経営戦略としての非市場戦略(1)
はじめに
「非市場戦略」という言葉を何となく聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
最近では、政府渉外などに携わっている実務家の方々だけでなく、経済産業省もビジネスにおけるルール形成の重要性を訴えています。
また、経営学の研究では、1995年のDavid P.Baronの論文以降、非市場戦略についての研究が行われています。
このように、非市場戦略というコンセプトは注目を浴びていますし、企業にとっての政治リスク・法的リスクなどが増えている現代において、非市場戦略の重要性を肌感で感じている人は多いと思います。
しかしながら、現状は、実務家(政策渉外担当者等)、経営者、経営学研究者がそれぞれの立場からこの領域を捉えており、必ずしも統合的な整理がなされていないようにも思えます。
私は、元々は公共政策・政策渉外の実務家(元国家公務員&企業の元政策渉外担当)であり、非市場戦略の重要性を経験的に理解しているものの、専門職以外の人に対しての言語化が難しいことを感じていました。特に、経営における非市場戦略の意思決定は、経営者個人の経験や知識、スタッフの説明能力に大きく依存しており、意思決定のための体系的な枠組みが認識されていないことに課題感を持っていました。
現在は、仕事と並行して大学院の経営管理研究科に所属していることもあり、経営学+実務という視点で、何回かにわけて、非市場戦略を読み解いていきたいと思います。
本記事では、まずは非市場戦略の概説から経営戦略における非市場環境の捉え方までを整理したいと思います。
非市場戦略(Non Market Strategy)とは
まず、そもそも非市場戦略とは何かということですが、1995年のDavid P.Baronの論文「Integrated Strategy: MARKET AND NONMARKET COMPONENTS」(CALIFORNIA MANAGEMENT REVIEW)に、非市場戦略の原型を見ることができます。
この論文では、企業の外部環境を”市場”環境と”非市場”環境に分け、それぞれ、以下のように説明しています。
市場環境は、市場や私的契約によって媒介される、企業と他の当事者との相互作用である
非市場環境は、一般市民、利害関係者、政府、メディア、公的機関によって媒介される、企業と他の当事者との相互作用である
なかなかわかりづらいので、ざっくり言うと、
市場環境:顧客、市場、取引先との関係。関係性は契約ベースで自主的。何かを売るとか買うといった経済価値のやりとり。
非市場環境:一般市民社会、(取引・契約関係がない)外部の利害関係者(社会活動家など)、政府、メディア、その他の公的機関。関係性は、規制が強化されたり社会活動家等の不買運動を受けるなど、非自主的なものもある。市場外で何らかの影響を受けるもの。
また、それぞれの戦略の目的は、以下のように整理されています。
市場環境における戦略(市場戦略):経済的パフォーマンスの向上(シンプルに言えば利益を上げる)
非市場環境における戦略(非市場戦略):経済的パフォーマンスに限らず、企業の社会価値なども含めた総合的パフォーマンスの向上
これらを踏まえると、市場戦略は、一般的に言う競争戦略やマーケティング戦略とほぼ同義で捉えていいのかと思います。
これに対しては、非市場戦略は、競争やマーケティングなどの土台となる市場ルールづくりと捉えるのが直感的にわかりやすいかもしれません。
非市場戦略の目的
非市場戦略を市場ルールづくりと捉えた場合に、ルールには法律のような明示のルールもあれば、社会慣習や世論などの暗黙のルールもあります。
非市場戦略の提唱者であるBaronは、”The Routledge Companion to Non-Market Strategy”の序文で、非市場戦略の目的を以下の5つに分けて説明しています。
意訳すると、以下のように整理できるかと思います。
利潤追求
(政府系企業に独占されていた業界での)規制緩和による機会の開放
社会活動家・NGOの社会的プレッシャーや政府のプレッシャーを加えようとする、対抗者や批判者への防御
環境保護、社会正義、権利擁護などを重視する顧客へのアピール
レピュテーション向上、信頼構築、正当性獲得による価値創出
これを踏まえると、非市場戦略の目的としては、法律などのルールメイキングだけでなく、レピュテーション向上や正当性獲得なども含まれています。
経営学の研究では、非市場戦略の要素として、CPA(Corporate Political Activities:企業の政治的活動)だけでなく、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)も含めています。
