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長編小説 「扉」20


      姉弟対決 三



 借りた二十九万円に礼金一万円を足して三十万。手土産とともに間宮さんに返済してから、姉は少しだけ落ち着いたようだ。
「中嶋先生が返してくれたのよ」
 嬉しそうに書道会で語る間宮さんの姿が、佳那によって明らかになる反面、同じ書道会の山神氏の気分を害さないかと姉は心配していた。
 父には収入を増やせないかと圧をかけたが、弟子募集を地味に貼り出しただけで、何も変わらない。弟子一人増えたところで幾らでもない月謝が一人分増えるだけだ。市の史跡案内はボランティアだから論外である。それよりも父の作品を積極的に売ることは出来ないだろうか。
 父の作品は役場を始め、ホテルや企業、病院のロビーなど、意外に地元の様々な場所に展示されている。ところが所望されて展示しているにもかかわらず、愚かな父は額や表装代の実費しか受け取らない。作品が、一人でも多くの目に触れることが有り難いのだと、謙虚に格好つけていたが、そもそも他人から金を取れない性分なのだ。
 父は、生み出した唯一無二の作品達を大切に保管している。国内外で受賞を果たした作品でも手元に残っているものもあり、高く売れるのではないかと皮算用し、姉に相談を持ちかけたところ「無理」と一蹴された。
「オファーがあったわけでもないのに、いきなり大作を売ろうなんて無理。万に一つも売れないよ。それにお父さんは、お金で買う書家名鑑掲載など馬鹿馬鹿しいとか言って登録していないから、尚更一般的には売りにくい。とにかく今はバブルの頃みたいに世間も簡単には買わないしね」
「じゃあさ、ネットで出品してみてよ」
「無理です。甘い。アユ坊が想像している程簡単じゃない」
「そんなこと言ってる場合かよ、やってみる価値はあるだろ。今の時代、ネットで何とかなるんじゃないか。それこそ抽象画みたいな書なんだ、絶対外国人に売れそうじゃないか」私は食い下がる。
「無理だって。お父さんの書を然るべくそれとしてネットで売るには、然るべきサイトで登録費や撮影費、管理費などを事前に納め、作品毎にデータ上で管理してもらう。売れなければ管理費がかさむだけ。いつ売れるかもわからないのに、面倒な手続きや多額な費用と時間を今かけるのはどうかと思う。歩のは狸の皮算用よ」
 息継ぎもせずに語る姉。妙な饒舌じょうぜつさに流石の私もたじろいだが、狸だと? 聞き捨てならぬ発言だが、結局姉は面倒臭いのだ、と結論付けた。

 父が一枚の作品を仕上げるのに、その文字や言葉の歴史を調べ意味を熟考し、父なりの解釈と共に高みに上り詰め一気に吐き出す。体調や精神状態はいうまでもなく、気温や湿度の違いの中で、何十枚何百枚と書き倒す。その中からたった一枚が選出される。父の分身だ。決して媚びを売らず、それでいてユーモアのある作品を捻り出していたこと位、私だって分かっているのだ。
 何を隠そう大事故の末、傷心にとめどなかった私は、父に書を学んでいた時期もあったのだ。
 妙な才能を発揮した私は、嵐山師匠から孫弟子として可愛がられ、若きホープ感満載でスピード昇進していった。だが、父が師である故に甘え、対立し、やがて筆を投げつけた。私に書は必要ない! 私の目指すものは全く違うのだから。
 それでも、書家としての父を認めているのは、昔も今も事実である。だからこそ、そこに希望を見出だしたかったし、それを今はという価値に換えたかったのが本心である。
「作品を売る時は、私が中嶋道順のマネージャーになって、きちんと価値を伝えて売るから」
 そう言った姉は、妙に冷めた口調で締めくくった。
「いずれにしても借金を返せる程の需要はないよ」
 私は諦めた訳ではないが、今回は饒舌な姉に勝ちを譲ろう。


  姉と父の密談

 私が父を訪れた時、父は書道部屋で片付け物をしていました。
「お父さん、何してるの」
「ああ、理実か。作品を整理しようと思ってな」
「どういう心境の変化、気分転換?」
「……そうだな」力なく頷く父。
 長机の端の菓子箱の中に、愉し気な文字が書かれている何十枚もの小さな紙が、ぎっしり詰まっているのを、私は発見しました。
 それは宝箱のように私の心を瞬時に捉えたのです。「空、並、登、羽、掌、音……」キリがない! 
 およそ10センチ角のいびつな四角形という大雑把な形に、自由に生み出された文字達がうごうごとひしめき合っています。父が気の向くままに切り取った紙だから、素材も大きさもマチマチ。静寂やうごめき、踊っていたり、伏していたり……愛しい文字達が生きています。時間の経つのも忘れて、幼い頃に集めた宝物を並べては胸が高鳴っていたように、並べきれないこの完成度の高い小さな文字達に興奮し、穏やかで芸術に正直な、愛すべき父が目の前に居たことをみるみる思い出しました。
「やっぱり凄いよ、お父さん!」
「いやあ、いたずら書きだ、日記みたいなもんだ」
 父は白髪頭を掻きながら、目を三日月に細めました。
「そういえば、書道教室は復活させたんだよね」
「ああ、やってるよ。嵐山教室と白梅会館と西町公民館、それからすずめ児童館もだ。後はうちの教室だな、全部復活したよ」
「結構忙しいね。……その収入は今迄通り、書の活動費として使えているんだよね」
「いや、月謝の収入も全部歩に渡すんだ。元々は家計とは別にしていたんだが、歩がそれに気が付いて……」
「それじゃあ本当にお父さんは一円たりとも自由はないのね」
「そうだな……まあ仕方ないさ、俺のせいなんだから」
「うーん、じゃあ試しにやってみる?」

