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「中川智正伝」を読む
トップの写真は中川智正さん。1990年7月、極厳修行を経てクンダリニー・ヨーガを成就したあとに撮影され、教団の機関誌『マハーヤーナ』の成就記事に使われたものだ。当時27歳。中川さんの穏やかな表情からは、厳しく長い修行を乗り越えた充実感や、青年医師らしい自信さえ感じられる。しかし、このとき坂本弁護士一家殺害事件からおよそ8か月が経っている。中川さんは実行犯の一人で、当時1歳だった赤ちゃんを殺害していた。
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29年目のオウム関連本
地下鉄サリン事件から今年で30年が経つ。わたしも長い間「オウム真理教とはなんだったのか?」ということを考えてきたのだが、2018年に13人が処刑されてからは、そんな答えのない問いを追い求めることはなくなってしまった。ましてや世間ではとうの昔にオウム事件は忘れ去られているので、事件に関連する新たな書籍が出ることなど思いもよらなかったのだが、昨年『オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝』という本が出版されていたことを知った。
本のタイトルにある「解離性障害」という言葉から、精神医学の専門家が書いたものかと思って著者を調べてみると、他に『ハプスブルク家かく戦えり: ヨーロッパ軍事史の一断面』『日本の軍事革命』などの著作がある。どういうことなんだろう? と不思議だった。
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久保田正志著・春秋社2024/9/19
版元の春秋社のホームページにはこう書かれている。
「中川智正はなぜオウム真理教事件に実行役として関わっていったのか。中学生時代の友人である著者が、600回以上にわたる面会記録と裁判記録から、解離性障害から自身を制御できなくなった経緯を初めて明らかにした伝記」
著者は中川さんの中学時代の友人だった。本書は、東京拘置所の独房で22年間を過ごした中川さんとの、合計662回の接見と500通を超える手紙のやり取り、裁判関係記録、精神科医による鑑定意見書などで構成されている。ここでは一貫して、神秘体験といわれるものは「解離性障害」という精神疾患の「症状」としてとらえている。そして、このような病は文化人類学の概念では「巫病」といわれ、麻原教祖も中川智正さんも巫病だったのではないかとしている。
巫病 shaman disease:巫者・シャーマンになる途中で神秘体験と結びついて起こってくる心身の異常
「解離性障害」「巫病」という精神医学の専門用語は、一般の読者には敬遠されてしまいそうだが、「神秘体験」という怪し気で曖昧な言葉を使うよりは、かえって中川さんの人生に近づきやすくなるかもしれない。
いわゆる「オウム事件」は、麻原教祖の指示のもと「成就者」と呼ばれていた修行の進んだ弟子たちの一部が中心となって秘密裏に実行していたものだ。実行犯たちはもともと善良な普通の若者たちで、有名大学出身者も多かったこともあり、彼らがどうして凶悪な犯罪に加担していったのかが注目された。しかし、裁判ではもちろんオウム真理教事件関連の書籍においても、邪悪な教祖による「洗脳」や「マインドコントロール」という図式で語られがちで、わたしのように内実を知っている当事者には、とても納得できるものではなかった。
けれども、30年もの時が経ってようやく、この中川さんの伝記によって事件の渦中にいた彼の内面でなにが起きていたのかがわかった。
いや、「わかった」というと語弊があるかもしれない。凶悪な犯罪の最中に「光が降ってきた」「声が聞こえた」「尊師の想念が入ってきた」などという記述を読めば、大半の人は「馬鹿げた言い訳をするな」「狂っている」と言って聞く耳を持たないだろう。中川さん自身も誰にもわかってもらえないと思っていたようで、自身のそういった体験について最初は弁護士にも多くを語らなかったという。
光を放っているから
中川智正さんの神秘体験がどういうものだったのか具体的に知りたいのなら、本書を読んでもらうしかない(特に、本人の手記「最初の体験から入信まで」)。ここでは、中川さんが「マインドコントロール」と言われているものについてどう考えていたのか、その内容が書かれている箇所を紹介したい。