CPA(言い換えるとロビイング等)やCSRのそれぞれの実務者の立場では、CPAとCSRはかなり毛色が異なるものと思いますが、経営目線では、これらを統合的に捉えていくことが求められているとも言えます。
また、もう1つのポイントしては、環境などの社会価値を重視する顧客へのアピールなど、マーケティング戦略(=市場戦略)に近い内容も非市場戦略の目的として想定されています。
市場戦略と非市場戦略の統合
非市場戦略が市場戦略にオーバーラップしている観点からも、市場戦略と非市場戦略の統合が重要なことがわかるかと思います。
非市場戦略を提唱したBaronは、非市場戦略(Nonmarket Strategy)は、マネジメント関与のもと、市場戦略(Market Strategy)と一体で統合戦略(Integrated Strategy)として立案・実行すべきとしています。
Baronは、市場環境が企業にとっての非市場課題の重要性を決め、非市場環境が市場環境の事業機会を形作るとし、両者の相互作用を前提としています。
そして、非市場戦略を市場戦略に統合する枠組みとして、ポーターのファイブフォース分析を提示しています。
非市場戦略が大切なのはわかったが、どう考えたらいいのかという問に対しては、業界構造分析の中で、市場環境と非市場環境をまとめて分析し、市場戦略と非市場戦略をまとめて構築する(=統合戦略を作る)のが1つの答えになるかと思います。
もちろん、実務においては、他にも色々な進め方はあるかと思いますが、今回は、経営戦略の定石的手法であるファイブ・フォース分析で非市場環境を見ていくアプローチを紹介したいと思います。
ファイブ・フォースと非市場環境
ポーターのファイブ・フォース(5つの競争要因)分析は、業界構造を分析し、業界の競争や収益性を把握するものです。
※ファイブ・フォース分析の解説はこちらがわかりやすいかと思います。
参考:Harverd Business Review 連載 入山章栄の『世界標準の経営理論』第16回「ファイブ・フォースを用いて、自社の競争環境を分析せよ」
ポーターは、「競争の戦略」において、政府の政策による業界構造への影響の診断なしに、ファイブ・フォース分析は完成しないとも述べています。
ファイブ・フォースの中で、公共政策の影響を最もイメージしやすいのは、規制による参入障壁(=新規参入者の脅威への影響)です。
まず、規制による参入の許認可は当然参入障壁になります。最近の例では、ライドシェアがタクシー会社のみに解禁されましたが、タクシー会社ではないプレイヤーは今のところは参入できない状態であり、これは規制による参入障壁です。
また、ポーターは、直接的な参入許認可でない、環境基準や安全基準も参入障壁になるとしています。
これは、環境基準や安全基準が参入の資本コストを増加させたり、製品試験の実施により新規参入者の製品知識が既存事業者に伝わり、既存事業者が対抗しやすくなる(新規参入者にとっての障壁となる)という二次的な効果があるためです。
その他の例について、ポーター「[新板]競争戦略論Ⅰ」では、5つの競争要因に影響を与える政府行動として、以下の類型が取り上げられています。
許認可制による新規参入制限
特許制度による参入障壁
参入規制緩和、補助金、基礎研究への資金提供等による新規参入促進
労働政策による、労働力のサプライヤーの影響力増加
破産制度や補助金による退出企業の増減
なお、通常、政府は公共政策により競争要因に影響を与える立場であるものの、競争要因そのものではないとされています。ただし、BtoG事業をイメージするとわかりやすいかと思いますが、政府が買い手になる場合はファイブ・フォースの一種であると捉えられています。
公共政策の立案者は、独占を防ぎ、競争を機能させることで、社会的厚生を増加させることを目指しており、公共政策によるファイブ・フォースへの影響は、実際の制度においても多く見つけることができます。
政府側・企業側の両方の経験から、個人的に知っている事例をいくつか挙げると、タクシー特措法による特定地域での増車・参入規制、モバイル通信分野におけるMVNO(いわゆる格安SIM)への回線貸出ルール整備による参入障壁の引き下げ、民泊新法による民泊事業の参入障壁の引き下げ、デジタルプラットフォーム取引透明化法による買い手企業の交渉力増加・・・など、すべてファイブ・フォースの枠組みで整理することができます。
なお、競争要因に対する公共政策の影響については、企業がどちら側の立場なのかによって見え方が変わります。参入規制の緩和は、新規参入者にとっては競争要因の低下となり新規参入のチャンスとなりますが、既存事業者にとっては競争要因の増加です。
例えば、ライドシェアを例に見れば、タクシー業界とIT業界は、基本的には正反対の立場から非市場戦略を展開しているように見えますが、これはファイブ・フォースに照らせば説明しやすい論理かと思います。
米トイザらスの日本市場参入の事例
