見出し画像

長編小説 「扉」22



     歩の奮起 一



 正月である。詐欺事件に巻き込まれた不幸な家族にも、新年は平等に訪れるのである。父の元にはドッサリと年賀状が届いていた。
 凛と伸びた茎に清楚な白い花をつけた水仙を手に、姉と倫がやって来た。理知的で清潔なその花は、姉の憧れだという。明けたくなくても明けてしまった新年の訪れを、久し振りのすき焼きで迎える。思い出したように居間に出現した掘り炬燵は母の趣向で作られたのだが、母が消えてからは一度も掘り起こされたことはなかった。その哀れな炬燵を、居間のフローリング中央から発掘したのは父である。
「じいちゃん家に掘り炬燵なんてあったんだね」
 倫が珍しがっている。「我が家でもコタツムリになれるぞ」と、私も口元が緩んだ。
「これはね、朱実あけみママ念願の掘り炬燵で、長期入院から帰って来たら喜ばせようって、職人さんにリフォームしてもらったんだよ。ね、お父さん」
「そうだな。だけど朱実は一度しか入ることが出来なかったな」
「でも、嬉しそうだったんでしょう」
 父が寂しそうに笑顔を作る。
 このような雰囲気が苦手である私は、
「何みんなでせんちめーとる・・・・・・・になってるんだよ」と、ボケた。
せんちめーとる・・・・・・・……ね」
 このギャグに反応したのは倫一人である。
 暮れに嵐山氏から改めて借りた四百万のお陰で、河野氏の百万円もギリギリ年内に返すことが出来た。
 年の初めの一日くらいは、金の話をせずに過ごしても良いではないか。倫も今日は勉強しないと決めている。父も私の前では長らく見せなかった笑顔を、久し振りに見せている。
 居間はすき焼きの甘い匂いで充満し、白滝と葱ばかり食っている姉の取り皿に、肉を食えと父が肉を入れて嫌がられている様子は、子供の頃からの全く進歩のないやり取りである。私と倫は膨れた腹を押さえ、もう食えないと平和に顔を見合わせた。毎年変わり映えのしない正月番組が騒がしい。
「お茶でも淹れてこような」
 そう言って父が台所に立っていくと、倫が呟いた。
「じいちゃんが笑って良かったね」
 気分が明るくなった私は、
PSプレステやる?」と、つい倫に余計なことを言って、姉に余計なことを思い出させてしまった。
「そう言えばアユ坊、あのDVDレコーダー新しく買ったの?」
 そら来た、でも私は潔白である。
「友達が持ってきたんだよ、ケーブルテレビのアニメを録画をしてくれってさ。友達、ケーブルテレビに加入していないからさ。サト姉も良かったら録ってあげるよ」
「ふうん、そのうち頼もうかしら」
 笑顔からの返答で、むしろ奇怪である。元日だからか?
 日付の変わる頃、帰り支度をしている姉に気付き、私は倫にむき出しのお年玉を渡した。姉が遠慮するも、サト姉にあげるわけじゃないんだからと、倫に受け取らせた。すると父が奥の寝室から、
「じいちゃんからも倫にあげなくちゃな」
 五千円札をポチ袋に入れながら出てきた。
「……何でそんなに持ってるんだよ」
 咄嗟に口を衝いて出た私の疑問に、父は口を濁して、
「いや、これはちょっと別だ。歩から受け取った生活費から出したわけじゃない」
「どういうことなんだ」
「待ってくれよ、倫に聞こえちゃうだろ」
 そう言うと父は、何事もなかったように倫にお年玉を渡す。今のお父さんからは受け取れないと、姉が穏やかに抗議すると、
「俺が渡したいんだ。いつもより少ないけど、じいちゃんの気持ちだ、遠慮なんてするな。これはじいちゃんのいたずら書きの報酬からだからな。もらってくれよ、倫」
 妙に格好良く決める父。
「ありがとう、大切に使うよ。じいちゃんに恩返しが出来るように、必ず志望大学に受かるようにする」
 素直さを惜しみなく発揮する倫。お前ら皆本心なのかと思える程、良く出来た会話である。
 姉は父の正直なこの行為が裏目に出ると、感じとったかも知れない。「じいちゃんのいたずら書き」とは何だ。私は把握していない。だが、少なからず姉とはかって収入を得ているのは確実であろう。小賢しいが暫く様子を見ることにする。


 松の内も過ぎ、学校も始まった頃だろうか。被疑者がまた一人逮捕された。またしても未成年者である。何の情報をも持たない使い捨ての奴らばかりが捕らえられていく。こんな小僧の小遣い稼ぎに足元をすくわれ落ちた深い穴。宮城県警の片倉刑事が言っていた。
「表面に出てくるのは下っ端連中ですよ、頭は全国にネットを張っている大きな組織かもしれんですね、尻尾は中々出さんねぇ」と。

