試作_1111
テレビ画面には野球の試合が映し出されていて、選手たちが次々と白球を追いかけ、走り回っている。
僕にとっては特に興味が湧くわけでもなく、これまで積極的に観ようとしたこともないスポーツだ。けれど、今日は隣にいる勇太に誘われての観戦。
だから、正直なところを言えば、まあ、面白いとは思う。けど、たぶん、勇太に誘われなければ僕はこの時間、別のことをしていただろう。
「面白いか?」
僕の方を見て尋ねる勇太に、僕は「面白いよ」と軽く答えた。でもそれ以上に、彼がなぜこんなにも野球が好きなのか、なんとなく気になってしまった。
「野球の、どういうところが好きなの?」
僕の問いに、勇太は少し考えるように目を細め、再び画面に視線を戻した。彼の耳が、微かにぴくりと動くのがわかる。
「どういうところ、か…………。」
うーん、難しいな。
勇太は首を傾げ、少し照れくさそうに言葉を探している。
「俺にとっては、野球っていうのはさ、ただ勝ち負けを争うだけじゃないんだよな。」
勝つためにみんながひとつになる瞬間とか、守り抜くために立ち向かう瞬間とかが好きなんだと思う。
特に、キャッチャーはその場を支えるポジションだし、何かあったら全部受け止める役割だからさ。
話すうちに、勇太の表情は真剣そのもので、彼の温厚な雰囲気に加えて、何か特別な思いがこもっているのが伝わってきた。
なるほど、彼にとっては『勝ち負け』以上の意味があるんだなと納得する。
「ふーん、なんか、勇太らしいな。」
僕がそう言うと、彼は少し照れたように笑って、自分の胸を軽く揉むように手を当てた。
その無意識な癖を見て、僕もつい微笑んでしまう。こうやって自然体で一緒にいられる彼となら、野球も、少しずつ面白く感じられる気がした。
◇
勇太から不意に「どうして絵を描くんだ?」と尋ねられて、僕は少し考えてからシンプルに答えた。
「描きたいから。」
すると、勇太が肩を震わせて笑う。
「なんだそれ、まるで子供みたいな答えだな。」
僕も苦笑しながら、少しだけ言葉を足した。
「見たいものがあるんだよ。」
でも、それがどこにもなかったら…………。そしたら、自分で描くしかないじゃん?
そう言うと、勇太はふと真剣な顔になって僕を見つめた。その視線が少し恥ずかしくて、僕は視線を画面に戻す。
「だから、朦依の描く絵には、他の人にはない世界があるんだな」
その言葉は少し意外だった。
僕の描く世界が、彼の目にどう映っているのか考えたこともなかったから。
少しだけ嬉しさが胸に広がるのを感じながら、僕は照れ隠しに「あんまり大げさに言わないでよ」と小さく笑った。
勇太はまた笑う。
「じゃあ、今度また何か描いてくれよ。」
俺の知らない世界、もっと見てみたいからさ、と穏やかな声で言った。その優しい視線に、僕も小さく頷いた。
◇
僕の問いかけに、勇太は少し驚いたように目を見開いて、それから考えるように天井を見上げた。少しの間、部屋にはテレビの実況と観客の歓声だけが響く。
「野球を通じて、変わったことか…………。」
勇太は小さく息を吐いて、言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。
「中学から野球やってたんだけど、あれがなかったら、多分俺はこんなふうに人と付き合うのが苦手なままだったと思う。」
チームってさ、ひとりじゃできないし、みんなで力を合わせなきゃいけないだろ?
