白樺とエヴァンジール #パルプアドベントカレンダー2021
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夜までまだ、少し時間がありますね。……傍にいてくださるの?嬉しい。
なら今だけ、少しだけ……わたくしの話を聞いていただけますか?
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あれは、忘れ雪がどこか寂しく感じる日の朝でした。
わたくしは棒のように凍りついた脚を白く冷たい布団に沈め、ただただ春が訪れるのをじっと待っていました。食べるものなんてもちろんありませんでしたとも。でも空腹なんていう感覚は遠い彼方へ追いやってしまいました。
小鳥たちのお喋りを聞きながら、目覚めたばかりの頭をまた微睡みにひたし、できる限り命を燃やさないように燃やさないようにと、ただそれだけを考えておりました。
体を壊し、仲間に見捨てられ、冬の山に置いていかれたわたくしは最早死を待つだけでした。それが自然の理ならば成るようになるでしょうと、そう思っておりました。
ですが、あの日は違いました。針葉樹の隙間から射し込む光と共に、堅雪を踏み締める聞き慣れない足音が、わたくしの心を揺らしたのです。
ああ貴方、そんな顔をなさらないで。覚えていなくても仕方ありません。貴方はまだ、とてもとても幼かった。
小さな少年──そう、貴方ですよ──は、雄々しい二頭のトナカイを曳きながら、トウヒの球果の下を潜り、わたくしの目の前に現れました。
地に座り込んだわたくしを見てとっさにその小さな手に握られた手綱を離し、駆け寄ってきました。何かを必死に話しかけていましたが、わたくしにはどうしてもその意味を聞き取ることができなかった。なぜなら冷え切ったわたくしの体はもう限界で、意識は霞がかっておりました。
貴方は連れていた二頭のトナカイのうち、一頭をわたくしの側に置き体を温めさせ、自分はもう一頭に乗って来た道を引き返して行きましたね。幼いながらに賢い少年だと思いましたとも。
しばらくしてからわたくしのところへ戻ってきた貴方は、曳き連れてきた数頭のトナカイと共に木で造られたソリにわたくしを乗せ、深い森を抜けて行きました。
狭い木々の間を縫うように進むトナカイたちに、わたくしと貴方を乗せたソリ。
己の脚で駆けるのとは違う滑らかな疾走でした。生まれて初めての感覚を今でも良く覚えております。こんな貴重な経験ができるなんて、わたくしはとても幸運なのでしょうね。
ソリを引く五頭のトナカイたちを言葉巧みに操り、彼らの視線の先と同じ方向を真っ直ぐに見据える貴方の目を見ていると、春陽に包まれたかのようにほかほかと体が温まっていきました。
ありがとうございます。わたくしは、貴方に命を救われたのです。
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わたくしが己の脚で再び地面を踏めるようになったのは、青葉が目立ち出した初夏の頃でした。
一度力を失った脚を奮い立たせるのには幾ばくかの時間を要しましたが、貴方はこんなわたくしの世話を甲斐甲斐しく焼いてくださいましたね。温かい寝床と十分な食事だけでなく、時には日がな一日わたくしの寝所で過ごすことも……ええ、陽の当たる部屋を用意してくださったのは貴方ではないですか。「ここで昼寝をすると気持ちが良いから」と……今思えば、これは貴方がここで眠るための口実だったのですか?──違う、ということにしておきましょう。
わたくしと貴方と、寄り添って眠るにはちょうど良い広さでした。隙間風が気にならないと言えば嘘になりますが、陽が入れば何も問題はありません。芳ばしい藁の匂いをいっぱいに吸い込めば、あっという間に貴方は夢の中です。いつもわたくしより先に眠ってしまって。……いいのです、わたくしは貴方の幸せそうな寝顔を見ることが楽しみのひとつでしたもの。
森で暮らしていた頃は寒さと飢えと命の危険に常に気を張りながら生きる日々。何に心を煩わされることなくぐっすり眠れるということがこんなにも心と体を満たしていくものなのだと、生まれてこのかたわたくしは知りませんでした。
夏から、秋へと。シラカバが色付き辺り一面が橙色の絨毯で敷き詰められていくと、やがてまた厳しい冬がやってくるのだと悟ります。
でもわたくしにはもう何も不安なことなんてありませんでした。
まだ十全の状態ではなかったわたくしを草原に連れ出して、覚束ない脚取りで一歩一歩と進むのを隣で見ていてくださったこと。
身寄りがいなくなってしまったわたくしが寂しくないようにと、あのトナカイたちを一頭一頭紹介してくれたこと。
いつも話しかけてくださった貴方の言葉を理解することはどうしてもできませんでしたが、貴方が何を考えているのかだけはなんとなく感じることができました。
耳から心を温める貴方の声はとても心地良くて、わたくしは柔らかい頬にそっと額を擦り寄せて、いつも感謝をしていたのですよ。今も、そう。こうすれば貴方は笑ってくださるでしょう?