 この日事件が起きた。午後三時過ぎ、帰宅すると一台のママチャリが玄関前に停まっている。驚いた。居間には制服を着た私の愛する息子がいる。学校帰りなのか。
るい! どうしたんだよ、連絡もなしに」
 そう言ったものの、理由などどうでも良かった。一年振りに会えたことが嬉しくて、私はそこに父がいるのも忘れてテンションが上がってしまった。私の方が子供のようである。温まった部屋でジャンパーを脱ぐとソファーに腰掛け、咳払いこそせぬが改めて父親らしく、
「まずは、明けましておめでとうだな。学校始まっているんだろう」
 当たり障りのない言葉を掛け、まずは疑問に思ったことから問うた。
「外に置いてあるママチャリは塁のか」
「うん」
「まさかお前の所からここまで……一体どれくらい掛かるんだ!」
「二時間半……位かな」
「何があったんだ」
 塁はうつむいてモジモジするばかりで、両手は膝の間で固く組まれている。父が遠慮がちに傍に来て、
「話してみたらいいじゃないか、いきなり怒ったりはしないよ」と塁に促す。
「お母さんに出てけって言われた」
「百合が……何で?」
 話に割り込むかのように、塁の前に熱々のキツネうどんが置かれる。
「腹が減ってるだろう、先に食べちゃえよ」
 優しい父のもてなしに、塁は「いただきます」と、うどんの湯気に狸の修行のように顔をぼやかしながら、あっという間に平らげた。狸が狐を食ったのか。いや、断じて我が息子は狸ではない。
「大丈夫だ、言えば楽になるよ」
 父に励まされ、塁は重い口を開いた。
「携帯でゲームをやっていたんだ。それが止まらなくなって、つい……」
 ゲームのやり過ぎどころではなかった。ゲーム中に課金して強力なアイテムを手に入れるシステムがある。一回位ならとその禁を破ってしまったら、次の欲求が持ち上がってくる。気が付いたら十万円もの課金の請求が、百合の元に届いたという訳である。これは百合でなくとも怒る。
「塁、それはマズかったな。気持ちはわかるけど、ちゃんとお母さんに謝ったのか? お父さんも一緒に謝ってやるから素直になれよ。お母さんが本気で出て行けなんて言う訳ないだろう」
 塁は現在中学二年、母親の百合と小学五年生の桜子、百合の母親の蜜子と四人で暮らしている。桜子や学校の様子などを聞いているうちに、ようやく落ち着きを取り戻したようで、進学についても話し始めた。私がそれ以来、この上なく舞い上がってしまったのは、塁の発言が原因である。
「僕、将来情報系に進みたいと思っているんだ。でも近くには情報科のある高校がないんだ。おじいちゃんの所に住んだら、こっちの方の高校でも通えるのかなって考えたんだ」
 願ってもない、私は大賛成である。
「お母さんの意見も聞いてからな。お父さんは大賛成だよ」
 嬉しさを隠しきれない緩んだ顔で言い切った。
 その時、父の以前の番号を持つ携帯が振動を始めた。未だにこの番号は生かしてあるのだ。何だよこんな時に、と無視したい気分だったが、詐欺絡みの件かも知れないと考え直し、廊下に出て電話に出ると、
「もしもし、百合です。お義父さんお久し振りです」
 我が耳を疑った。何故百合が父に電話をかけてくるのだ。この番号にかけてきたということは、携帯を変更したことを知らないからだ。平静を装い私は応答する。
「百合、俺だよ、歩」
「え、アユ君? これお義父さんの携帯だよね、お義父さんは?」
「いるよ、そこに」
 何で父なんだよ、何で私ではなく父なのだ。それでも平常心を保ちながら、
「お父さんに用なら変わるよ」  
 塁のことは告げずに父に変わると、百合のヒステリックな声が漏れてきた。
「お義父さん、そちらに塁は行っていませんか」
「ああ、来てるよ。自転車で長旅だったみたいだ。うちにいるから安心してよ。歩に代わるからな」
 これがきっかけで、百合と対面を果たすことになった。塁の高額アイテムのお陰だなどと言ってはバチも当たろう。それでも百合に会えるのは嬉しかった。
 待ち合わせのファミレスで、塁は母親への謝罪の台詞を反芻はんすうしているのか、俯いたままブツブツと控え目な呟きを発している。私は百合に会える興奮で台詞が思い浮かばない。我々は緊張の度合いを競うピュアな父子おやこであった。
 私の愛する一人娘の桜子を連れて、百合が姿を見せた。相変わらずの美人で、二人の子を持つ生活臭溢れるバツイチのひとり親とは思えなかった。この時の親子水入らずの夕食会を、私は決して忘れないであろう。
 桜子は兄の塁が大好きで、いつでも兄の味方だ。年に二、三度しか会わないが、お喋りで如才ない彼女は、ストレートに甘えてきたり文句を言ったりする。それが可愛くてたまらない。愛車のポンコツゴルフが赤なのも、彼女の一言で決まったものだった。
 塁は青白い顔で素直に百合に謝罪し、私が額面を負担することで、母子問題は即座に解決した。百合は有益な私の存在を確認したに違いない。その証拠に、塁の希望があるならこちらの高校に進学させ、その間は我が家に住むという選択肢を拒否しなかった。また、「サクもこっちの高校に通いたい」と桜子が言い始めたので、私は羽が生えたようにさらに舞い上がっていった。
 翌日、百合の口座に十万円を振り込んだ。



つづく




連載中です

↓ ↓ ↓







いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集