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ポルトガルで生まれ、アジア育ったスイーツの歴史

「サクサクのパイ生地につつまれたとろけんばかりのカスタードがたまらんわ」

ここはクアラルンプールのセントラルマーケット。風が激しく吹き荒れ、スコールが降ってきた。

たまたま見つけたポルトガル料理のカフェバーで雨宿り。わたしと妻は、エッグタルトをほおばっていた。

日本でも、一時期はやったポルトガル発祥のスイーツは、マレーシアにかぎらず東南アジアでも大人気。というより、暮らしの中にがっちり入り込んでいる。

マレーシアやシンガポールのホーカーズにある飲茶屋台にも、香港の飲茶レストランにも、エッグタルトはかならずある。それにケンタッキーでもエッグタルトは人気メニューだ。

アジアから、一万キロも離れた最果てにあるポルトガルのエッグタルトが、なぜこんなにもアジアの食文化に入り込んでいるのか?

食べかけのエッグタルトを脇において、思わず、エッグタルトの歴史を検索しはじめてしまった。

すると、エッグタルトだけではないポルトガルとアジアンスイーツの意外な関係が見えてきたのだ。


セントラルマーケットのエッグタルト


修道院で生まれたエッグタルト

スコールを横目に、ケータイでエッグタルトの歴史を検索。すると、ポルトガルでエッグタルトが生まれた時代背景が浮き彫りになってきた。

12〜16世紀頃、ポルトガルでは多くの修道院が建設され、祈りの場だけではなく、学びの場としても活用された。

さらには、ワイン醸造、養鶏、養蜂、畑仕事、漁や猟、糸紡ぎや衣服製造、建設まで多岐にわたる機能を有していた。

そんな修道院で、たくさんのスイーツが生まれる。その背景には、菓子の材料となる卵黄や砂糖が豊富にある環境があった。

まず、修道院では養鶏を行っていたので卵はいつでも手に入った。さらにワインのおりを取り除くため、また、洗濯物の糊付けに卵白が大量につかわれた。自ずと卵黄も余ることになる。

そして、15世紀には、植民地化であったブラジルでサトウキビのプランテーションが確立されたこともあり、砂糖も手に入れることが可能になった。

こうして、余った卵黄と入手しやすくなった砂糖によって、多くの菓子が作られるようになる。

Pao delo やFios de ovosといった後に、日本、インド、東南アジアにもたらされるスイーツも修道院でうまれた。

今、わたしが食べているエッグタルトの原型となるPastel de nata も18世紀頃に、修道院で作られた菓子のひとつだ。

Pao delo 参考:カステラドパウロ
Fios de ovos  参考:Nico Paneteria
Pastel de nata 参考:Cheap Holiday Expert

広州にやってきたエッグタルト

時を経て19世紀、エッグタルトは、中国の広州に持ち込まれた。やがて、香港式とマカオ式の2つのローカライズされたエッグタルトが生まれた。

広東省一帯は他地域と比べて西洋との交流が盛んであり、特に香港を領有した英国とマカオを領有したポルトガルの影響が強かった。

香港に広く定着したエッグタルトだが、香港より先に広州においては、1920年代から食べられていた記録が残っている。

香港にはポルトガルからマカオを通じて1940年代に伝わり、やがて大衆的な茶餐廳において下午茶のメニューの一つとなる。また点心店やベーカリーにも定着しはじめた。

1989年にロード・ストウズ・ベーカリーを創業した英国人アンドリュー・ストウが、ポルトガルのパステル・デ・ナタに独自の工夫を加えたレシピを広める。

やがてマカオ式エッグタルト、と呼ばれて人気を博すようになり、1990年代に中華圏一帯や東南アジアにおける人気へとつながったのだ。

左:香港式 右:マカオ式 参考:Miss Vickie

タイのお菓子もポルトガルから

わたしは、すっかりポルトガル菓子の泥沼にはまってしまった。さらに検索を続けてゆくと、エッグタルトだけではなく、ありとあらゆるスイーツがポルトガルからもたらされたことが分かってきた。

