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白昼夢~未踏の地
体感したことの無い世界への夢想は様々な記憶の断片の継ぎ接ぎによって新たな世界を創り出す。
旅の目的地に降り立つ。一人の女性が待っていた。微笑みを浮かべて近寄り握手と挨拶を交わす。40代半ば。整った顔立ちは都会的だが、化粧で隠していない目尻の皺が馴染んでいて田舎暮らしで取り戻した心の柔らかさを感じる。
穏やかな陽光に照らされた雛びたバスの待合所から少し歩くと穏やかな流れの河が現れた。対岸が少し霞んで見える。河幅は百メートル以上はあるのだろうか。透明度が高く、岸辺から覗き込むと1メートル下の底までくっきりと見えた。
「愛媛に来たのだな」
愛媛を象徴するものは何一つないのに、不思議と得心した。
向こう岸まで橋を渡って歩くという。
橋は数本の角材を継ぎ接ぎにした人が一人歩ける、僅か60cmの幅しかない。
その長さの細い橋を対岸まで架けているのだから当然、橋はたわむ。
恐る恐る踏み出すと橋は揺れバランスを取るのに一苦労。一歩ごとに緊張を伴う。慣れた彼女は振り返って
「そろそろ橋が河に浸かってしまうから荷物を頭の上にあげて」
たわんだ橋は河面に着き、やがて水中に埋没し始めた。いくら流れが緩やかだからといっても、足をとられそうになる。次第に水面は競り上がってきて、腰の上まで浸かってしまう。
「生活するのになんと難儀なことだろう」
独り言ちながら頭に持ってきた荷物を乗せて歩いていると、川の流れに足を取られて荷物をじゃぶんと水に浸してしまった。
ずぶ濡れになりながらなんとか向こう岸にたどり着く。
「今日はうちでのんびり過ごして。明日、街に買い物に出掛けましょう」
長旅で疲れていたのだろう。寝床に就くなり気が付くと朝日が昇っていた。起き上がって彼女の作ってくれた軽めの朝食を二人向き合って黙々と食べる。日が高くなった頃、彼女に先導され街に出掛けた。
どの街にも似ていてどことも違う不思議な街。
灰色に変色した2階建ての建物。
自由が丘デパートのようでもソウル東大門の古いビルのようでもあるし、ホーチミンの市場のようでもある。
そこでは不思議なものが売られていた。
「下呂温泉」
と描かれた提灯だったり、あらゆる観光名所の名前が描かれた土産物屋。
「ここはオーダーすればなんでも作ってくれるの」
男が土産物屋の隣の店に入る。そこでら数珠や石を売っていた。男は店主に話しかけると店主が奥へとひっこみ、彼がオーダーしたのであろうか、深みのある赤茶けた石の数珠ブレスを取り出してきた。良く見てみると黒い斑が波のように浮き立ってえもいわれぬ風合いだった。受け取った男はおもむろに手首につけて店を出ていった。
彼女と連れ添い、買い物をして市場を出る。帰りは川を下って帰ることになった。
川といっても昨日のように河幅が広い本流ではなく、川幅10m程度の支流で横から木の枝が覆い被さってきて、まるで緑のトンネルの中のよう。
枝と枝の間から差し込む日差しがとても柔らかくてキラキラしていた。
川の岸辺にあったのは木と竹で作られた電動キックボードのような乗り物。水に浮かび、後部にあるモーターを回すと滑らかに水面を進む。
最初はおっかなびっくりでよちよち運転だったが、バランスがとても良いのだろう、細長いのに全く転覆する感覚がない。
少しづつ慣れてきてスピードをあげる。
透明で美しい川面を滑るように進む。緑のトンネルが過ぎ去っていく光景はとても美しかった。
反対側から12、3歳ぐらいの子供が同じような乗り物で川を遡ってくる。向こうの速度は流れと反対だからひどく緩慢だ。
すこし遊び心がでてきて、水上キックボードを前輪を軸にして一回転させ、水しぶきをたてた。
すれ違った子供はとても嬉しそうな笑顔を僕に返してきた。
後ろを振り向くと彼女も大きな口を開けて笑っていた。
トンネルがこのまま永遠に続けばいいのに。
と思った瞬間、突然、世界から放り出された。
目を開け、自宅の寝室だと気付くが、もう一度目をつぶり、元の世界に帰ろうとして緑のトンネルを想い描くが形にならないまま時が過ぎ去る。
またあの世界に戻れる日がくるのだろうか。
何故、あの街を愛媛だと思ったのだろう。訪れたことのない土地だからだろうか。今まで訪れた記憶の断片を繋ぎ合わせたあの街は、本当にあるのだろうか。
夢に時間軸があるとすればあれば、これはきっと未来の記憶。