最後に、ファイブ・フォースと非市場戦略について、Baronの論文で取り上げられている、トイザらスの日本市場参入の事例を紹介します(論文では明らかでない部分もあるので、一部に私の解釈が入ります)。
まず、業界構造を見ると、トイザらスにとっては、グローバルレベルでの競合はおらず、潜在的な新規参入の脅威もなく、競合は地元商店やディスカウントストアが主でした。リテイラーとしてのトイザらスは、消費者に対して交渉力があり、サプライヤーに対しても典型的にはトイザらスの方に交渉力がある状態でした。つまり、ファイブ・フォースはさほど厳しくない状態にあると言えます。
トイザらスの基本市場戦略は、コストリーダーシップであり、したがって、グローバル規模でのオペレーションによりコスト優位性を実現することが目指されていました(規模を拡大することで、規模の経済により単位あたりの生産コストが低下し、コスト優位性を作れる)。
国際戦略の肝は本社の専門性をいかに他国に移転するかであり、トイザらスの場合は、大量・低価格・広範なセレクションという原則により培った専門性(米国本国での市場環境における専門性)をいかに他国市場に移転するかが重要となっていました。
このため、国際市場の選択においても、大量・低価格・広範なセレクションという強みが活かせる市場、つまり、人口が多く、所得が大きい市場が候補となることから、日本が潜在市場となっていました。
ここまでは市場環境と市場戦略の話です。
非市場環境について見ると、大店法により、地元商店との事前協議が必要となっており、参入規制として機能していました。
競合が小さく分散している(地元商店は小規模・分散)ということは個々のプレイヤーの経済力が小さく、市場環境においては有利になりますが、一方で、政治力は一票ごとに由来するため、非市場環境は逆に難しくなるという重要な点をBaronは指摘しています。
つまり、小規模分散商店の政治力(=非市場環境における力)によって、トイザらスにとって、不利な非市場環境(=大店法による地元商店との事前協議義務)が発生していたと理解できます。
その上で、トイザらスの非市場戦略としては、日本マクドナルドと合弁会社を組み、ローカルな規制への対応を進めるとともに、大店法を日米の貿易問題とするよう働きかけることで非市場戦略を成功させ、日本市場への参入を果たしたと分析されています。
(参考:大店法と日米構造協議)
https://www.sankei.com/article/20131214-G5N6QTNIZVNFJG5CYBDSWMLGHQ/3/
このようなトイザらスの非市場戦略については、まずはコストリーダーシップという市場戦略があり、これを実現する(=日本市場への参入によりグローバル規模のオペレーションを拡大することでコスト優位性を構築)ために、非市場戦略を活用した(日本市場への参入障壁を撤廃)と解釈することができます。
この事例では、業界構造を分析した上で、非市場戦略を市場戦略と統合した形で、経営戦略として構築して実践することの重要性を説いています。
なお、補足として、やや実務的な観点ですが、「市場をオープンにするというポジションを取る」というポジショニングと貿易問題化は一体的なものだったと考えられます。
非市場戦略が企業の戦略である以上、企業の価値を実現するのは前提条件ですが、同時に公共的な価値がなく単に一つの企業の利益にしかならない提案は、政府機関としては正当化することは難しいものです。
ここでは、貿易自由化は大義名分(公共上の価値)として存在し、大義名分に適合的な形で市場をオープンにするというポジショニングを取ったことが有効であったと考えることができます。
これを他の例で捉えると、規制緩和の提案は、多くはイノベーション実現や消費者の利便性などとセットで語られることとが多く、逆に、規制の維持の提案は安全性確保などとセットで語られることが多いと考えられます。
非市場戦略が政府機関だけに限らず、一般市民(社会一般、言い換えると世論)をも対象にする以上、このような公共的な価値による納得感は、非市場戦略実行の前提として必須のものであると思います。
まとめ
今回は、非市場戦略の概説から経営戦略における非市場環境の捉え方までを整理してみました。
企業の外部環境は、「市場環境」と「非市場環境」に分けられる。
「市場戦略」と「非市場戦略」を統合した「統合戦略」が重要。
「統合戦略」は業界構造分析(ファイブ・フォース分析)を起点に構築することができる。
業界構造分析では、特に政府規制による参入障壁に注目できる。直接的な参入の許認可だけでなく安全基準・環境基準も参入障壁となる。また、政府機関が買い手の場合、政府も直接的な競争要因となりうる。
非市場戦略の実行には、公共的な価値(大義)の提示が必要。
次回以降は、より実行サイドのテーマについて整理ができればと思っています。