年に1度だけ、誕生日の翌日、Facebookに文章(主に近況報告)を投稿しています。
今年は区切りを迎えたこともあって、近況+αを投稿しました。


みなさま、誕生日メッセージありがとうございます!
毎年、誕生日翌日は皆さんのメッセージに励まされ、気持ちの良い朝を向かえています。
改めてお礼申し上げます。お礼がてら、近況(+α)を報告します。
※長文ごめんなさい!

30歳になった時、40歳になった時と同様に、49歳の最後であった一昨日とほとんど同じ心持ちで50歳の初日を迎えました。(笑) 一日で大きな変化な変化があるわけではありませんが、10年、20年と振り返るといろいろ詰まった濃い目の、そして豊かな時間を過ごすことができました。そんな時間をプレゼントしてくれた両親や家族、お客様や取引先を始めとした多くの先輩後輩、同僚、友人たちに感謝するばかりです。

重要な分岐点で私が実際に選んだ選択肢のうち、予め自分で意図したものはほとんどありません。勝手ながら自分軸を大切に選択をなしてきましたが、その選択肢はなんらかのご縁で誰かから頂いたものばかりです。きっと、その方ご自身も意図していなかったと思います。人の認知能力の及ばない、天の導き、天の采配であったと考えたほうがしっくりきている自分がいます。

空手道場への入門、県立の第一志望不合格で土浦日大への進学、センター試験結果との兼ね合いで日本語日本文化学類(一般的には国文科)への入学、就職活動に気が向かなくてイギリス渡航、バイト先のレストランにお客様として来店した妻との出会い、帰国後友人の引継ぎで始めたバイトの経験からのIT業界への興味、就職活動中に出会ったあるシステム開発会社の人事部長に勧められた外資系コンサルティング会社への入社、尊敬する上司・先輩・お客様との出会い、1年足らずでの退社とベンチャー企業への入社、ベンチャー事業凍結に伴うリストラ(する側でもされる側でも)、2回目のベンチャー事業凍結に伴うリストラ(される側)、その間に受注した初の責任者としてのプロジェクト、離婚、そして娘の引き取って実家への引越し、まったく考えたこともなかった起業(現在のLTS)、静岡でのプロジェクトと事業運営、会食の帰りにふらりと入った沼津の鮨屋、静岡への引越し、東京への引越し、もやもやする中で継続を決意したこと、リーマンショックの対応、総合商社のプロジェクト参画、グローバルERPプロジェクト、オーストラリアの会社統合プロジェクト、詐欺師事件、ITエンジニア事業の立上げとM&A、二度目の結婚と家出、コロナ渦中にできた余裕時間で学び始めた経営哲学と学びの仲間、近所のワインバー、静岡の子会社の代表就任、35年ぶりの武道再開、、

よくもまぁ、計画性のないいきあたりばったり、、、もとい、素敵な流れに導かれる時間を過ごしてきたものです。

LTSを立上げて2年目の終わり29歳の時、離婚のショックをひきずり、仕事でも実力不足を痛感し、慎ましい生活の中でもぎりぎりの生活費にドキドキする日々を過ごしていました。まさにどん底の時期だったのですが、深夜にひとりで入った激安穴場バーでマスターとお話ししている時、突然「僕はお金もないし、離婚もするし、仕事も周囲とうまくできなくてどうしようもないんだけど、人の縁と運だけは世界トップクラスなんです!」と言いました。強がりだったのかなんなのか、お酒が言わせてくれた言葉としか言いようがないのですが、これを気に入って、その後もずっと言い続けてきました。世界一っていうと、「そうじゃない」って内心が反応しちゃうのですが、世界トップクラスであれば内心でも「まぁ間違いではないかな」という感じでした。今となっては、心底「人の縁と運は世界トップクラス」と信じています。

実際に出会った皆さんとのご縁のお陰で充実した時間を過ごしてこれました。元気な両親と素敵な24歳になった娘、気持ちの良い仲間たち、友人たちに囲まれて、書籍・映画・演劇を通してかっこいい偉人・先人に出会い、ずっと学びのある環境にいて、ずいぶん幸せな経験をしてきました。

これからの私のテーマは「恩送り」です。

私たちの世代は、Japan as No.1の時代の恩恵をめいっぱい受けてきました。生まれてこのかた飢えたことはありません。自作農、と言っても戦前までの小作農の家に生まれ、裕福な育ちでは決してありませんが「肉が食べたい」って言ったら「米は売るほどあるから米食っとけ」って両親や祖母に言われました。郵貯の金利も6%くらいありました。高校進学は言うまでもなく大学進学も当たり前の進路でした。大学生の時、海外のどの国に行っても「なんでこんなに安いの?」って驚くくらいの経済水準を経験しました。欧州の往復チケット8万円、ロンドン中心部のサンドイッチが2.5ポンド(当時の350円)、スペインバスクのワイン一杯が30円、イギリス中部チェスターでハウスシェアした時の家賃が月3万円、きれいな家に引っ越して月6万円。20年落ちのMini中古車も5万円で買いました。当時の世界は、日本人=お金持ち、と思っていました。

今にして思えば全部が私たちの先輩たちのお陰です。私は幼少期に祖母と長い時間を過ごしました。祖母は大正生まれ、祖父は明治生まれで、祖母の20代、祖父の30代は戦争の時代でした。生き残った祖父母の世代は、戦争で死んだ人(祖父の弟は東南アジアで戦没)の分も背負って、子供たち(両親は昭和23年生)の世代と一緒に、子供が飢えることなく元気でしっかりと成長できる立派な社会を作ろうと頑張ってきました。その頑張りで作られた立派な社会の恩恵を一番頂いたのは私たちの世代です。

そして、私が社会に出てから(最初のバイトは91年、就職は99年)「失われた30年」と呼ばれる時代になりました。この不名誉な名前で呼ばれる時代を作ってしまった責任の一部は私にもあります。娘も含めて、この間に生まれて生きた後輩たちには少なからずお詫びの気持ちを持つようになりました。
でも、ここから、これから10年以上かかったとしても、私たちの世代が娘たちの世代と一緒によい時代を作ることができたら、「失われた30年」は「爪を研いだ30年」になります。こんな時代に生きて、その一端を担えたら最高です。ここから先、これを超える生きがいも死にがいもちょっと想像できません。よい時代を作れたと思えた時、その時の達成感、爽快感は格別のものでしょうし、最高の満足感に浸って旅立つことができます。逆転勝利のドラマチックな展開、苦境の中であってこその人の輝き、振り返った時のロマン、なんとも酔いしれる魅力にあふれています。

意図してなかったけど、こんな大きなチャレンジができる時代に50歳代を生きるだなんて最高だなー、と思って50歳の誕生日を迎えました。

50年と言っても体感時間では4.5年だそうです(心理学者のピエール・ジャネーによると人の体感時間は年齢の逆数です)
テクノロジーの進む時代で、私は150歳まで生きる予定ですが、あと100年と言っても体感時間では+1.1年。
あと100年で赤ちゃんの1.1年分くらいは成長すべく精進します。

長文にお付合いくださりありがとうございました。メッセージをお送りくださった皆さん、改めてありがとうございました!

心からお礼申し上げるとともに、皆様とご家族のご健勝とご活躍、弥栄をお祈りして返礼とさせて頂きます。

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