 私の目論見は、小さな作品というのがポイントでした。宝物のような父のいたずら書きは、充分キャビネ額に入るサイズ。創作文字だから絵にも見える。楽しくて面白い。安価設定可能。これならば一般に受け入れられ易いかもしれない。父が遊びでしたためたいたずら書き。私の本心とは大いに矛盾しましたが、父が賛同すれば販売を試みようと思ったのでした。 
 消しゴムに、「道央みちお」の頭文字「み」を彫ります。「み」の印を押され、いたずら書きの一文字達は小さな作品となり、駅周辺の本屋に置かれました。 
 嵐山書道会の名も中嶋道順の名も使わない、誰も知らない名も無き書家「道央」の作品は、その後いくらかの動きはありましたが、子供のお小遣い程度で、収入とは呼び難いものでした。
 それでも父は、活きた時間を少なからず持つことが出来たのではないでしょうか。
 しかし、「もっと誰にでも分かり易い文字を書かなくちゃな」と張り切る父を見ると、私はあまり嬉しくはありませんでした。日記だから、いたずら書きだから良かったのです。初めから売る目的で生まれる作品は、その時から輝きのベクトルが変わります。
 散々私や歩に怒られて小さくなってしまった父が、書くことで精神が少しでも穏やかでいられるのなら、それはそれで良いことです。でも、文字の行方が媚を売ったゴールになることだけは、避けなければなりません。それよりも、湧いたエネルギーは喜寿に予定している個展の実現に向けて費やして欲しい。
 この三ヶ月半に及ぶ、父への怒りや呆れは霧散し、それまでの父に対する冷たい行為を棚に上げるように、私はそう願いました。




 ボジョレヌーヴォーの解禁も近いな。そんな思いを馳せていた十一月のある日、姉が父の書道部屋を訪れていた。この日以降、父の動きに少なからず変化が生じていた。姉に何を吹き込まれたのか、連日書道部屋にこもり、黙々と何か生産している。後に知る姉の不毛なこの計画は、更に父を現実逃避に追い込んだ気がしてならない。
 問題はここからなのだ。ついに融資に漕ぎつけそうな金融機関を見つけたのだ。父には再び頑張って、私の有意義な計画を成功させてもらわねばならぬのだ。上手くいったあかつきには、ボジョレヌーヴォーで乾杯したいものだ。
  十一月中旬。帰宅すると、相変わらず父はオドオドしながら私の様子を伺い「歩か、御苦労さん」とだけ言うのだった。毎度パターン化されたこの台詞。駆けずり回っている私の苦労を分かって発しているのだろうか。
 そんな父には大仕事が用意してある。父を伴い都内のタワー銀行まで赴く。小さくなってしまった父は、サイズの合わなくなったツイードのブレザーを重たそうに着込み、トータル不動産以来の特急列車に乗り込む。車窓はすっかり秋の終わりを告げていた。苦しい禁煙タイムを二人無言で過ごし、新宿に到着した。緊張を隠せない父はまたしても何も喋らなくなっていたが、不動産担保融資なので父本人が出向かなければならない。
 不幸中の幸いというのも癪だが、父の年齢が七十五歳、ギリギリであった。保証人を立てさえすれば、土地家屋を担保にして、四百万程度は融資可能という話だ。またしてもビンゴ! 嵐山氏への返済額と同額だ。
 ところが、すぐにでも申請したかったが、保証人となる私自身の審査があり、保証人が確定して初めて融資の審査対象になるというのだ。問題は父ではなく私自身にスライドした。未だにブラックが消えていない私が保証人として通るのか。しかも、私自身の印鑑証明や年金支払済証などの書類提出も必要であるという。これには困った。現在無職、印鑑未登録、年金支払いの経験なし。一介の成年男子の恥ずべき実態である。
 翌日、私は地元の年金相談窓口にいた。抜け道とは常に用意されているものなんだな、とつくづく感心してしまう。まとめて六ヶ月分以上納めれば、支払済証が発行出来るというのだ。ザッと見積もって十万。こうなったら何とかして年金半年分を納めようではないか。


つづく



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