仏教ってなんだろう。留学前に勉強してみた。
外国人から「日本人は仏教徒ですか?」という質問を何度か受けたことがありますが、答えにいつも迷います。「んー、お葬式とかはお経読むけど、べつに教会に通うようにお寺に通ったりもしてないしな…最近の人は無宗教かな?」
アメリカに行く前に日本人としてちゃんと仏教を知ろう。そう思って、ブッダが誰かもよく知らない私が勉強してみました。
仏教とは?他宗教との違いは?
仏教は三大宗教の一つで、非常に古い歴史を持っています。
お釈迦様が人生の悩みを解決してくれるというのが仏教です。
お釈迦様が生きたのは2500年前。そんな時代にインターネットもないし、Youtuberもいないし、そんな古い教えを聞いても意味ないのではないだろうか。
でもいつの時代も人間が抱える悩みの真髄は同じようです。「何のために生きてるんやろう。」「どうやって生きるべきなのかな。」など考えたことはありませんか?
お釈迦様が生きた時代にツイッターはなかったけど、同じ悩みを持っていました。「お釈迦様ならどうする?」が仏教を通してわかり、生き方を教わるということです。
他の宗教との違いは、仏教では神は何人いても良いとされています。異教徒であってもWelcomeな精神です。この頃からダイバーシティな精神が備わっていたんですね!
仏教では人は亡くなると生まれ変わると信じています。キリスト教やイスラム教は人生は一度きりだから思う存分楽しめという教えだそうです。
お釈迦様の誕生日はいつ?
クリスマスの日は言えるけど、お釈迦様が生まれた日を言える人は少ないのではないでしょうか?お釈迦様の誕生日は4月8日です。
余談ですが、芸人の小藪さんは仏教徒で、「バレンタイン、ハロウィン、クリスマスとカタカナのイベントばっかりで、お釈迦様の誕生日を祝わない日本人はおかしい!」と面白おかしくアメトークで話ていました。
このお釈迦様が生まれた誕生日を祝う「花まつり」を広めたいという彼の思いから、クラブイベントを実現していました。実は私も行きましたが、「一切皆苦ー!」って叫んでました 笑
さて、お釈迦様はどうやって生まれたのでしょうか?
お母さんの右脇からオギャーって生まれ、7歩歩いて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と右手を天に、左手を地に指しながら言った。
この有名な誕生エピソードは、嘘みたいな話ですが仏教的意味が込められています。
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)は直訳すると自分が一番偉い、という意味です。でも本当は「この世界の全てのものは唯一であり、我々ひとりひとりが尊い」という意味です。右手は天に向けて指したのは「自分自身が高みに至る存在だ」と表し、左手を地に指したのは「迷えるすべての人々」を表したことから、このように解釈されます。
7歩はどういう意味なのか。
仏教では輪廻転生と言って、人は亡くなったら生まれ変わると信じています。生まれ変わりには人間だったり、動物だったり6つの世界のどれかとされています。この6つの世界のどれに生まれ変わっても悩みがある世界です。
7歩目は、この苦しい6つの道を超えて輪廻の輪から抜け出して、7つ目の世界に行く、心の安らぎを手に入れるという意味です。
生まれてすぐに「人はみんな尊い。輪廻の輪から抜け出す。」と言ったお釈迦様の話から、お釈迦様の尊さが伝わってきます。
仏様と仏陀(ブッダ)とお釈迦様って誰?
同じ人を指すことが多いです。1人の人が色々な呼ばれ方をしているだけです。
仏教を作ったとされる人はシャーキヤ国という小さな国の王子として生まれ、ゴータマ・シッダールタと名付けられました。シャーキヤに「釈迦」という漢字を当ててお釈迦様と呼ばれています。正式には釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)という釈迦族出身の聖者を指し、略して釈迦または釈尊(しゃくそん)と呼ばれます。
この人が修行をして悟りを開きますが、悟りを開いた後はブッダと呼ばれるようになります。ブッダは古代インドの言葉で、のちに漢字が当てられて仏陀になり、これを略して仏様と呼ぶこともあるのですね。
つまり、ゴータマ・シッダールタ=お釈迦様=仏陀(ブッダ)=仏様
お釈迦様とよく言いますが、この釈迦は地名なので、「東京様」とか「大阪様」と呼んでいるのと同じだそうです。(By ゆる仏教)
王子だったお釈迦様はなんで過酷な修行をしたの?
