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長編小説 「扉」23



     歩の奮起 二



 その日から私は精力的に家を片付け始めた。家中の不用品を追い出し、破損箇所を修理し、汚れを磨き、住み心地の良い家を目指した。言わずもがな、塁を迎え入れるためだ。
 今迄無関心だった家内外の経年による傷みや汚れが気になり出す。不用品の多さに驚く。我が家の長年の歴史が、物質的にも隙間なく詰まっているのだから、当然といえば当然である。母の遺品など全く手付かずであり、いつ母が此の世に舞い戻ってきても、従来通りの生活を送れる有様なのである。
 片付けの鬼となった私の集中力、行動力は実に持続性があった。思いつきではない極近い未来のため、私は労を厭わなかった。あの日百合は、塁の我が家移住について承知したのだ。
「塁が本気で目指す高校が、お義父さんの家から通える場所なら否定はしない。お義父さんがいるから安心だし」
 後半の台詞は父への根拠なき信頼感が見え隠れし、何だか面白くないが、ここは穏便に無視を決め込もう。
 すると、桜子が引き継ぐ。
「おじいちゃん優しいもんね。サク、おじいちゃん大好き。だっておじいちゃんは毎年運動会に来てくれるし、いつもお小遣いくれるし、おじいちゃんは頼りになるってママはいつも言ってるよ」
「サク、余計なこと言わないで。確かにお義父さんにはいろいろ助けてもらってる。二人を凄く可愛がってくれるし、気の強いうちの母とも上手く付き合ってくれるし。アユ君は知ってる? 塁と桜子の学資保険にも入ってくれてるのよ」
 父の通帳に記されていた二件の学資保険、あれは二人のためのものだったのか。有り難いと思う反面、仲間外れにされた寂しさと父への嫉妬心が芽生えたのを感じた。だが、頼られている父の陰の活躍で、別れてもこうして百合と縁を切らずにいられる現状は、やはり有り難かった。塁や桜子が我が家に移住すれば、百合との絆はますます強くなるだろう。
 かくして私の中で「塁受け入れプロジェクト」が精力的に立ち上げられたのである。
   昼夜問わず、不用品を壊したり車に詰め込んでいる私に気付き、姉はある疑問を口にした。
「アユ坊、最近いつも御在宅のようだけど、仕事はお休みなの?」
 とっくに仕事を辞めていた事実を姉に黙っていたことを、すっかり忘れていた。
「今迄がブラック企業さながらだったんだから、まとめて長期休暇取ってるんだよ」
「ふうん。ところで、片付けに目覚めちゃってどうしたの」
 そこで塁の進学と移住について話すと、
「あんまり現実味ないと思うけど」
 姉はあっさりと愛想なく言う。
「百合が、倫に塁の勉強を見てもらいたいって言ってたよ」
「百合ちゃんと会ったんだ。それで御機嫌が良いのね。倫も受験控えてるからね、話しておくけど」姉が冷たい。
「とにかく家を片付けるから、サト姉も自分の物を処分して。サト姉の大量の私物がそのままになっているんだから」
 せっせと不用品を分類する手を動かしながら、私は姉の顔も見ずに言う。
「いきなり処分しろと言われてもね。来た時には協力します」
 そう言い残し、姉は書道部屋に上がっていった。
 障子を開けると、父が脚立の上にフラフラと立ちながら、天袋から掛け軸や額を下ろしている。母の作品も混じっている。若き頃、陸上や野球で鍛えた身体は一回りも二回りも小さくなり、作品を取り出す度にフラフラしながら「んんん」と声を出す。姉は駆け寄り、
「お父さん落ちないでよ、手伝うよ。というか何やっているの」と問う。
「作品と本の整理をしようと思ってな」
「年中そんなこと言って、歩の片付けと関係があるんでしょう」
「作品の保管場所を変えるから全部出せと言われてな。書道関係の本も分別しろってな」
「歩と一緒になって根詰めたら、疲れるし危ないよ」
「来年には塁が住むからと、急いでいるみたいだ。作品の虫干しもしていなかったし、良い機会だと思ってぼちぼちやるから大丈夫だ」
 机の上には、時候の挨拶がキッチリと楷書で書かれた筆ペン教室のためのお手本が数枚置いてあったが、姉はその存在には気付かず、塁受け入れプロジェクトにいそしむ我々父子を横目に、無言で帰って行った。


