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追補 シャロン・シャノンの笑顔

前回のnoteでシャロン・シャノンは田舎の素朴なゴールウェイ・ガールだ、などと言って締めてしまったが後悔している。

ミュージック・プラントさんが2019年のケルティック・クリスマスに際して掲載したブログを読むまで知らなかったのだが、彼女は2008年に大変悲しい経験をしている。

当時交際していたレオ・ヒーニーという男性がいたのだが、シャロンがツアー中に心臓発作で突然亡くなった、というのだ。彼女自身その事実を受け入れることさえままならず、彼女を心配した友人たちが3週間もの間、絶えず彼女の家に出入りし、とにかく音楽を流し続けたという。その音楽の力でなんとか持ち堪えた、ということを2021年のRTE(アイルランド国営放送)で放映された彼女の特別番組「Keys to my Life」でも話している。

2000年頃、パブで演奏している時に出会ったレオ・ヒーニーはシャロン・シャノンの事を知らなかったようだ。フィル・ライノットやロックンロールが大好きな青年だったという。その彼と7年あまりの交際の後の突然の別れ。

シャロンとレオ

レオの死後、シャロンは彼の葬儀と埋葬で演奏された曲を集めたプライベートアルバム「ソングス・フォー・レオ」を100枚ほど作って、家族や友人に配ったという。その後、このアルバムは2020年に、コロナ禍で親族を亡くし悲しい思いをしている人々に向けて、公にリリースされている。ちなみにその売上はアイルランド・ホスピス財団の一部で、遺族を支援する慈善団体「ロザベルズ・ルームズ」に寄付されるという。

それだけではない、2014年には愛するお母さんが亡くなったとのこと。ダンスが好きな陽気なお母さんだったそうだ。そして昨年2023年の11月には、35年という長い年月マネージャーをしていたジョン・ダンフォードが亡くなったという。

なんというか、なぜ彼女のような天真爛漫な、心持ちの優しい人のところへ次々とこんな不幸が立て続けに起こるのか。

2019年のケルティック・クリスマスのライブを見に行ったのだが、シャロンがすごく痩せていて、なんだか以前の、からっきし楽しい感じと少し変わったような気がしていたのだが、そういうあまりに悲しい人生の出来事を通過してきていたのか、と今となれば納得できる。

しかし、ここ最近の動画などを見ると、そう言う辛い人生の経験を乗り越えて、元来の明るさを取り戻してきているのではないか、と思う。

例えばこちら、2022年のクレジット。これ、ラップやってるの本人ではないのか?!歌が下手だから絶対歌わない、と何か読んだが。歌じゃないか・・・

またこちらは2023年6月の動画。サビの掛け合い、
“I do I do the diddley doo”
”Why didn’t you do?”
などと、やけくそな楽しさがある。
こちらもご本人が絶叫している。

そして、こちらはつい最近のライブ映像。盟友ジム・マレーとジャック・マハーの3人でのとてもリラックスした演奏。途中でジム・マレーの小話がなかなかいい。(20年ほど前にアイルランドのフェスに来ていたボブ・ディランがヴァン・モリソンにアメリカに帰るプライベート・ジェットに乗せてもらえないか、と頼んだところ「ボブはプライベートの意味を知らないのか」と一蹴された、という話!)

きっと大丈夫だ。シャロンも立ち直っている。悲しいことは沢山あるけれど、顔を上げて歩いていこう。

こんな素晴らしい音源があるのだな。シャロンのファーストアルバムより2年も前、まだ21歳の頃の録音。ドーナル・ラニーがバックを固めている。

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