7月10日の祈祷会の内容です。
祈祷会 士師記6:1~18「ギデオン、最も弱い者を用いる神」 2024.7.10
士師ギデオンは6章から8章まであります。士師記の中で最も長い内容になります。イスラエルの人々はまたもや主の目に悪をされることを行いました。主はイスラエルの人々を7年間、ミディアン人の手に渡されます。ミディアン人の手がイスラエルの人々に脅威になっていきます。イスラエルの人々はミディアン人を避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用しました。イスラエルの人々が種を蒔きますと、ミディアン人はこの地方の産物を荒らし、命の糧となる家畜と共に羊も牛もろばも何ものも残しませんでした。イスラエルの人々はミディアン人のために甚だ苦しめられたので」、主に助けを求めて叫ぶのです。
イスラエルの人々はミディアン人のことで主に助けを求める叫ぶと、主は1人の預言者を遣わしました。預言者は「主はこのようにいわれる。私はエジプトの地から導き上り、奴隷の家から導き出してくださいました。主はあなたたちをエジプトの手からだけでなく、あらゆる抑圧者の手から救い出し、あなたたちの行く前に、彼らを追い払って、その地をあなたたちに与えました。わたしはあなたたちの主であり、あなたたちはアモリ人の国に住んでいても、アモリ人の神を畏れ敬ってはならないとした。だが、あなたたちはアモリ人の神を畏れ敬ってはならないと告げていた。しかし、あなたたちは、わたしの声に聞き従わなかったと強調しています。
主のみ使いは新しい士師としてギデオンを選ぶことになります。ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるために、酒舟の中で小麦を打っていました。主のみ使いはギデオンに現れていいました。「勇者よ、主はあなたたちと共におられます」と。ギデオンはここで、イスラエルの人々の苦しむことの意味を主に問うています。その言葉は、非常に重い言葉でした。「わたしの主よ、お願いします。このように主なる神がわたしたちと共においでになるようでしたら、なぜこのようなことが、わたしたちにふりかかったのですか。先祖は、主は我々をエジプトから導き上られたではないかといって語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放しミディアン人の手に渡されてしまいました。主はギデオンの方を向いて「あなたとその手をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのだから」と答えます。
主の言葉にギデオンは躊躇します。ギデオンは主に「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱な者です。それに、わたしは家族の中でいちばん年下の者です。」と答えています。主はギデオンに「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも1人の人を倒すように打ち倒すことができる」と強くいうのです。このように主の力強い言葉がありましたが、ギデオンは躊躇します。ギデオンは主に「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。どうか、わたしが戻って来るまで、ここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから」といいます。主はギデオンに「あなたが帰って来るまでここにいる」といわれました。
新しく士師として選ばれたギデオンですが、その士師として選ばれた理由が書かれてあります。それは、「わたしの一族はマナセの中で最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」とある通りです。神の選びといいますか、神の視点があります。振り返れば、旧約聖書において、神がイスラエルの人々を選んだ理由も同じであることが分かります。
申命記7:6~8
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。
ここで、神がイスラエルを神の宝の民とされた理由は、「あなたたちは他の他の民よりも貧弱だった」からです。神は人の目から見れば、最も貧弱な者を、神の民として選ばれるということです。神が、私たちに人間に対して、どのように働いてくださるのかを知る大きな手掛かりになります。人間の視点ではなく、聖書を通して、神の視点とは何かを知ることが大切です。新約聖書でも、同じようなことが書かれてあります。
1コリント1:26~29
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
ここでは、使徒パウロがコリンの教会の人々へ、どのようにして教会に導かれたのか、その理由を書いているものです。神は、コリントの教会の人々は、世の無に等しい人々、身分の卑しい者や見下げられている者が選ばれたこと、それは、だれ1人、神の前で自分を誇ることがないようにするためでした。私たちも教会に導かれたことを振り返ると、同じような内容であることに気づくのです。神の導きに感謝しましょう。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ギデオンが士師として選ばれた時に理由について考えて来ました。そのことは私たちが教会に導かれたことと同じであることが分かりました。神の導きに深く感謝したいと思います。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)