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連載小説 「扉」13

フォルスメモリー


 「フォルスメモリー……」
 ゲームに夢中になっていた倫が、タブレットから目を離さないままボソッと言った。
「じいちゃんの嘘って、フォルスメモリーみたいなものじゃないかな」
 高校二年生の倫は、姉のたった一人の愛息である。伏せ目がちの大人しい外見を持ち、鍛えたことのなさそうなヒョロヒョロとした体型と、飄々ひょうひょうとした妙な雰囲気を持ち合わせた謎の甥だ。幼少の頃から読書を好み、絵や折り紙に没頭したり、カードゲームに一人興じていると思えば、雲の行方をジッと見守っている。生まれながらの母子二人だけの家庭で育ったせいなのか、一人遊びの上手な寡黙な少年に育っていった。姉が病を発症し入院した一昨年、我が家で半年程過ごしたこともある。
 その甥が息抜きの勉強を終えて、ゲームに本腰を入れている最中に発した言葉である。父への非難を繰り返す私と姉の会話が聞こえていたらしい。
「何度も同じ質問を繰り返されたり追い詰められたりすると、その言い訳を考えたり、記憶にないものを無理に思い出そうとして、脳が偽の記憶を作り上げてしまうことがあるみたいだよ。そしてそれは真実の出来事として、その人の脳に記憶されるんだ」
 ゲーム画面から目を離さぬまま、倫が淡々と説明をする。
「じいちゃんは嘘をついているつもりはなくて、じいちゃんにとっては真実なんだよ。ああっ、しまった、ヤラレタッ」
 ゲーム中の敵の攻撃をかわせなかったようである。

 倫を見ていて、スーパーファミコン世代の自分の少年時代を思い出した。
 穢れなき小学生の頃は、ファミコンに白熱する以上に野球に夢中だった。足が速かった私はショートを守る内野手であり投手だった。つまり二刀流だ。地元の少年野球大会などにも出場し、野球選手を夢見ていた。
 闘病中の母は、都内の大学病院への入退院を繰り返していた。陽射しが悪影響を及ぼす病であったはずなのに、一時退院中の炎天下、防御は帽子とアームカバーだけという母の命知らずの熱い応援のもと、希望と自信に満ち満ちた野球少年時代であった。私の短き黄金時代である。
 そして私は中学生になった。中学での部活動の激しさは、小学校のそれとは比べものにならない。それでも私は続けたかった。しかし余儀なく退部しなければならなかったのは、生まれつきの心臓疾患により医師からの警告があったからだ。夢を儚く絶たれた私は、母の繰り返す入退院と相まって、徐々に我が万年ベッドへの居住を決め込んでいった。
 生まれつきの心臓弁膜症。現在も雑音と不整脈は当たり前である。生まれた途端十七年の余命宣告、越えられれば吉。そんな私の運命に、母は大きな自責の念を感じ続けていた。だが今も私は生き続けている。それなのに母はいない。
 小学生の私が野球選手を夢見ていたことを、「お父さん喜んでるよ」と母から聞かされたことを思い出した。愛すべき父もまた、学生の頃は野球と陸上に興じていた。二刀流である。白いユニフォームに身を包んだ父のカッコいい写真を自慢げに見せられたのは、いつだったであろうか。父とキャッチボールをした記憶がうっすら蘇る。だが幼気いたいけな息子の夢が強制終了された時、父親として何かフォローをしてくれたのかは思い出せない。

 フォルスメモリーか、倫はインテリジェンスだな。
 思えば、父は他人の体験を知らぬ間に自身の体験として認識していたり、他人の言葉に同意や感動を覚えると、知らぬ間に自身の発言としてすり替わっていたりする、そのような傾向が強いとは思う。
 練りに練った「アトリエ改築」という苦肉の口実を語れば語る程、現実と口実が曖昧になったように、やや白内障の始まった瞳を輝かせていたり、まるで自分自身がインサイダー取引をしてしまった罪人の如く、必死にくすぶる罪の消火活動を行おうとしていた。これらの症状は、倫の言うフォルスメモリーとは違うのだろうけれど。
 倫が言っているのは、おそらく私や姉の質問に対して答える、父の曖昧な「嘘」のことなのだろう。
 倫はまもなく十七歳になる。私が余命宣告を受けた年齢だ。事件について、倫にもきちんと伝えるべきか姉に問う。姉は迷いもせずに「全て隠さずに私から話すから大丈夫」と答えた。



