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清々しい最期を迎えるために。今できること

わたしが地上を去るとき
別れのことばに、こう言って逝かせて下さい

『この世でわたしが見てきたもの
   それはたぐいなく素晴らしいものでした』

キタンジャリ96章  タゴール

無限に流れてくるXの投稿。その中で目が奪われたのは、タゴールの詩だった

これまで、死を意識することはなかった。しかし、ある出来事がきっかけで、最期の瞬間を意識することになった

果たして、私は、どんな終末を迎えたいのか?そのために今できることはなんだろうか?


先日、デング熱を患った。熱帯特有の蚊から感染する風土病である。別名、break-bone fever と呼ばれるほど、高熱と骨に激痛が走る病である。2回目以降は、適切な処置をしなければ、死に至ることもある恐ろしい病だ

2度目のデング熱を患ってしまったわたしは、朦朧とする意識の中、病院のベッドで点滴を受けていた。カビの生えた病院の天井を眺めながら、死を意識した


数日後、幸いにも病状は回復に向かい自宅療養となった

頭痛が残る頭を抱えながら、病院を出て帰途につく

今まで、通り過ぎていた当たり前の風景が異様に美しく眩しかった

スコール明けの太陽が煌めいている。そして、その光が、あらゆるものを照らしている。露に濡れたバナナやヤシの木の葉が揺れている

何千回も見てきたその景色なのに、私は、立ち尽くすしかなかった

眩しかったあたりまえの景色

タゴールの詩を思い出す

健康な時は、目の前にあるものに目を向けず、ないものにばかりが目につく

デング熱で休んでいた10日間。わたしは、いろんな人に助けられていたことに気づく。病院の方たち、看病をしてくれた妻、そして仕事を回してくれていた同僚たち

当たり前にあるものに支えられている人生

それ以降、寝る前のほんの数分、今日、誰かにしてもらったことや、食べたもの、見たものを振り返ってみることにした

仕事を手伝ってくれる同僚のこと、昼に食べた半熟のマンゴー、夕飯をつくってくれる妻のこと、帰宅途中に見た夕陽のこと、気にも止めていなかったことのありがたさに気づく

何もない日もそれでいい。無事に1日を終えたことを祝福すればいい

そんな小さな気づきの積み重ねが、清々しい最期の瞬間につながってゆく

わたしが見てきたものは、
      たぐいなく素晴らしいことでした

未来のためにできること。それは、日々の満足の積み重ね。手にしている素晴らしいことに、気づくこと

#未来のためにできること

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