最初はあんまり好きじゃなかったんだけど、いつの間にか自然とみんなと繋がるのが楽しくなってきたんだ。
勇太の言葉には、どこか照れくさそうな響きがあった。彼の穏やかな性格も、その経験から培われたものなのかもしれないと思うと、少し意外な感じがした。
「だから、野球がなかったら俺、もっと違った性格になってたかもな。」
あ、でも、今みたいに洋菓子を作る仕事に就いてるかどうかは謎だけど。
そう言って勇太は笑う。
その笑顔は、どこか温かくて優しくて、まるで今の自分に満足しているかのようだ。
「なんか、いいね。勇太らしい」
僕がそう呟くと、彼は少し恥ずかしそうに鼻を動かして、「お前が言うと説得力あるな」と頷いた。
その仕草があまりに自然で、僕もつい小さく笑った。
◇
僕がふざけた調子で「じゃあ、野球部に入っていなかったら、もっと勇太を独り占めできたかもねー?」と茶化しながら彼の膝に乗ると、勇太が少し驚いたように体を強張らせた。
背を預けるように座ると、彼の逞しい胸が背中越しに伝わってくる。
勇太が息を吸い込む音が、すぐ耳元で聞こえたかと思うと、少し怒ったような、それでいて困惑したような声が返ってきた。
「お、お前、急に何やってんだよ…………。」
こんなふうに座られたら、ちょっと反則だろ。
勇太の声には、少し照れと動揺が混じっていて、いつも穏やかで落ち着いた彼が少し崩れているのが新鮮だ。
僕はそれが面白くて、さらに体重をかけてみる。
「真面目な話をたくさんしてもらったからさ。」
僕が茶化すように言うと、勇太は困ったように小さく笑った。
そのとき、彼の手がふと僕の腰にそっと添えられたのがわかる。
優しくて、だけどどこかぎこちなくて、まるで僕を傷つけないようにするかのようなその手の感触が、妙に安心させてくれた。
「ったく、お前には敵わないな。」
こういう時ばっかり大胆になるんだから。
彼の低く響く声がすぐ後ろから聞こえて、僕は少しだけ体を預ける。彼の胸の鼓動が伝わってくる気がして、なんだかいつもより距離が近く感じた。
「まあ、たまには独り占めさせてくれてもいいんじゃない?」
僕が冗談めかしてそう言うと、勇太は少し真面目な顔で僕を見つめて、小さく頷いた。
◇
「お前、軽いな。飯はちゃんと食べているのか?」
勇太の手が僕の腰を支えながら、少し真剣な顔でそう問いかけてくる。その言葉に僕は少し笑って、あっさりと答えた。
「ちゃんと食べてるよ。」
そう言っても、勇太はまだ少し疑わしそうに僕を見ている。
僕が何でも適当に済ませがちなのを知っているからかもしれないけど、それでもあえて軽く答えた。
「ほんとにか?」
お前、すぐ食事を抜いたりしそうな顔してるんだからな。
「えー、そんなに信用ないの?」
少し拗ねたふりをしてみせると、勇太は苦笑しながら僕の肩をぽんと軽く叩いた。
僕がどれだけちゃんとした食事をしてるか、そんなことまで心配してくれるなんて。
まるで家族みたいだな、なんて考えが浮かんできて、少しだけくすぐったい気持ちになった。
「まあ、今度また飯でも奢ってやるよ。」
しっかり食べさせてやるから覚悟しとけ。
「楽しみにしとく。」
そんな他愛ない会話の中にも、どこか温かいものが流れていて、僕はただ、この時間を満喫していた。
◇
僕は彼の膝の上から降りて隣に座り直すと、つい興味本位で彼の大きな胸に手を伸ばしてしまった。
その逞しい胸を無遠慮に揉むと、想像以上に柔らかくて驚く。
「んあっ!」
その瞬間、勇太が予想外の声を上げて、僕の方を見て真っ赤になった顔で言葉を失っている。
普段の彼からは想像もつかない反応に、なんだかこちらも少し驚いてしまった。
「ごめん、そんな反応するとは思わなくて。」
僕が冗談っぽく笑いながら言うと、勇太は目を逸らす。
「そりゃ、そんなふうに触られたら誰だって驚くだろ…………。」
小さい声で、勇太が呟く。
顔が真っ赤で、動揺が隠しきれていない彼の様子に、僕は悪戯心をくすぐられた。
「でも、前より大きくなったね、胸。」
僕がそう言うと、勇太はさらに恥ずかしそうにしながら「まあ、これでも鍛えてるからな」と小声で返す。
なんだかんだ言っても、彼が照れた顔を見るのは新鮮で、僕はその表情を少しだけ楽しんだ。
◇
くそ、朦依め!
