
オリジナル
『プロフェッショナル』
”Worthy of or appropriate to a professional person; competent, skillful, or assured. =専門的にふさわしく、能力が高く、技に優れ、(仕事に)確かさがある、ということ。”
確かさとは、なんだろうか。
”危なげなく、しっかりしているさま。 信頼できるさま。安心できるさま。また、確実であるさま。”
そう辞書には記述されている。
つまりプロフェッショナルとは優れた技能以外に、どんな状況下でも、安定性や確かさを維持する事が出来る人達ではないだろうか。
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アメリカ・イリノイ州にある最大の都市、シカゴの中心部からから北へ40㎞ほど走った郊外に、ウィーリング(Wheeling)という小さな街がある。
もう秋とは呼べない寒空の季節、シカゴ・オヘア国際空港へと降り立ったが、この空港ももれなく巨大だった。
調べてみると離発着回数や旅客数は、あのダラスフォートワース空港をも上回っているのだから、この国のスケールにはいつも唖然とする。
ウィーリングにある小さな製菓工場の社長、ジョシュ(Josh)は、小柄だが精悍な顔立ちをした、中年の紳士だ。
オヘア空港の長い通路を歩き、ようやく出口を出た所に、彼は笑顔で待っていた。
長時間のフライトでその殆どを睡眠に費やしてしまい、飲まず食わずのまま空腹である事を笑いながら話すと、彼はホテルのチェックインよりも先に、ダウンタウンのレストランへ連れて行ってくれた。
シカゴは歴史的に古いこともあり、アメリカの『コア』はここにあるのではないかと思うくらい、人も経済も食べ物も近代のアメリカっぽさが濃厚に詰まっているイメージがある。
街で有名なディープディッシュピザは見ているだけで満腹になりそうだが、いざ食べると、やっぱり満腹になる。
歴史的にそれ以上名高いのはホットドッグで、伝統的にケチャップを一切使わない。
初訪問の際は、そんな事も知らずに老舗店でケチャップはどこかと尋ねてしまい、店主にお前は正気かと返され、店内が笑いの渦に包まれた事は、今思い返しても随分と恥ずかしい記憶である。
途中、市内を横切る通称”L”トレイン(CTA)は、スパイダーマンの映画でも出てきた有名な高架鉄道だ。
*Photo by : Fern M. Lomibao
この”L”以外に、街のあちらこちらにあるマンホールから立ち上る蒸気も、寒い地域であるシカゴの象徴的な光景だった。
最近、ここで流行っているというイタリアンを食べながら、Joshと仕事の話をする。
「こいつは創業以来の、デカい話だな。」
彼の事は、ある企業を通じて紹介され、そこにいた彼の部下が持参したニューヨークチーズケーキが始まりだった。
とても小さな会社だったが、このケーキをもっと広めたいという一心で、彼らは遥々日本までやってきた。
こういった売り込みはわりとよくある事だし、僕も当初、何気なくそのサンプルを口にした。
こんな美味いチーズケーキ、食ったことない……
社内の誰もが、そう言った。
早速幾つかの企業へ紹介すると、やってみましょうという話が出てきた。
但し、オリジナルよりも味をもう少し薄く出来ないかというのが要望だったので、その調整の為にシカゴへやってきた。
Joshとは仕事の話を終えると、いつも車の話をするのが恒例で、彼は仕事で多忙な中、通勤で使う車だけが唯一の趣味であり、楽しみだった。
「最近、セールスに勧められて新しいレクサスにしたんだけど、ありゃ化け物だな。走っている音が全く聞こえないよ」
彼にとっては初めての日本車だが、かなり気に入っている様だった。
日本車の事もよく調べていて、トヨタが言い出した改善”KAIZEN”という言葉は、世界でも知っている人は多い。
「レクサスも相当なKAIZENを積み上げたんだろうな。俺は、プロの仕事を感じるモノが好きなんだ。」
車で思い出したのだが、明日から何処かでレンタカーを借りなくてはという話をすると、
「レンタカーは不要だ。明日から通勤で使えるようにホテルに車を置いておいた。キーはフロントから貰ってくれ」
そう言って、店では2人共カタラーナを食べた。
翌日。
ホテルからキーを貰い地下駐車場に向かうと、そこには古いモデルのポルシェが用意されていた。(モデルは省略するがこちら)
車に詳しくない方でも、この形に愛嬌があって、美しい事はわかってもらえるかもしれない。
ただ1つだけ、問題があった。
通常レンタカーであれば万が一の為に保険の付帯が必須なのだけど、そんなモノがない彼の個人所有物である愛車をブツけたら、洒落にならない。
ナビすら付いていないこの車で通勤をするのはかなり緊張したけど、いざ慣れてくると手足の様に動いてくれるこの車が、すぐに気に入った。
ここから約10日間、結果的に自由を謳歌出来たのはこの通勤時間のみで、残りのほとんどはオフィスで打合せの日々が続いた。
課題は『アメリカならではの味』であり、日本の人々にこの味が受け入れられるのかどうかという部分が最大の焦点となっていた。
僕も当初、オリジナルは美味しいと感じたが、一方で少し我が強いというのも印象としてあった。
そこで、彼に味をもう少し薄く出来ないかと頼んだのだが、Joshはこの提案を受け入れなかった。
創業以来この味を一度も変えたことは無いし、もし変えてしまったら我々のケーキでは無くなってしまうというJoshの反論に、言い返せるだけの理由がこちらには無かった。
「オリジナルだけは唯一、KAIZENしてはいけないんだ。」
それでも、幾つかあるレシピの中から試作品を作り出しては、連日の様に現地スタッフを交え、打合せも白熱した。
帰国日だけが、刻々と迫る。
それまでに結論を出さなくてはならないと思うと、通勤中も考え事が多くなり、シグナルが緑に変わっていても気が付かず、クラクションを鳴らされる夜もあった。
彼の製造するケーキはアメリカ国内でも評価が高く、多くの場に提供されていたし、秘伝の配合レシピに関しては、例え仲の良い我々であろうが、分厚い守秘義務契約全てにサインをした。
そうして、ようやく納得のいく試作品が完成した。
僕はまだ僅かな不安を感じていたが、Joshは僕の肩を叩き、きっと大丈夫だと言った。
帰国後、最終的に顧客のGOサインを貰い本格的な製造に入る事となり、苦労をしたスタッフ達と喜んだが、発注された数量が想定外だった。
当初聞いていた数量の、12倍である。
Joshの小さな工場ではいくらなんでも無理だと思ったが、彼の目は笑いながらも、放つ言葉は真剣だった。
「やってみせるさ。さぁ、KAIZEN TIMEだ。」
ウィーリングの工場は暫くの間、お祭り騒ぎになった。
人員を増やし、年末年始もフル稼働、工場へ訪れる度に従業員からは、お前のせいで大好きなスーパーボウルすら観れないと、皆に突かれながら笑顔で愚痴を言われたが、彼らの目には、熱が宿っていた。
懸念していた味に関しても、日本の若者を中心に受け入れられ、彼が揺るがなかった味を一切変えることなく、オリジナルテイストのケーキが生産され、数年間ヒットが続いた。
あれからほぼ10年。
商売はかなり減ってしまったけど、今でもJoshとの交流は続いていて、彼がお気に入りの車の雑誌が、国際郵便で毎月弛まなく送られてくる。
何一つ妥協せず、何一つ変えなかった男の仕事は今でも、大きな糧になっている。