12月22日(日)林家つる子 真打昇進記念落語会〜高崎公演〜(高崎芸術劇場)
3月21日に抜擢で真打に昇進した林家つる子。今日は故郷・群馬県高崎市での凱旋公演である。何しろ2000人規模の会場なので、高座の頭上に大型ビジョンが設えられている。開演前には3月に東京會舘で行われた真打昇進披露宴の模様が上映された。
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たま平 たけのこ
本篇に入った途端に客席からスマホの着信音が鳴る。たま平さん、すかさず「江戸時代にスマホなどあるわけがないではないか」とセリフに入れ込む。続けてスマホや音の鳴る電子機器は電源を切るよう注意を促す。だが、その後も数回スマホは鳴るのだった…。
たけ平 宗論
たけ平師は小話が抜群に面白い。あるおばさんから教わった「人生を楽しむコツ」などで観客の心をつかむ。その笑いが本篇に入って、さらに倍加してゆく。旦那と孝太郎(若旦那)の噛み合わないやりとりに笑いが止まらない。
できたくん 発泡スチロール芸
できたくん、実は群馬県前橋市出身。さらに血はつながっていないが、つる子師とは遠い親戚なのだという。
「ぐんまちゃん」「縁起だるま」「林家つる子」を発泡スチロールで切る。
正蔵 タイワンザル(漫談)
高座に上がった早々、「つる!」とつる子師を呼ぶ。私服のまま登場したつる子師、すでに涙ぐんでいる。トリのつる子師がたっぷり演るので気を利かせて漫談のみで下りる。その中に市川海老蔵が團十郎を襲名した公演に行った話を折り込む。つる子師のトリネタも歌舞伎ネタ。ここでも師匠は弟子に気を利かせる。
ー仲入りー
(左より)【司会】たま平・たけ平・つる子・正蔵・米助 口上
本来真打の落語家が務める口上の司会だが、今日は特別に二つ目のたま平さんが務める。もちろんはじめて。
たけ平師が「つるちゃん」のいいところは「ひとをだいじにする」ところだという。たけ平師は楽屋でつる子師にこう言われたという。
アニサンも落語がうまくなりましたね
米助師は長年「突撃!となりの晩ご飯」のレポーターを務めてきたが、逆につる子師に「突撃」された事があるという。
正蔵師、「司会が出来損ないですが…親の顔が見たい」と言うと、たけ平師がすかさず、
アンタだよ!
正蔵師が両親の愛について語る。
つる子のお母様はとっても明るい方でよくしゃべる。つる子よりお母様が落語家になったほうがいいくらい。お父様は東北大学で石の研究をされていた寡黙な学者さん。私がお母様に「一人娘を落語家にしていいんですか?」と聞くと「私は漫画家を目指していたのですが、結婚して諦めました。娘は好きな事を思う存分してもらいたい」と答えられた。残念ながらお父様は娘の真打昇進を見ることなく他界された。お母様は介護が必要な状態ながら会場にいらしている。先程お会いしたら、娘の真打昇進を大変喜んでおられた。
通常、真打昇進の口上では新真打は一言も喋らない。だがこの日は正蔵師匠のはからいでつる子師が挨拶をする事になる。
みなさまのおかげで生まれ故郷・高崎で真打昇進記念落語会を催す事が出来ました。本当にありがとうございます。そして、おかあさん!ありがとう!
と客席にいらっしゃるお母様に手を振るのだった。涙がとまらない。
米助 落語禁止法
基本的に「突撃!となりの晩ご飯」は事前に「突撃」する事を相手のお宅に通告しない。それには理由がある。第一回の時、スタッフがある老夫婦のお宅にヨネスケさんが「突撃」すると教えてしまった。当日その家に伺うと、おばあさんが三つ指ついて待っていた。部屋に通されると、鰻・寿司・天ぷらが出された。そしておじいさんはネクタイ締めたスーツ姿。老人二人の家でそんなに食べられるはずがない。あまりにも不自然だ。それ以来、文字通り「突撃」するようになったという。
「落語禁止法」は新作。生産性がないため落語が禁止されてしまった世界で落語家達はどう生きるか?
紋之助 江戸曲独楽
前座の隅田川わたしさんと協力して、ぐんまちゃんが独楽に乗って糸の上を渡る。BGMは林家つる子「ぐんまラプソディ…恋のからっ風」
つる子 中村仲蔵
「仮名手本忠臣蔵」の「五段目」において、「斧定九郎」一役のみを与えられた中村仲蔵。「五段目」は「弁当幕」と言われるくらいの不人気な幕であった。なので仲蔵はクサる。そんな夫をなだめすかして仕事に向かわせる女房・お岸。三囲稲荷に日参した果てに飛び込んだ蕎麦屋で彼は一人の旗本に出会い、芸の工夫を得る。
仲蔵を励まし、底抜けの明るさで彼を支えるお岸。彼女は林家つる子自身の母親がモデルなのではないだろうか?そしてそんなお岸の無償の愛のおかげで新たな「斧定九郎」を作り上げ、「五段目」に新たな生命を与える仲蔵は林家つる子自身の投影だろう。
新たな「斧定九郎」を演じ切ったが、ウケなかったと勘違いした仲蔵は家に帰り、お岸に上方へ行って修業をやり直すと告げる。すると彼女は満面の笑顔でこう言う。
行ってきなよ。
と送り出すのだ。この言葉は、林家つる子が落語家になりたいと告げた時に
やりたいんだったら今やりなさい
との母の言葉に通ずる。林家つる子は中村仲蔵の夫婦の物語に自らの母娘の物語を重ね合わせたのだろう。きっと客席のお母様も愛娘の晴れ姿に目を細めたに違いない。
ーカーテンコールー