Sashiko Story

日本の針仕事である「刺し子」について思いを発信しています。その行動原理はどこにあるのだろうと考えると「娘に何を残してあげられるか」というもので。娘への手紙の草案をここに残せたら。ふと過ぎ去ってしまいそうな言葉を紡いでストーリーを書いています。

Sashiko Story

日本の針仕事である「刺し子」について思いを発信しています。その行動原理はどこにあるのだろうと考えると「娘に何を残してあげられるか」というもので。娘への手紙の草案をここに残せたら。ふと過ぎ去ってしまいそうな言葉を紡いでストーリーを書いています。

最近の記事

止まった時間と刺し子をもう一度。

ここ最近の日本語の配信で、「日本に帰るのが怖い。楽しみだし、嬉しいんだけど、怖い。」と言葉にしています。同じように日本出身で、アメリカに移住された方から「私も似たような感情がある」と、嬉しい同感のお言葉も頂いて。私の恐怖の一因は、前回の投稿で書いたようなもので、それはある程度具体的に描写できるまでには自分と向き合ってきたのだけれど、でもそれだけじゃ説明しきれないような「怖さ」があるのも事実で。なぜ「怖いのか」を、少し客観的に、あまり自分を入れないで考えてみようと思うのです。

    • とても遠い日本。

      今週の末には日本の地を踏んでいる。本来、一時帰国なんて楽しみしかないはずなのに。美味しいもの食べようとか、ドンキ行って買い物しようとか、久々の日本を楽しむ方法は星の数ほど思い浮かぶのに。 帰国の日が近づくに連れ、悪夢を見る頻度は増え、そして日本にいる自分を想像すると、身体が震えてしまうのです。「嫌われる勇気」という著書では、アドラー心理学の教えの一つとして「トラウマは存在しない」としているのですが、(実際にはアドラー心理学ではトラウマが存在しないとは教えていない)、実際に身

      • 自分の仕事(刺し子)でご飯食べていけられないってのは辛いねぇ。

        2024年3月。怒涛の1ヶ月が終わろうとしています。庭の桜の木の蕾も膨らみ始め、都会の喧騒にも負けないほどの鳥の鳴き声に占領される初春も、今年は安堵と不安が混じった1ヶ月になりました。 英語では一度ぽろっと漏らしたのですが、結果から言うと、妻が仕事に一つの区切りを付け、第一線から引くことにしました。もう少し正確に言うと、私が妻に「もう良いから」と一線を引くよう説得をしました。 収入がゼロになったわけでもないし、妻の専門柄、仕事はどこにでもあるのですが、予想はしていなかった

        • 刺し子とSASHIKO。

          刺し子家業に生まれて40年。刺し子と真剣に向き合って10年。まだ「刺し子とは何か」という問いへの答えは出せていません。答えなんて出さなくても良いんだろうと心の隅では理解しつつ、それでも言語化するのが趣味みたいなものなので、なんとか「何か」を残していけたらと思っています。 答えは出ていませんが、一つだけ確定している事実があります。それは「刺し子は日本で培われた針仕事だ」ということです。刺し子がSASHIKOとして世界中で人気になっています。とても喜ばしいことだと思う反面、SA

          ちょっと待って。何それ。どこの日本のお話ですか?

          こちらのインスタグラムでの投稿。混乱させるような表現になってしまって申し訳ございませんでした。素晴らしいニュースはBBCのトップページに掲載頂いたこと。心苦しいニュースは中東で起こっていること。今回の話題は嬉しいニュースでも心苦しいニュースでもなく、刺し子関連の出来事です。なので大局観で見たら、ほんの豆粒にもならない出来事なのですが、私にとっては「遂にここまできたか」という、懸念していた事が起こってしまった感じです。超えてはいけない一線があって、それを簡単に超えてきたというお

          ちょっと待って。何それ。どこの日本のお話ですか?

          刺し子の何に対しての怒りなのか。

          昨日の記事へのコメント、また温かいメッセージ&メール。一晩の間に沢山頂戴しました。丁寧に繰り返し拝読しています。四方八方に感傷的になってしまう可能性があるので、直接のお返事までは少しお時間を下さい。既読スルーをお許し下さい。ご心配頂き、感謝の気持ちで一杯です。空白の期間、ずっと内に籠り面倒な自分と向き合っていました。何が痛いのか。痛みはわかるのに、なぜ傷そのものを認識できていないのか。ずーっと考え、観察していました。長くお付き合い頂いている方には苦笑されるほど「今更?」と突っ

          刺し子の何に対しての怒りなのか。

          刺し子と折られた心と。

          長年、刺し子に対する思いをSNSや配信、またSashico.comにてお伝えしてきました。これまでになかった長期間の「説明がないままの空白期間」の説明として、心を許している刺し子井戸端会の皆様と、偶然にもこの記事に辿り着いてくださった刺し子に興味がある方々に残せたらと、文章にしています。 現状の空白期間。大きな理由は、2023年5月にリリースした「Introduction to Japanese Sashiko」と言うオンライン講座です(全編英語版です)。 講座内ではSN

