比較!ゲームの遊びすぎ対策啓発TV番組(後半戦)
ビデオゲームの遊びすぎ対策のノウハウを扱ったNHKのTV番組『さぬきドキッ!』(NHK総合高松限定、2020年7月3日放映)『オトナの保護者会』(NHK eテレ、2021年1月30日放映)の内容を比較する。一方はアルコール依存症当事者へのケアプランに準拠した、これまで有効とされていた対策の説明、一方は、当事者であるこどもの問題に現場で当たっている児童精神科医の提案する対策の説明を扱っている。番組の放映から時間が経過したが、内容が対照的なので本稿で取り上げることにした。
お子様がいらっしゃる親としてのあなたは、あるいは、学校で子どもを預かり、正しいICTサービスとのつきあい方を業務として伝えないといけない教職者としてのあなたは、どちらの方針が腑に落ちて、かつ、採用したいと思うだろうか。それを想像しつつ本稿をお読みいただければ幸いだ。
注意:本稿におけるTV番組や出演者の思想への評価は、個人的なものです。
番組&識者紹介
さあ、後半戦開始を告げるホイッスルが鳴ったー!!
後半戦最初の見どころは「リアル世界との接点の持たせ方」
ある依存症の回復のためには別の依存先を見つけること、また、ビデオゲームは、その“乗り換え先の”対象としてまだ安全な部類*1 である、とされているように、医学的知見からでも、ひとがゲーム行動症になった場合、ビデオゲームは二番目以降にするのではなく、相互に乗り換えできるように扱うことが望ましいとされている。それを把握したうえで、2つのTV番組を比べよう。
ハイライト:リアル世界との接点の持たせ方 -『オトナの保護者会』
『オトナの保護者会』では、家族がそれを実践して、ゲーム行動症(疑い)から回復した子ども(以下、当事者)の事例を紹介している。親が「ビデオゲームを当事者の自我を維持させる最終橋頭保にする保証を行う」ことが、そのカギだった。そこからの経緯は、下のスライドを参照されたい。
関氏は「リアル世界での拠点を良い方向で拡張させていくためには、“どこに行くか”ではなく“誰に会うか”が重要。そして、その“誰”の最初は“家族”であるべきだ」と言及している。
録画映像で登場した当事者は、家庭というリアル世界における最初の拠点から、徐々に「居場所」を拡張していった。当事者は、母の仕事を手伝う上でICT関連スキルを認められたことから、家族関係の再構築にリソースを振り、リアル世界との接点を構築できうる余力が生まれた。その工程でも、ビデオゲームは切り離されていない。
当事者にとってのビデオゲームは、イエメンやシリアなど紛争の激しい国に住む人における、たった1か所の難民キャンプに近い存在だ。紛争が収まるなど状況がよくなれば難民がそこから引き払うように、ゲーム行動症になっている人も、ビデオゲーム以外のリアルの空間で自分の存在が好意的に認められれば、ビデオゲームという拠点を引き払い、リアル空間で確保された安全な場所に移動するのは、心の動きとしては自然だろう。
ハイライト:リアル世界との接点の持たせ方 -『さぬきドキッ!』
『さぬきドキッ!』もこの領域については触れているが、番組の例において非常に重要な対策*2 には一切言及していない。それが何かは、以下のスライドを参照されたい。
そこが欠落していることと、番組の編成方針「親目線から、どうやって当事者に対するビデオゲームの影響を抑え込むか」が色濃く出ていることから、結果として、ビデオゲームへの恐怖感を煽る以外の効果が消滅している印象を受けた。
ゆえに、実践的なアプローチを行う上で有益な知見をどちらが提供しているかなど、書くまでもないだろう。
『オトナの保護者会』、相手の守備陣のスキを突きシュートを決めた!
