とても遠い日本。
今週の末には日本の地を踏んでいる。本来、一時帰国なんて楽しみしかないはずなのに。美味しいもの食べようとか、ドンキ行って買い物しようとか、久々の日本を楽しむ方法は星の数ほど思い浮かぶのに。
帰国の日が近づくに連れ、悪夢を見る頻度は増え、そして日本にいる自分を想像すると、身体が震えてしまうのです。「嫌われる勇気」という著書では、アドラー心理学の教えの一つとして「トラウマは存在しない」としているのですが、(実際にはアドラー心理学ではトラウマが存在しないとは教えていない)、実際に身体に起こる現象は、意志の力とかは超えてしまうもので。何をそこまで心理的外傷として引きずっているのかと聞かれると、具体的に全体像を説明するのはなかなかに難しいのだけれど、一つ言えることは、私にとって日本は「完全に白旗を上げた土地(どうしようもならないと判断した土地)」なのです。絶対に敵わない相手が存在するとして、なんとか戦い続けてきて、でも結局痛みと共に白旗を上げた場合、もうその相手とは関係性がないとしても、同じ空気を吸うことも恐怖の対象になってしまうのです。
誰・何に対して白旗を上げたのか
この白旗を上げた「対象」を明確に説明するのが難しいのですが、雑に纏めて且つ力尽くで捻り出すとすると、「(全てを解決できると思っていた)自分」なんだろうと思います。自分の理想…というか、「こうあるべき」という絶対的な核があって、その理想を現実に落とし込むためには、それこそなんでもしていた自分が、結局の所、全てどころか何も解決できないと、自分の無力さ・未熟さに白旗を上げたんだろうと。
不思議な話なのだけど、この「白旗を上げる」という行為は、父親の自死がきっかけで辿り着いた極地で、言い換えれば「父親からの最後の贈り物」として捉えることもできるのですが、今の私は「白旗を上げたから」、その当時とは比較にならないほど幸せなのです。もちろん、日々悩むこともあるし、葛藤も続くし、英語圏の刺し子には腹を立ててばっかりいるけれど、でも「大切なもの」を手にいれ、それを守ることが人生の役目として幸せを感じられるのは、この白旗を上げることに繋がった2013年の10月から12月の49日間のおかげだったりするのです。
許して貰えるかは分からないけれど
少し見方を変えると、きっと私は「逃げたこと」に対する罪悪感というか、結局解決できなかったことに対する無力感というか、そういう後ろめたくて凝視できないような感覚を日本にそのまま置いてきてしまっているのだろうと思うのです。だからこそ2023年までの10年間、一度も日本の地を踏むことはできなかったし、そんなにPTSDに苦しめられることがなかった2023年の一時帰国を経た今でも、やっぱり日本という地が遠く感じてしまうんだろうと。
誰に許しを乞えばいいのかは分からないし、許してもらえるかどうかすら分からないけれど、ただ、やっぱり申し訳ない気持ちは心のそこかしこに散らばっていて。白旗を上げた最後の場所が「刺し子」で、不思議で素敵なご縁を頂きながら、今回の一時帰国も「刺し子」で実現したものだから、刺し子への感謝を抱きながら、またどこかで白旗を回収しに行けたらいいなと思うのです。
まだまだ今回の帰国では、白旗の回収までは到底体力も気力も追いつかないだろうけれど、この遠くて仕方がなくて10年も帰れなかった日本に、少しでも頻繁に帰ることによって、その母国への心の距離が少しでも縮まればいいなと。
もう少しで日本の地です。お世話になります。