何の気なしに俺の膝から降りたかと思ったら、いきなり胸に手を伸ばしてくるなんて。
俺は驚きのあまり声を上げてしまったじゃないか。だって、俺はこの胸に触れられるのが弱いんだぞ!
触られた瞬間、体がビクッと反応してしまったのがわかる。
朦依が、あの無遠慮な手つきで揉むなんて予想もしてなかったから、思わず妙な声を出してしまった。
まさかこんな風に触られて、ここまで反応するとは思わなかった。
俺は、朦依の無邪気で悪気のない行動に完全に振り回されてる。
「そんな反応するとは思わなくて」って、冗談めかして笑う朦依を見て、俺は一気に顔が熱くなるのがわかった。恥ずかしさと悔しさで、こいつめ、と小さく息を呑んだ。
俺の胸に触れてあれこれ言うのはやめろ!
こんなの、朦依の前だけでしか見せられない情けない姿だぞ…………。
俺は、何とか平静を装おうと視線を逸らしながら小声で「…そりゃ、そんなふうに触られたら誰だって驚くだろ」と返した。
でも、朦依のその顔が頭にこびりついて離れない。
心臓が落ち着かなくて、胸の鼓動が朦依に聞こえてないか心配で仕方ない。
◇
朦依がふざけた調子で「もっと勇太を独り占めできたかもねー?」なんて言うものだから、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
そもそも、独り占めなんて簡単に言ってくれるけど、それがどれだけ俺にとって願望に近い言葉か、あいつはまるでわかっていないんだろう。
朦依が隣で無邪気に笑っているのを見ていると、胸の中に抑えきれない気持ちが少しずつ溢れてきてしまう。
そして、思わず心の声が口から零れ出た。
「俺だって…………。」
自分でも驚くほど自然に出てしまった言葉に、思わず息を呑んで、言いかけた言葉を飲み込もうとした。
だけどもう遅い。朦依が「ん、何?」と、いつものように不思議そうに僕を見つめている。
心臓が大きく脈打つ音が頭の中に響く。息を整えながら、あえて視線を合わせないようにして小さく続けた。
「俺だって、朦依…………、お前を独り占めしたいさ。」
自分でも信じられないほど、正直に気持ちを言ってしまった。その瞬間、朦依の目が大きく見開かれるのが見えたけど、もう俺には止められなかった。
いつもそばにいて、笑って、ふざけて、たまに驚かせてくれる朦依の存在が、どれだけ俺にとって大切か。
そんな想いが、静かにけれど確かに、朦依へと伝わってくれたらいいのにと、心の中で願っていた。
◇
「えへへ、じゃあ、また野球、観ようね!」
朦依が無邪気に笑って言った。その満面の笑顔に、俺は思わず溜息が出そうになる。
さっきの言葉はどうやら、朦依には何の影響も及ぼしていないらしい。
俺の「独り占めしたい」という言葉が、ほんの冗談のように流されてしまったのか、それとも彼には真意がまったく伝わっていないのか。
「はあ…………。」
肩を落としそうになりながら、朦依の気楽な表情を見つめる。
こいつは本当に、俺の気持ちに気づいていないんだなと、改めて実感してしまう。
仕方ない。こういうのも、朦依らしいといえばそうなのかもしれない。
「とりあえず、少しは野球のルールを覚えろよな」と、軽く言い聞かせるように告げる。僕の好きな野球を、少しでも理解してくれたらそれだけでもいいかもしれない。
「はーい」と、素直に返事をする朦依。
俺はそんなあいつの横顔を見ていると、なんだかんだ言ってこうして二人で過ごせるだけでも十分かもしれないと思えてくる。
本当は伝えたいこともあるけれど、今はこの距離を保っていられるのが心地いい。穏やかに流れる時間の中、試合はまだ続いている。