清々しい最期を迎えるために。今できること
無限に流れてくるXの投稿。その中で目が奪われたのは、タゴールの詩だった
これまで、死を意識することはなかった。しかし、ある出来事がきっかけで、最期の瞬間を意識することになった
果たして、私は、どんな終末を迎えたいのか?そのために今できることはなんだろうか?
先日、デング熱を患った。熱帯特有の蚊から感染する風土病である。別名、break-bone fever と呼ばれるほど、高熱と骨に激痛が走る病である。2回目以降は、適切な処置をしなければ、死に至ることもある恐ろしい病だ
2度目のデング熱を患ってしまったわたしは、朦朧とする意識の中、病院のベッドで点滴を受けていた。カビの生えた病院の天井を眺めながら、死を意識した
数日後、幸いにも病状は回復に向かい自宅療養となった
頭痛が残る頭を抱えながら、病院を出て帰途につく
今まで、通り過ぎていた当たり前の風景が異様に美しく眩しかった
スコール明けの太陽が煌めいている。そして、その光が、あらゆるものを照らしている。露に濡れたバナナやヤシの木の葉が揺れている
何千回も見てきたその景色なのに、私は、立ち尽くすしかなかった
タゴールの詩を思い出す
健康な時は、目の前にあるものに目を向けず、ないものにばかりが目につく
デング熱で休んでいた10日間。わたしは、いろんな人に助けられていたことに気づく。病院の方たち、看病をしてくれた妻、そして仕事を回してくれていた同僚たち
当たり前にあるものに支えられている人生
それ以降、寝る前のほんの数分、今日、誰かにしてもらったことや、食べたもの、見たものを振り返ってみることにした
仕事を手伝ってくれる同僚のこと、昼に食べた半熟のマンゴー、夕飯をつくってくれる妻のこと、帰宅途中に見た夕陽のこと、気にも止めていなかったことのありがたさに気づく
何もない日もそれでいい。無事に1日を終えたことを祝福すればいい
そんな小さな気づきの積み重ねが、清々しい最期の瞬間につながってゆく
未来のためにできること。それは、日々の満足の積み重ね。手にしている素晴らしいことに、気づくこと