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エンターテイナーとして生きる

7月9日の黒ポン

今日は私の座右の銘、そして私の名前に込められた意味に触れて書く。
(早くこの内容を書きたいとうずうずしていたw)


これが私の座右の銘だ。

小学校のとき、憧れていた担任の先生の言葉である。

その先生は「やるときはやる。遊ぶ時は思いっきり遊ぶ。」とけじめ・メリハリをつけることを大事にしていて授業中も休み時間に話すときもとても楽しい人だった。授業でしょっちゅう雑談として学生時代に馬鹿をやった話をしては、卒業した高校を「めちゃくちゃいいところ」と推していた。

そんな先生にとても憧れて、私もこの人のように面白い人なりたいと思うようになっていた。(それがきっかけで先生と同じ高校にも入った)

その先生の言葉の中で一番印象に残っているのが、「恥ずかしさの向こう側」。

「面白そうだけど誰もやってないし遠慮しちゃう…」
「1人でやって、もし笑われたらどうしよう…」

そんな恥じらいを捨てて、飛び込んで馬鹿をやればめちゃくちゃ楽しい世界が待ってる!!それを教えてくれた言葉だった。

何かをやろうとするとき、初めてのことに挑戦するとき、失敗したらどうしようとつい怖くなってしまう。周りの目を気にしてしまう。

でも、そうやっていつも踏みとどまっているのはもったいない。

自分のために、周りの目に左右されずに、挑戦してあげること。

また、何かに挑戦しようとしている人を笑ってはいけない、「恥ずかしい」と思わせて追いやらないことも大事だとこの言葉からは思う。

生粋の関西人であるからか、自然と場が面白くなることを考えてしまう。
楽しい笑いのためならなんでもする。そう行っても過言ではない。

「面白さ」とは何か、どうすれば「笑い」を取れるか。

場を読み、他人との共感覚を探ること。

そうしないと本当の笑いは引き出せない。内輪ノリだけでは面白くない。
誰か特定の人をいじって嫌な思いをさせるのも違う。

身近にもたくさんあり、テレビのバラエティなんかでも見られるこの方法。
だれかいじられる側の人がいて、その人をいじり倒すことで他の人たちも笑う。

「こいつはいじられていい、それが役割。」

そんな奇妙な暗黙の了解が潜んでいる。
本人も自虐として喜んでいじられてる場合は許せるが、本人が嫌がってる場合、仕方なく我慢してる場合は許せない。
てんで面白くない。

私の名前、【晴香】には「晴れの日のように自分自身も周りの人たちも明るく照らしてほしい」という意味が込められている。

私は自分の名前が大好きで、名前の意味に恥じないような、誇りを持てるような生き方をしたいと思っている。太陽をシンボルに。

大学に入ってから精神的に辛くなり、「まったく自分らしくない、意にそぐわない」と自分を嫌いになったこともあった。それでも時間はかかるけれども再び私らしくあれると実感し、「陽はまた昇る」を新しい解釈として加えてみた。

「落ちることもあれば昇ることもある。そしてまた周囲を照らす。」

そんな存在として、そして自分が楽しみ周りを楽しませる生き方がしたい。

エンターテイナーに私はなりたい。

今日の黒ポンは4つでした。

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松山晴香
【魅力発掘家】として、様々な"魅力"を発掘中です。 コトバにすることで発掘したものに磨きをかけ、記事を通してより広く届けることでさらなる魅力へとつながってほしいなと思っています。