・・・あるとき、麻原は智正に「お前は修行もしないしワークももう一つである。私のことを悪魔と思っているだろう。何でお前はここにおるんだ」とにやにやした感じで問い、智正は「尊師は光っているからです」と答えた。麻原は「ほう、お前、それが見えるのか」とうなずいていた。
智正は、麻原が光を発していることについて、平成八年一三日に自ら書いた雑文四で次のように著している。
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尊師は光を放っています。これは例え話ではなく、この光は視覚的に見ることができます。
もう少し詳しく言うと、尊師の周囲の空間が上の方から照らされて、光り輝いているのです。その明るさは非常に強く、カメラのフラッシュを連続的に点灯しているような感じです。
この光は光学的な光とは少し異なっています。障害物や距離によって減弱しないのです。
例えば尊師の部屋は外から見ても光っていましたし、尊師から五〇〇㎞以上離れた所で私はこの光を見たことがあります。
先に書いたように、私にはこの光が見えますし、他の教団関係者にも見えると言っている人がいます。ただ、トータルで言えば、この光を見ることができる人はほとんどいません。教団内でも大部分の人がこの光を見ていないと思います。
しかし、この光は見える見えないにかかわらず、ある種の人に影響を与えます。その人たちはこの光に魅きつけられるのです。一部には例外はありますが、尊師の下に弟子が集まった理由はこれです。
ただ、大部分の弟子達は光が見えないので、自分が尊師の弟子になった本当の理由が分かっていません。強いて問われれば、「信じているから」としか説明できないでしょう。そして、何らかの理由で「信じられなく」なったら、彼らは教団を離れることになります。
自分がなぜ教団に居たのか分からない脱会者は「私はマインドコントロールを受けていたのだ」と言っています。
しかし、その「マインドコントロール」の実態は未だに全く明らかになっていませんし、これから先も明らかになることはないでしょう。そのようなものは存在しないからです。
私は今、ラーマクリシュナ・パラマハンサの言葉を思い出しています。
「蓮の花が開いたら、呼ばなくても蜜蜂は集まってくる」
圧倒的なものに出会うこと
わたしが「オウム真理教とはなんだったのか?」ということを考えていたとき、大いに助けになったのはC.G.ユングの無意識についての著作の数々だった。オウムでの体験を考えるうえで、わたしが時折読み返した一文があるので以下に紹介したい。
宗教的体験の心理的構造、すなわち全体性を獲得し、癒し、救い、全存在を包摂するような体験の心理学的構造を定義しようとするなら、考えうる最も簡潔な言い方はこうであろう。宗教的体験において、人は精神的に圧倒されるような他者に出会う。この人を圧倒する力については体験者の証言があるだけで、具体的な、あるいは論理的な証明はなにもない。<中略>どんな現われ方をするにせよ、この圧倒的なものは人間の全人格に挑戦し、全人格をあげての応答を強いるのである。こうした体験が現にあるし、またなければならないということは、証明することができない。またそれがたんなる心理学的なもの以上の何かなのかも、実証するすべがない。体験者にとってはまぎれもない事実でありながら、そう証言し告白する以外になすすべがないからである。
ユングが言う「この圧倒的なものは人間の全人格に挑戦し、全人格をあげての応答を強いるのである」とは、宗教的体験というものは運命といえるもので、人はその力から逃れることはできないという意味だろう。
中川さんはそのようなものに出会ってしまった。そのためにオウム真理教に入信せざるをえなくなり、出家し、修行し、秘密裏に犯罪に加担していった。そして、死刑囚になってしまう。普通の感覚なら「人生は終わった」ようなものだろう。しかし、本書を読んでみると、逮捕拘留され裁判を経て処刑に至るまでの22年もの間、中川さんは全人格をあげて応答していたことがうかがえる。
わたしは「中川智正伝」は、中川さんのその誠実さと、久保田氏との友情によって上梓された稀有な宗教体験の記録だと思っている。
※本書の最後に資料としてある医学者の鑑定意見書が中川さんの体験(症状)の全体像をよくまとめている。修行上の神秘体験について麻原教祖がどのように考えていたかは、以下の過去記事をご参照ください。