最後の見どころは「家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針」
ハイライト:家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針について-『オトナの保護者会』
これについては、下のスライドを見ながら読むとわかりやすいだろう。
『オトナの保護者会』は、番組の締めとしてこれを挙げている。ここで、関氏は大胆な提案をした。それは、以下の内容だ。
「関氏は気が触れたのか?」と思うが、実は、これは正常、かつ、正確な判断だ。なぜそう言えるのか。その理由は、メディア学の観点から見たビデオゲームの進化の形態に由来する。
メディア学の観点から見れば、ビデオゲームは、数あるメディアの中で唯一「双方向性(インタラクティブ性)」を有する。これは揺るがない事実だ。それゆえに、ビデオゲームというメディアコンテンツは、誕生して以降、この“特性”を作品の質の向上につなげるため、独自の進化を遂げている。実際、ビデオゲームは、技術的な発展系列の観点で捉えても、映画や小説も備える没入性の高さを継承し、かつ、その要素を現時点での表現技術の中で最大限に高めた存在だ。その進化によって、ビデオゲームは、メディアコンテンツの中で唯一、「ひとが不要と思っても手に取って続けてもらえる」ほどの強力な魅力を自ら発するものになりつつある。
端的に言えば、ビデオゲームの没入性の高さは、小説や映画のそれの究極進化版だ。小説を読むことや映画鑑賞が楽しいと感じる方は、子どもがビデオゲームの面白さに抗うことなど「不可能」であることは簡単にわかると思う。
ゆえに、「ビデオゲームの没入性の高さは認めたうえでルールを作ろう」が、『オトナの保護者会』が提案する家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針の基軸の1つになっている、といえる。
前述のとおり、没入性を極限まで高めるよう作られたコンテンツが繰り出す様々な仕掛けに、子どもはまず勝てない。だからこそ、そのコンテンツのユーザーたる子どもと十分に話し合って家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針を決めることが肝要、と関氏は番組を締めている。子どもの性格や志向、子どもの置かれた環境は、文字通り子どもの数だけあるので、我が子のそれを一番知っているであろう親が、きちんと子どもと向き合いじっくり話し合ったうえで、ルールのユーザーである子どもの目線でルールを作ることが重要と伝えるために、だ。
それが、『オトナの保護者会』が提案する家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針の基軸の1つだ。
この基軸は、番組が提案する、以下の「お子様のビデオゲーム遊びすぎに関する、よくある悩み」への詳しい対処方法の内容にも生きている。その具体的な内容については、下のスライドを参照いただきたい。
ルール作りの際、してはいけないことの説明にあたって、情報セキュリティーやITリテラシーの正確な知識が必要になる。こどもの「なぜ」にきちんと答えて、子どもに納得してもらうためだ。なぜそうまでするのか。理由は単純、子どもは、自分自身が納得しないものは絶対に守らないからだ。これは、家庭内ICT機器の運用ルールの内容は、親子間双方が完全合意しなければならないことを意味する。この性格を有するため、家庭内ICT機器の運用ルールとは、一種の“契約締結行為”と捉えるほうがよい。そのあたりの心構えについては、拙稿でも触れている。
別の観点で見れば、この基軸は、ゲーム条例のような「個々の家庭や子どもの置かれた環境を一切無視して、一部の人間の私情に基づいて決めた一律のルールをすべての家庭に押し付けることは悪手である」ことの暗喩でもある。
それに加えて、単にビデオゲームを遊びすぎている子どもに対して、リアル世界への関心を持たせるアプローチ手法についても、『オトナの保護者会』では触れている。キーは「ビデオゲームへの理解を介して、子どもの興味の方向性を理解する」だ。実際、関氏は「子どもは、自身の行動性向に引き寄せる形で、遊ぶゲームのジャンルを選んでいる。そこと食い違うものをいくら外から乗り換えを勧めても、子どもは一切食いつかない」と強調して話している。ここでも、切り離す、優先度を下げることの提案はしていない。必要なら、関氏はそこに触れているはずだ。それがないことは、それだけ、ビデオゲームを橋頭保として残すことの重要性を示唆しているといえる。先ほども書いたが、興味の優先度は当事者が決めることであり、親を含めた他人が「ビデオゲームは最下位、ビデオゲーム以外の趣味が1番目」と何の考慮もなく決めて、あまつさえ、その決定を子どもに強いることではないのだ。
ハイライト:家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針について-『さぬきドキッ!』
『さぬきドキッ!』では、以下のスライドのように、家庭内ICT機器の運用ルール作りの方針の説明にはほとんど触れていない。
海野氏も「当事者(中学生)同士で話すことでビデオゲームの良い点や悪い点がわかるので、もっとやってもらいたいですね」とコメントするだけにとどまっている。
なお、海野氏の提示した手法は、以下の2点の理由から、悪手だ。