 早朝、外がやけに静かだと思ったら、雪がうっすらと積もっていた。ベランダの手摺に三センチ程だろうか、この程度だと数時間で溶けてしまうだろう。
 幼き頃、口を開けて落ちる雪を受け止め、「おなかこわすよ」と祖母に優しく叱られたことを思い出した。大学病院に長期入院していた母の代わりに、いつも幼い私の傍に居た母方の祖母である。掌に乗る程の小さな雪だるまを一緒に作り、溶けてしまうのが嫌で冷凍庫に入れ、会社から帰った父を驚かせたことがある。あの雪だるまは最後はどうなったのか……忘れてしまった。
 白い吐息が上空に消える。コンビニのホットコーヒーを寒空の下で飲みながら、もう一人の母であった祖母に想いを馳せ、私としたことが迂闊うかつにもせんちめーとる、、、、、、、になっていた。塁や桜子にも、朱実という彼らの素敵な祖母に会わせてやりたかったなと、二月の空を再び見上げた。
 私を現実に戻したのは、宮城県警からの着信であった。また一人逮捕されたようだ。三十一歳、今迄の逮捕者の中では年長で、掛け子といわれる電話応対要員への指示役だそうだ。それでも下っ端の一人であることに変わりはない。これらの被疑者のことを詳しく知りたいと思った私は、得意な話術と執念により、それぞれの担当弁護士を教えてもらうという、警察の守秘義務ギリギリの有り難い御厚意を引き出した。早速弁護士に相談だ。
 費用の都合上、止むを得ず坂上弁護士を諦めるに至った。河原氏ルートの弁護士は某政党常駐である上、姉によって、正義感溢れる私の行動を干渉されるのではないかという懸念があるため、単独で地元弁護士を探していたのだ。
 この田沼弁護士は、少々頼りない風貌をしていたが、彼の的確なアドバイスを私が忠実に遂行することにより、被疑者の更なる情報を得ることが出来た。詐欺被害者を立証するいくつかの証明書類を検察に提出し、情報開示請求を申し出たのだ。勿論被疑者との直接接触は禁止されているので、激情してこの約束を破ればこちらが罰せられる。残念ながら未成年の住所は県名以降は開示されなかった。
 正直、上層部の悪人など捕まらなくとも、父の失った金さえ戻ってくればそれで良いと思っている私がいた。やがて田沼弁護士に戦闘準備を依頼すべき時がやって来るであろう。


 連日通勤するが如くネットカフェに通う。最近は姉のPCを借りることなく、ドリンク飲み放題の賃金を支払い、誰にも邪魔されずに調べ物に励んだ。疲れればリクライニングして仮眠を摂ることも出来る。
 今日も昼過ぎからネットカフェに籠もり、うとうとしていた。外界は突風を伴う寒風まみれだが、ここは実に暖かい。冷たいコーラでも飲んで目を覚まそうと通路に出た時、「よお」と声をかけられた。巧がそこに居た。彼はこのネカフェを夜間に利用することが多いらしく、日中利用する私とはすれ違いだったようだ。
「さっき歩の家の前を通ったら、親父さんがベランダで危なっかしい作業をしていたぞ。今日は突風が吹いているけど大丈夫なのか」
 おそらく父は、壊れてしまったベランダの物干し台の修理をしているのだろう。わざわざこんな日にやることないのに、何を考えているのか。
 その後も「庭の木をノコギリで切っていた」とか「ブロックを修理していた」など、私の居ぬ間の父の行動をしばしば巧から得ることがあった。
「親父さん良く働くなあ、大丈夫なのか」
「孫が一緒に住むことが嬉しいんじゃないか」
「歩の子か。いいなあ、俺も結婚てやつをしてみたいよ」
「ふん、俺は二度失敗してるけどな」
「冗談だ。俺は人を信用しない、男も女もだ。歩は別枠だけどな」 
 巧は嬉しい言葉をカッコよく投げた。
 渦巻く寒風の中帰宅すると、確かに不思議な形に修繕された物干し台に物干し竿がかかっている。突風に何とか耐えている様子は不安だらけだ。
 その後も確かに、木蓮もくれんの木が伐採され紐で括られていて、狭すぎる庭が明るくなっていたし、裏の水回りは綺麗に煉瓦で整えられていた。物干し台のセンスには閉口したが、私がやりたかったことを父が進めていたのには少々驚いた。
「お父さん、家の回りサンキュー。よく俺のやりたかったことがわかったな」
 私を上目遣いで薄く見た父は、
「……歩か……この前やりたいって言ってたじゃないか。あれで良かったか?」
 あれ、父に言ったんだっけ? と思いながら、
「外はスッキリしたけどさ、物干し台がいただけないよ。そのうち俺がやり直すよ」
 そう言うと、父は「そうか」とだけ言って、そそくさと書道部屋に上がっていった。少し足を引き摺っていたような気がした。連日の力仕事で無理をしたのかもしれない。せっかく塁が同居するというのに、父の表情が冴えないのが気にかかる。
 気の早い私は、それからリサイクルの二段ベッドを手に入れた。分割すれば桜子も使える。
 運び込んだのは良かったが、置く場所がない。カオスな物置と化した元々の姉の部屋に無理矢理押し込んだ。父の書道用品のストックや、姉の残していった画材や衣類の多くが押し込められている。父と姉、二人で一部屋分もガラクタで占領しやがって! 込み上げた憤りを、私自身のワインコレクションも押し込めてあったことに気付き鎮めた。
 塁の部屋の確保が急がれる。迫る民事裁判への準備も重なり、私の体と脳内は実に多忙であった。 


つづく




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