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armchair philosophy

梁石日は昔、タクシードライバーだった。来る日も来る日もハンドルを握ってシートに座り、車窓から景色とそこに歩く人を眺める。時折、呼び止められた客を車に乗せ、目的地まで車を走らせる。むすっと黙ったまま窓の外を眺める客もいれば、話しかけてくる客もいる。そうやって見知らぬ人と言葉を交わす。一期一会。次に同じ人を乗せることなんて滅多にない。だからなのか客の口は時に軽く、嘘とも本当とも判別をつけることの出来ない物語を、タクシードライバーに向かって語り始める。

王様の耳はロバの耳。

誰もが誰かに聞いて欲しいことはあるし、誰にも話してはいけないと口止めされることもある。そんなときに二度と言葉を交わすことのない匿名の存在であるタクシードライバーと出会い、誰にも話を聞かれることない密室空間を共有すれば、人の口は雲のようにふわふわと軽くなる。

「昔さ、オレの恋のライバルはK-1選手だったんだよね。」

「一度だけダーツを教えてあげたIT長者に別の店で偶然再会して、メチャクチャ高い酒をおごって貰ったんだよ。」

「クソエロい女社長に惚れられて、ヒモになってベンツを転がしてたこともあったな。」

これは僕のウソのようなホントの話。でもこんな話をしても誰も信じてくれない。だけど一度しか会わないタクシードライバーはこんなヨタ話にも耳を傾けてくれる。

「お客さんモテそうですもんね」

そんな承認欲求を満たしてくれる相槌まで打ってくれるのが都会のタクシードライバー。目線は合わさず、でも耳は後ろへ傾けながら、目的地へ車を走らし、客を降ろす。そして再び独りに戻り、街を流し次の客を探し始める。客と客の間は孤独の時間。その時間、タクシードライバーはどんなことを考えているのだろう。
景色と共に流れる夢想に身を委ね、現実世界に戻って客を乗せる。そうした終わりのない無限ループを繰り返しながら、虚実ない交ぜの大量の物語がタクシードライバーの心の樽詰され、鬱屈という名のスモークチップにブレンドされ、じわじわと熟成されていく。そして出来上がった芳醇でアルコール度数が高い妄想に酔いしれ、ロバート・デ・ニーロのように爆発してしまうのだろうか。それとも大量に吐き出された虚構の中に見出だした、一粒の哲学を積み上げていき、梁石日のように人の心を震わせる物語を綴るのだろうか。

20世紀のarmchairは地上を走る車の運転席だった。

21世紀のarmchairは空飛ぶ乗り物の座席になるのだろうか。

それとも星から星へ人を運ぶロケットの操縦席になるのだろうか。

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