子どもの遊びを考える
関戸博樹さん(日本冒険あそび場づくり協会代表)の講演を、シリーズで受けています。
「子どもの遊び」をいろいろな視点で考える内容です。
その内容がすごくいいのです。
自分の中でも消化して活かしていきたいと思うのですが、
それだけで終わらせたらもったいない内容です。
なので、印象に残った部分を自分の言葉で書き出してみます。
おもちゃに飽きてしまって、おもちゃでないものに手を出してしまう
子どもの視点で見ると、「もっと育ちたい」というメッセージです。
おもちゃ(遊具)で得られる刺激は吸収しつくしたよ。
新しい刺激がないと育たない段階だよ。
というメッセージです。
おもちゃ(遊具)で遊ぶことだけが「あそび」ではありません。
子ども自身が自らやることは、全て遊びです。
大人が増えている
1970年は、子ども1人に対して大人は2.5人。
2010年は、子ども1人に対して大人は5.3人。
少子高齢化というのは、子ども視点で見ると、大人が増えているということです。
つまり、大人のためのスペースが増え、子どものためのスペースが減っているのです。
これは、子どもにとって「環境問題」です。
大人の目が2倍!で、解放される空間も時間も減っているのです。
自分で決めて、自分でやる
これが、子どもにとって最も重要な育ちの経験です。
それができるのは放課後と休日だけです。
でも、日本は他国に比べても、これができる空間と時間が少ないのです。
公教育の長さ、習い事/塾、公園での禁止事項、大人の目の多さ、など。
ゲーム空間は、「自分で決めて、自分でやる」ことができる数少ない居場所。
だから子どもは行きたがるのです。
我が子の将来に期待すること
この質問の回答で、
「他人に迷惑をかけない人」
が東京は66%です。
ソウル21%、北京6.5%、台北24%に比べても圧倒的です。
例として、子ども同士のものの取り合いを考えます。
子どもが持ち主の場合の親
「あなたはいつでも使えるから、今は使わせてあげなさい」
子どもが持ち主じゃない場合の親
「それはあなたのものじゃないから、使っちゃだめです」
どちらの場合でも、子どもにダメと言っています。
どちらの場合も我が子を悪者にしようとしています。
子どもの感情がいつも否定されています。
親は大人の関係性を気にしすぎています。
だから、子どものケンカを見守ることができません。
子ども同士で決める(解決する)という経験をさせるべきです。
失敗しても、それも必要な経験です。
「かして」→「いいよ」
だけではなく、「だめよ」も肯定されるべきです。
自分で決める経験の積み重ねが大切だからです。
それなのに、「かして」→「いいよ」や、
「ごめんね」→「いいよ」の練習をさせられる子どもが多いのです。