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今まで生きてきた中で星空が一番美しいと感じた冬の日。
あの時踏み出したわたくしの蹄が、冷たい夜の空気を押し込めて、一段、また一段と高く上っていく時の高揚感は、何にも代えられない思いでした。
貴方がわたくしにかけてくださった声は、まるで魔法のようでした。不思議と力が湧いてきて脚が軽くなるのです。
今ならとてもはやい速度で、どこまででも駆けて行けるようでした。『皆』同じように昂っておりました。真冬の夜の寒さなど忘れて、感情のままに体を動かしたくて仕方がないようでした。
そう、わたくしはずっと貴方に恩返しがしたかったのです。
命を救っていただいたお礼ができる日がやっと来たのです。
雪混じりの冷たい夜風がどれだけ強く吹き荒んでも、ぴったりと寄り添いあったわたくしたちの体は少しも冷えることがありません。
雲ひとつない夜空を、息を切らすことなくただひたすらに駆け巡りました。わたくしたちの蹄が軽やかな鈴の音のように夜を叩けば、どれだけ煌々と明かりが照らす都市でも一瞬で眠りに落ちていきます。
そして、全てが静まり返ったミッドナイト・ブルーにまるで飾り付けをするかの如く、貴方は幸福を粉砂糖のように散らしていくのです。
後ろから聞こえてくる貴方の声は、あの冬の朝わたくしが貴方の隣で聞いていたものと全く同じもののはずですのに、この時の方が余程鮮やかに響いていきました。
──ああ、わたくしが居るべき場所は『此処』なのだ、と。はっきり理解することができました。
皆と肩を並べて、『この素晴らしい日の夜に』、貴方のお役に立てることが、わたくしたちにとってどれだけ誇らしいことなのか。
今こうしてその任を降りてもずっとその歓びを忘れることはございませんし、後任のものたちに伝え続けていかねばならないことだと思っております。貴方がわたくしに与えてくださった『魔法』の意味するように、これがわたくしが貴方にできる恩返しなのだと。
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どうして、泣いているのですか?まだ今年のお役目ははじまってすらいませんよ。貴方がそんな顔だと、皆が不安になってしまいます。
良いのです。わたくしは貴方より長く生きていますから、貴方より先にこの命が燃え尽きるのは天命なのです。いずれ、皆にその順番が回ってきます。遅かれ早かれ、誰にでも。わたくしは──長く生きた方でしょう。あの時貴方に見つけてもらえなければ消えていた命です。
あれから季節が幾度も巡って、冬が来るたびにわたくしはまた夜空を駆けて──冬が来るのが待ち遠しくなって。こんな気持ち、以前なら考えもしませんでした。
いつの間にか、貴方と、皆と、巡る季節を楽しみながら毎日を過ごすことがかけがえのない幸せになっていたのです。
貴方は少しずつ大きくなって、わたくしはそんな貴方の成長を見守れることが限りなく嬉しかった──
──ああ、泣かないで。わたくしは貴方の笑顔が好きなのです。貴方の声が好き、貴方の眼差しが好きなのです。好き、好き……どうして、この想いだけはどうしても伝えたいのに、わたくしは貴方と同じ言葉を話すことができません。
お願い……貴方、もし……わたくしの願いが通じるのなら……人々に分け与えた幸福の粉砂糖をわたくしにも少しだけ……分けて、くださいませんか。
わたくしは──自分、の……声で……貴方に、伝えたいのです。たった二言で、良いのです。
『ありがとう』、と……そして──。
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青年は涙を拭って、両の拳を堅く握り締めた。
まだ温かな彼女の鼻先にそっとキスをして、美しい紋様の馬着を羽織らせ、立ち上がる。
厩舎を出ると、夕月夜に澄んだ夜風がそっと体を撫でていった。
鼻息荒く出番を今か今かと待っているトナカイたち。隊列を組んだ彼らの先頭に、赤いオーナメントが光を放っている。
「みんな、今日は『彼女』の初舞台だ。しっかり支えてあげてくれ」
青年はかつて「彼女」が立っていたその場所に新しく配属された若いトナカイの雌に声をかける。
「いいかい。臆さなくて大丈夫だ。君には『みんな』がついている。そして『彼女』も。今夜は素敵な夜になるよ」
「『君の名前は【キューピッド】。さあ、愛を届けに行こう』」
力強く滑り出したソリは、ゆっくりと月に向かって高度を上げていく。
多くのものの願いと想いを繋ぐために、九頭のトナカイたちは聖夜を駆けていく。
Evangile:福音
白樺の花言葉:いつまでもあなたをお待ちします、忍耐強さ、光と豊富、柔和
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【トナカイがサンタに恋したっていいじゃない】
弾丸は危険物ですのでぶちかましはしませんが、そっと置いていく程度に。
去年は夢見がちなお話だったけど、今年は夢見てる女の子のお話でした。 クリスマスにはDREAMがつきもの。この企画も三度目まして、ニイノミと申します。
今年も参加させていただきました。23分の1の確率でまさかトップバッター(※初日固定の主催を除く)を引き当ててしまう幸運、年末に発揮してしまいましたね。これは年始のソシャゲガチャが期待出来ません。
今年はほんわかパル……これってパルプか?……片想いパルプをお送りしましたが、この企画はこれから本腰を上げて濃い銃弾をぶっ放していく猛者が後ろにたくさん控えておりますので、食前酒のような感じでお読みいただければと思います。
サンタクロースのエピソードといえばトナカイが欠かせないですが、諸説によるとサンタのソリをひくトナカイは全頭メスらしいのですね。冬の時期に立派なツノを携えるのはメスの方なんだそう。
そして彼女たちには一頭ずつ名前が与えられており、それぞれ意味も異なるんだそう。今回はこれらのエピソードを参考にしてみました。
「教えを伝えるもの・伝道者」という意味として「Evangile(エヴァンジール)」という単語を選択しましたが、響きが素敵で大好きです。
明日の3日はbapuruさんの「ロストコントロール」です。
来年も参加したいです。メリークリスマス。良い夢を。
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