ご存知のカステラや金平糖はもちろんのこと、日本やタイ、マレーシアの伝統菓子にも、ポルトガルは影響は色濃い。

タイやマレーシアの暮らしの中で、よく口にするスイーツも、実はポルトガル由来のものだと知って、ついつい興奮してしまった。

Pao Delo は、日本のカステラだけでなく、タイのカノムモーゲーン

Fios de ovosは、日本の鶏卵素麺やタイのフォイトーン、インドのレトリヤ

カスタードは、マレーシアやシンガポールのカヤジャム、タイのサンカヤーへと変化し、現地に受け入れられてゆく。

カノムモーゲーン(タイ) 参考:Wikipedia
フォイトーン(タイ) 参考:คุผณเก๋ขนมหวาน
サンカヤー(タイ) 参考: Groumet & Cuisine

アジアにもたらされた製菓技術

マレーシアのマラッカは16世紀にポルトガル統治下であった。また、タイのアユタヤは、西側との交易が盛んな国際都市であり、ポルトガル人が多く滞在していた。

その影響もあり、ポルトガルの製菓技術や材料が伝わり、広まってゆく。

調理道具で大きく影響を受けたものはオーブンである。代表的なのは、日本のカステラとタイのモーケーンである。

カステラは,小麦粉,鶏卵,砂糖,湯を四角の型へ入れオーブンで焼く。モーケーンも、四角の型に入れてオーブンで焼くようになったが、材料は調達しやすい材料変化した。

キャッサバ芋の粉、アヒルの卵,ヤシ砂糖,ココナッツミルクがつかわれた。

材料で影響を受けたのは「卵」を用いることである。卵をふんだんにつかうFios de ovosは、鶏卵素麺(日本)、フォイトーン(タイ)と変化し、当時、卵を使うことはなかったアジアにスイーツ革命をもたらした。

ローカライズの歴史に興味津々

ここでわたしが最も興味をそそられたのが、ポルトガル菓子がローカライズしていく過程である。

それは、材料や調理器具にあらわれている。手に入りやすい原料や素材が活用されるようになり、それがまた個性となってゆく。

たとえば、エッグタルトに使用されてるバター。当時、広州では、バターは入手困難であった。かわりに中華料理で一般的に使われていたラードを使うことで、独特のサクサクな生地にしあがった。

カスタードは、卵と牛乳、バニラが使用されるが、マレーシアやタイでは入手困難。その代わり、どこでも手に入るココナッツミルク、バニラの代わりにパンダンリーフが使われるようになる。

カスタードは、小麦粉ベースの生地ではなく、糯米やカボチャなど、アジアの食材と組み合わされ、独自の進化をとげてゆく。

サンカヤーと糯米(タイ) 参考:Kaset Pol Suger

調理器具にもローカライズの跡がみえる。卵黄液を糸状にする道具は,ポルトガルでは卵殻に穴をあけたものや金具を使っていたが、日本は竹筒に穴を、タイではバナナ葉を円錐状にしたものが使われている。

ああ、ローカライズの歴史が尊い。

遠くポルトガルの修道院でうまれたスイーツが、アジアの日常に根づくまでの変遷に胸を踊らせながら、土砂降りの中、残りのエッグタルトを口に放り込む。

いつか、ポルトガルからインド、タイ、マレーシアそして日本と、ポルトガルスイーツを辿る旅をしてみたいなと夢を膨らませたのであった。

お店情報

Bortolo は、クアラルンプールのセントラルマーケットの真裏に位置するポルトガルカフェバー。エッグタルトの原型であるPastel de nataをいただける。本場のエッグタルトにはシナモンシュガーをかけていただく。スイーツにくわえて、タパスやワインも充実しているので、夕暮れ時にまた来てみたい。夜は、ライブあり。

参考文献

ドゥアルテ智子 (2019)『ポルトガル菓子図鑑』
誠文堂新光社

宇都宮由佳 "ポルトガルの伝統菓子Fios de ovosのアジアへの伝播―ゴア(インド)、タイ、日本の調査をとおして― "  2024.06.15

タイ国政府観光庁日本事務所 "タイのスイーツ"
2024.06.15

South China Morning Post "The history of egg tarts: from savoury to sweet, from medieval England to Hong Kong, from short crust to flaky pastry" 2024.06.15

Wikipedia "エッグタルト" 2024.06.15

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