お久しぶりです。無事に大学院生になり、入学式も終え、毎日毎日研究の難しさに打ちひしがれる毎日です。
私よりも優秀な人たちに囲まれております。自分が一体どこにいて、なにをするべきか、何が必要なのかが本当にわからず、足に地がつかないという言葉の意味は本来違いますが、地面が遠すぎて一生足がつきません。
本来人前で何かを話したり、意見を言ったり、自分の考えをうまく話すことができない私にとって大学院の生活ははっきり言って「手が冷たくなる」の一択です。
せっかく入学したのだから、思い切り、やりたいことも行きたいことも研究も頑張るぞ!!と意気込んでいたくせにこのザマ、毎日わからないことの連続、時間もかかり、これが正解かなんて今の私には想像もできない。
入学して一カ月半、教授の「時間を大切に」「2年というのはとてもあっという間」だという言葉を胸に痛いほど刻み、論文を読む毎日。
教授の研究の手伝いも少しずつやっていますが、人の話を一回で理解することのできない私は何回も何回も同じことを聞いてしまい劣等感。
院生室にいけばなんてことないのに、そこから一歩でもでると途端に自分がガラガラ崩れてしまいそうになります。
大学院進学を考えているらしい学部3年生とお話をする機会がありましたが、質問に答えていくうちにどんどん自分が気持ちの悪い得体のしれないナニカになっていくような感覚になりました。
こんな私が質問に答えていていいのか、研究の事を話していていいのか、彼らの中では「大学院進学をした人」と思われ、毎日「研究者」の一人としてみられることがここまで怖いことだとは思わなかった。私が他者にどういう立場の人間かを意識されることは大変な重さだと思います。
もちろん楽しいことも、何かに気づいたことも、全てがしんどいわけではないのですが、強く『私はこれができない』と突きつけられるのは年齢をとるとともにあまり向き合いたくないものになっていくように感じます。今更そんなことができないとか、と思ってしまうような、そういうずるい気持ちになります。
研究をしていることが嫌いなのではないけど、単位とか将来とかも考えることがあって、それだけを考えているわけにもいかずに、何個も何個も大事なことを同時に行うことが得意ではない私は毎日『今日は壊れなかったな』の繰り返しです。
三年生の質問に上手く答えられたかわからないし、わたしが答えてよかったのかなと悩んでいる時、『あなたはいい人に見られたいのだね』と言われ、たしかにそうかもしれないなあと。
『いい人』が全てではないけど、『他者にとって自分はいい影響を与えたか否か』というところはとても気にしている気がします。
だから三年生の質問に答えるときに後ろめたい気持ちになったのかな。こういう大事な場面にこんな自分が少しでも関わってしまう、という傲慢な気持ちを常に持っている気がします。実際私の言葉や考えなんて豆粒くらいのものなのに、いつの間にか偉い先生くらいの影響を自分が与えてしまうのではないかという、前向きか後ろ向きかよくわからないですね。
自信がないからこそ、たくさんの努力をしなければいけないけど、自身があるから研究の道を選んだのかもしれません。自分が選択したことに後から不安になることはあまりないのですが、今回はふとした時にこれで間違えていないかどうかをとても気にします。何を選んでも正解のはずなのに。
時々、節目節目で自分が選ばなかった選択をとったらどうなっていたのかなと考えます。あの時あっちだったら、あの時にこうしたら、と。
後悔から考えるのではなく、単なる興味というか好き勝手に想像するというか。『想像した世界は自分がいる環境よりいいな!』とならないから、今いる環境が今の自分には一番良かったんだと考えなおせる。
昔から人前で話すことが苦手で、当てられるのも嫌だし、手をあげて発表とか何年していないのだろうと思う。お願いだから私の事はほうっておいてくれ、なんていう気持ちです。
そのくせ人には認められたいという気持ちばかり強く、自分の成功体験を覚えておけず何もできないと思い込んでしまう、本当にどうしようもないなと思います。
初めからうまくいく人なんていないと理解しているのに、『初めて』をうまくできない自分がいるとなんでよ!という気持ちになります。
変なところで負けず嫌いなので、人より何かができないことが許せないのです。全ての才能を手にしたいと思ってしまう欲張り。
その点、研究をしている中で自分としか比べないからいいのかもしれない。自分の考えを毎日毎日更新して、昨日より少しでも進めば勝ちだとおもっています。
人とばかり比べてしまうのは本当に良くないのです。研究にしろ、日常生活にしろ。自分のよくないところと向き合うのは大事ですが、それによって自分の価値を選定するのは違うような気がします。
私にだってきっといいところはあるはずだし、あの人もこの人もいいところがたくさんあって、その人たちになることはできないけど目標にすることはできます。『比べる』と『目標にする』は似ているようで違うんだなと今更ながら感じます。
手にしたい憧れはきっと目いっぱい手を伸ばした数ミリ先にあって、あきらめずに伸ばし続けることしかできないのですよね。それは大人になるにつれて難しくなっていくのだと思います。現状の自分で上手に生きる方法をたくさん見つけてしまっていますから。
努力を継続することも難しく、子供の時の方がきっとたくさん何も考えることなくできたのに、大人は夢を見るのにも誰かにお伺いをたててしまいます。
ひたすらに頑張るしかないのかもしれない。でも大切に頑張ろうと思います。
最後までありがとうございました。ではまた。