1.技術について学ぶときは、特徴全体を正確に把握することから始める。私情や状況に応じて二転三転する「良い点」「悪い点」ではなく、明確な根拠を含めた「してはいけないこと」は、特徴全体を把握しない限り理解できない。機電系技術職に従事している方なら既知の事実ではあるが、それこそが、技術を正確に学ぶ最短の手段なのだ。以下の書籍は、上記の方針に沿って、ICTという技術の「乗りこなし方」を説明している。
2.海野氏の提案した手法は、時間だけを消費した挙句、悪い結果しか導かない恐れがある。よく「三人寄れば文殊の知恵」というが、実際の会合の産物をそれに近づけるには、いくつか条件がある。その条件が1つでも欠落していると、逆に「集団浅慮」の結果しか生まないことが多い。集団浅慮の研究で著名な心理学者、アーヴィング=ジャニス氏のロジックに基づくと、『さぬきドキッ!』における中学生同士の議論には、集団凝集性が高い環境にあること、クローズドな環境であること、の悪条件2点を有している。
教師は異質の立場から介入できるためこのロジックは成立しない、とお考えの読者もいるかもしれない。しかし、番組が以下のスライドに挙げた編成をしていたことから、残念ながら、教師の立場は、生徒と同じレベルとみなすのが適切だろう。ここでも中途半端な解説をしているために、ビデオゲームへの恐怖感を煽る以外の効果が消滅している印象を受けた。
なぜそうなってしまうのか。それは、海野氏の経歴が大きいと小生は考える。彼の専門領域はアルコール依存症だ。アルコール(薬物)依存症の場合、当事者から依存対象(薬物)を切り離さないと、当事者の生命を危険に晒す恐れがある。彼は、それと同じアプローチでゲーム行動症にも対応できると捉えているのだろう。
以下に示す海野氏の持論「ゲーム行動症を幇助するビデオゲーム関連環境の3要素」のなかで、科学的根拠が一切存在しないにも関わらず「ビデオゲームそのものの特徴」を「危険要因」としてわざわざ論っている理由もそこにあると小生は考えている。
ちなみに、ビデオゲーム愛好家であれば彼の持論は簡単に論破できる。下のスライドでも指摘しているように、海野氏のビデオゲームの知見が乏しい*4 ためだ。
肝心な個所の説明も不足している『さぬきドキッ!』と、実践的な方針を丁寧に提示する『オトナの保護者会』とを比べて、真に有益な知見をどちらが提供しているかなど、書くまでもないだろう。
ガラ空きのゴールに、残酷無比なダメ押しのシュートが突き刺さった!
ここで試合終了のホイッスルが無情に鳴り響く!試合結果は…?
比較の結果…
『オトナの保護者会』の圧勝というワンサイドゲームに終わった。
勝因は、以下の2つにまとめられる。
1.『オトナの保護者会』が、ビデオゲームの遊びすぎという事象を正確に理解する2つのステップ、すなわち、ビデオゲームに対する理解と、お子様の置かれている背景の理解、を正確に説明していたこと
2.『オトナの保護者会』に招聘された識者である関氏の考え方が、当事者である子ども目線でのアプローチを基軸にしていること
子ども目線でのアプローチを基軸とするから「ビデオゲームそのものと、ビデオゲームに親しむ子どもの置かれた背景の理解が必須」いう彼の説明がすべて論理的につながるし、視聴者も合点が行く編成となっている。
一方、「子どもにとってアルコールのような(医学的な)死を招きうる危険物」とビデオゲームをみなすゆえに、その“危険物”に触る仔細は親がコントロールすることによって対処するアプローチを主軸とした『さぬきドキッ!』は、単に、子どものゲーム関連行動を異常とする印象を視聴者に抱かせる結果しか導けなかった。あまつさえ、ゲーム行動症はおろか、ゲームの遊びすぎ対策に関する正確な理解を視聴者にさせないように仕向けていた。NHK高松も、マスメディアの役割であるチェッカーの役割を放棄していたサッカーの試合で例えるなら、監督がいないのも同然の状況だったといえる。
そんなガタガタのチームコンディションに対して、がっしりと連携が取れた『オトナの保護者会』の見事なチームプレイを持ってこられたので、『さぬきドキッ!』に成す術はなかったのだ。
- ここでお別れの時間がやってまいりました。次回はどんなチームが熱戦を繰り広げてくれるのかを楽しみにして、中継を終わりたいと思います!
それではまた!
参考資料
・合同出版『ネット・ゲームの世界から離れられない子どもたち』(吉川 徹)
・講談社『デジタルネイティブのためのネット・スマホ攻略術』(山崎 総一郎)
*1 井出 草平「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例を考える 講演資料 (2020年2月9日版)」
*2 合同出版「出版記念第2弾トークイベント『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』」における講話の内容に基づく
*3 井出 草平「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例を考える 講演資料 (2020年2月9日版)」、第4回情報統制シンポジウム テーマ5「“香川県ネット・ゲーム依存症対策条例”を考える」(2020年9月6日版)
*4 香川県『学校現場におけるネット・ゲーム依存予防対策マニュアル 詳細版』における用語解説で確証が取れる
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