          刺し子と折られた心と。

          書くこと①

          蝶番の軋む金属的な音が耳に届く。 朝の登校時に吐く息が白くなりだした秋の終わりの夜は、絵画のように散りばめられた木々の色を塗りつぶすだけでなく、空気そのものすらも濾過しているのかもしれない。少しでも喧騒があれば、あの音が耳に届くことはないのに。いくら目の前にいない”誰か”に向かって無言で文句を言ったとしても、金属的な音がかき消される頃には、同じ方向から大きな足音が聞こえてくる。 小さな寝室に敷布団が3枚。寝室といっても、大きめの箪笥と小さな化粧台があるだけで、布団を3人分

          書くこと①

          書くこと🄋

          「もしお金も社会的責任も、はたまた時間さえも、何も心配する必要が無いと仮定したら、貴方は何がしたい?」 結構破天荒な(あるいは無責任な)質問だよなぁと内心思いながら、でも聞いてくれた人は心底心配してくれているのが分かっていて、それが嬉しくてひねり出した言葉が「死ぬ理由を見つけたい」という全く答えになっていないもので。死への理由を見つけることは、辿り着く目標であって、「今何がしたいか」という質問への答えにはならないのにも関わらず。そのまま質問を流してくれたのは、きっと優しさを

          書くこと🄋

          ”壊れる”時のメカニズム

          世の中に「うつ病」という言葉が溢れるようになって、まるで雛形でもある様にうつ病について語られているのだけど、うつ病って杓子定規に判断できるものじゃなくて、「あれかもしれないしこれかもしれないけれど、でもレントゲンとか取っても目で確認できるものでもないし、とりあえずの対処法」としての診断だと思っていて。 もしかしたら自律神経失調症とトラウマのコンボかもしれないし、もしかしたら軽い躁うつ病の躁状態からの転落中の一コマかもしれない。実際に苦しんでいる人は、「(ある程度の)診断名と

          ”壊れる”時のメカニズム

          何が誠か。

           幼い頃に憧れていた誰かに、今の僕は全く近づけていなくて。大人になって、幼い頃の憧れを抱くことすら馬鹿らしいと思う毎日で、少しやっぱり寂しくなって。 これまでの自分を否定されたくなくて、今の自分を必死に肯定しているのだけど、でも残るのは、ちょっとした自己満足と疲労感。空虚ではないんだけど、でも、求めてしまう。今手にしているものが幸せだとはわかっているのだけど。 誰かの幸せの一部を担うことが幸せで、きっと幸せは、その個人だけでは完結するものじゃなくて、だからこそ、自分の今ま

          何が誠か。

          もうひとりの自分。

          付き詰まる所、僕の人生は「もうひとりの自分」との会話なのだと思う。 一時期、解離性同一性障害を疑ったこともあるけれど、DMS-4(当時の米国精神医学診断マニュアル)等を読んでみたり、専門家の知人と話をしてみたりする上で、俗にいう「二重人格」ではなく、むしろ防衛本能的な身体の反応だと捉えるようになった。とは言え、一人の僕は前に進みたく、でも同時に立ち止まらざるを得ない中で、それはやっぱり「もうひとりの自分」と表現することが一番自然で、これもまた悩み抜く中で、「守ってくれるもう

          もうひとりの自分。

          働くもの食うべからず。

          大人になれなかった父親と、世間知らずな母親の元に育ったのにも関わらず、なぜか古風な考え方が身体中にこびりついてしまっていて。古風な自分を頭では滑稽だと思いながら、でも実際の思想行動は、とても古風なものばかりで。 「働くもの食うべからず。」 誰に対しての戒律でもなく、ただ自分に対する約束事のようなもの。どこで身につけたのかもわからないし、誰が教えてくれたのかもわからないけれど、「食う(贅沢する)」為には、それなりの対価を支払わないと駄目だという固定概念がどうも外れない。

          働くもの食うべからず。

          自分語り

          起伏の激しい人生だったようです。 人様に指摘されても気がつかず、結婚後の妻に可哀想と泣かれても腑に落ちず。 ある時ちょっとした怒りに我を忘れ、頭を壁にぶつけながらやっとのことで、あぁ私の人生はかくも起伏が激しかったのかと脳が理解したようなのです。当たり前の家族に、当たり前に育てられたと私は思っていました。 古風な考え方の元、厳しくしつけをする祖父。 お金こそが人生だと言わんばかりの(というか何回か口に出して言っているけれど)人生観を進む祖母。 大人になりきれない父親

          るーつ。

          人様に迷惑をかけ続けた親父が、僕ら家族が抱いていた親父本人への未来への心配など気にもかけない様に、ひっそりと急に逝った。決して好きになれない親父の突然の死に、僕はどんな表情を作ったらいいのかずっと考えていた。