 八月中旬。その日仕事帰りの姉は、倫の父親である河原氏の車の助手席にいた。雨の中、特別仕様の四輪駆動マニュアル車は、河原氏の得意なハンドルさばきで箱根旧街道を上って行った。
 当時の二人は時間を見つけると、4WDで山道を駆け巡り、道無き道を見つけては、その行き着いた場所から見渡す光景に心踊らせ、自分達の地図に書き加えていったという、他人からすると鳥肌的なエピソードが存在する。
 だが今の姉には、あの頃は……などと回想する余裕は全くなく、山道の激しいカーブに身を委ねながら、一ヶ月前に発覚した悪夢を語り続けたそうだ。
 峠の蕎麦屋に到着すると河原氏は、
「君はここの蕎麦が好きだったよね」と姉を見る。
 十七年前までは、山道で次々と現れる急カーブでアクセルを踏み込む河原氏のハンドル捌きに興奮していた姉であったが、
「蕎麦? ごめんなさい。ちょっとそれどころじゃない……」
 久々に披露されたハイスペックなハンドル捌きに、すっかり車酔いを起こしたようだ。
「酔うなら酒にしてくれ」と、酒好きだという河原氏の代弁をしておこう。
 酔いも落ち着き、黒いざる蕎麦を啜る姉は、以前は嫌いだった湯葉の刺身も「大人になったでしょう」と、山葵醤油を経由して口に運んだそうだ。姉よ、今更可愛ぶっても気味悪いぞ。
 今後の成り行きを考えて、人脈の多い河原氏にパイプを繋げておきたいという姉の下心は見え見えである。しかし、二時間以上続いた話を、彼が姉のペースに合わせるように相槌を打ち、事件の話だけに集中してくれたことは、少しは姉を安心させたようだ。
 倫は十六歳。理由はどうであれ、顔も知らない自分の父親に母親が会いに行く事実を、どのように感じているのだろうか。姉は息子を過信し過ぎている。

 八月も後半に差し掛かり、猛暑に負けじと融資可能な金融機関を死に物狂いで探し続けるも虚しく、私は相変わらず苛立っていた。実は、嵐山氏を通しての地元の信用金庫は空振りに終わったのだ。
 事件発覚後初めての年金支給日、思ったより残高が少ない。改めて父の通帳を凝視した。生命保険、複数の学資保険、多額のクレジットの引き落とし……この前カードをなくしたとか騒いでいたのに? 
 カラサワミツコ……百合の母親の名だ。毎月送金している。何故?
 百合とは今もこよなく愛する私の元妻で、愛する我が子達、るい桜子さくらこの母親であり、私を麻耶の呪縛から救った唯一の女性であった。唐沢蜜子からさわみつことは彼女の母親、つまり元義母である。でも、何で義母に送金を? 
 何故か父に聞き出すことを躊躇ためらい、私らしくもなく後回しにした。いぶかしんでいた香世子への送金はどうやらなさそうだった。それにしてもやはり年金から返済分を捻出するのは至難の技だ。

 さて、いよいよ父の自宅軟禁を解いた。父の健康のためには、今迄のリズムを少しずつ取り戻した方が良いと考えたのである。そして父は約一カ月振りに書道会に復帰した。
 姉に送られた佳那からのメールが語るには、父は何事もなかったように、「体調不良で」と頭を掻きながら話していたそうだが、周囲の接し方は何となく空々しさがあったという。佳那自身が父の身に何かが起こっていることを知っているから、そのように感じたのではないかとも思えたが、どうやら父の義妹である佳那に探りを入れて来る人物がいたようだ。
「中嶋さんの息子さん何かしちゃったの?」
 やはり息子の私・・・・が何かしてしまったらしい。
「中嶋さんには悪かったけど貸せなかったわ、大金だったから」
 村井さんという書道会の女性メンバーが佳那に語っている。
 そこに父の弟子、間宮さんが加わった。
「私は中嶋先生にお貸ししてるのよ。先生にはすごくお世話になってるから」
「私も親しくはしているけど、大金だったから無理だったわ」と村井さん。
 さらに!
「私も」今度は誰だ。
「私も以前から、道順どうじゅん先生にお貸ししているのよ、やっぱり息子さん関係だって」
 オーマイガッ! 一部の人間とはいえ、書道会の人間がこれ程絡んでいるとは。よくもそのような場所に自ら顔を出そうと思ったな。厚顔な根性と無知な勇気に敬服してやろうかと思ったりもするが、よもやフォルスメモリー的延長上に、「息子の不始末」という事実が出来上がっているのではないか。
 父を「道順」と呼んでいる女性は中里さんといい、元々は母の知人で、作品のアイディアや手直しを父に頼っていた。その礼にと父は食事に招かれたり、手作り惣菜をもらったりしていたようだが、まさか事件以前から金まで借りていたとは……しかも「息子さん関係」で。一体何をやっているのだ。これでは書道会で噂が広まるのも時間の問題だ。いや、既に蔓延しているかもしれない。
 そのような中、父は盟友、山神氏に、「やあ」とにこやかに手を上げていたそうだ。
 書道会での様子を知らせる、佳那からの長いメール。姉は、その返信の文面を考えあぐね、父の代わりに迷惑をかけたと謝罪の言葉を伝えなければならないことに、ひどく苛立った。そして、この内容を私に伝えるべきかをも悩み、結果私に転送したのであった。これでは噂が拡がらない方が不思議かもしれぬ。
 いずれにせよ、佳那にはこれ以上は隠せない。        


つづく




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