小国の王子として生まれたお釈迦様は、初めてお城の外に出た時に、病人、老人、死人を見ました。「自分もいつかああなる」と思ったらショックを受けたようです。
私たちも年を取るごとに悩んだりしませんか?お釈迦様も同じことを感じたのです。
なぜ人は苦しむのか、この苦しみから抜け出すことができないのか、お釈迦様は悩みました。答えを見つけるためにお釈迦様は出家し修行に出ました。
6年の厳しい修行と瞑想によって35歳の時、お釈迦様は全ての悩みや苦しみから解放された、つまり悟られたのです。
仏教の教え
諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸法無我(しょほうむが)
一切皆苦(いっさいかいく)
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
この4つが仏教の象徴的な教えです。
諸行無常(しょぎょうむじょう)とは、毎日、すべてのものは移り変わるという教えです。同じ状態のままずっと変わらず居続けることはできない。誰にでも寿命はあるし、老いもある。明日死ぬかもしれない、という話。
諸法無我(しょほうむが)とは全てのものは変化するから、自分という実態は存在しないという教え。他人と自分を比べて、お金持ちだと思ったりするが、いつその財産は無くなるか分からない。自分の財産も自分のもののように思うが、実はそうではない。全てがお互いに影響しあって存在しているということ。
諸行無常と諸法無我を合わせて人生はそもそも思い通りになんてならないのだ。思い通りにしようとするから、期待と違った時に悩むんだと説いています。
一切皆苦(いっさいかいく)とはこの世の全ては苦であるという教え。この苦しみの原因は人間が持つ煩悩(ぼんのう)のせいだとする。煩悩とは「もっと欲しい!」みたいな欲望や執着、妬みなどのこと。煩悩がある限り人生は苦しみに満ちているのです。
この煩悩をコントロールして、煩悩がなくなった状態を涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と言います。
仏教の基本の教え
ものごとは日々移り変わるのだから、思い通りにならないことはあるものです。欲を持ちすぎるから苦しむのです。煩悩を消して、悟りを開きなさい。
お経とは何ですか?
仏教ではキリスト教の聖書のように「これ一冊読めばOK」みたいなまとまった本がありません。お経はいくつもありますがどうやってできたのでしょうか。
お釈迦様は相手に必要な教えを必要な時に伝えました。人はそれぞれ置かれてきた環境も、能力も違います。その人に合わせた教えを説くことを対機説法(たいきせっぽう)といいます。
仏教はよく医療に例えられるそうです。患者は私たちのように悩む人、お医者さんはお釈迦様、お釈迦様が処方してくれるお薬が仏の教え。
頭痛を持った患者さんには頭痛の薬を処方し、腹痛を持った患者さんにはお腹の薬を処方します。体調が悪いなら全員この薬を飲め!とは言わないのです。
お釈迦様は自分の教えを文字にして残しませんでした。弟子たちが教わった内容は対機説法のおかげで、みんなバラバラです。そこでお釈迦様がなくなったあとに弟子たちが集まって、みんなでお釈迦様から習った内容をまとめたのがお経となっています。
宗派とは何ですか?
お経は膨大な量があります。お釈迦様がいた頃は、自分にあった最適の教えをお釈迦様が教えてくれました。でもお釈迦様が亡き今は、その膨大なお経からどれが自分にあっているのか自分で選ばなければなりません。
そこで、どのお経(考え方)を中心とするかの違いで宗派ができました。ただ、どの宗派であっても仏に成ることを最終ゴールにしていて、そこにたどり着くやり方が違うだけということです。
仏教とリーダーシップ
MBAやデザインスクールに行く私たちにとってはリーダーシップは大切です。実はこのリーダーシップを高めるために仏教は最適ではないのか!と個人的に思いました。
仏教の魅力は、自分が何者で、どう生きたいのか、己を知ることができること。
リーダーシップではまず自己理解がとても大切だと思います。自分のことを理解しているので、怒り散らすこともなくなったり、気持ちをコントロールできるでしょう。(参考:EQリーダーシップ)
相手のことを理解し、相手にあった教えを説く。みんな何宗教でもOK。人には人の人生がある。相手を尊重するお釈迦様。仏教を学んで、お釈迦様みたいに頭が輝いているそんなリーダーは理想のリーダーではないでしょうか。
私は仏教徒なのか?
日本では「仏教徒です。」と宗教のワードが出てくると「なんかヤバそう」というイメージが強い気がしています。
仏教は何かを強く強制することもなく、修行をしないといけないわけでもないようです。必ずしも仏教徒と名乗ることすらしなくていい。「いい生き方をすればいい」のです。それぐらい仏教は懐が深いことが分かりました。
日本では神道といって、自然崇拝やご先祖様を崇拝したりもします。そういうのも全部含めて仏教は受け入れてくれます。
あとは自分自身が仏教徒だと思うかどうか。仏教について少し知ってみて、時々考え方を教わって見たい。教わった内容が好きであれば仏教徒ですって言っていいんだと思います。
参考図書
仏教は難しそう。抵抗感がある方にもカラーで、イラストも多く、仏教用語も細かく解説されているので分かりやすかったです。
私たちが知りたい仏教のモヤモヤを解決してくれる本です。日本史の流れと共に説明されていて、仏教と日本についても学ぶことができました。
私は日本史が苦手ですが、仏教と一緒に日本史も勉強できた感じで一石二鳥でした。
ご一読、誠にありがとうございました。